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2009/07/04 (Sat) 平城京跡
2009/06/29 (Mon) 矢田原遺跡
2009/06/26 (Fri) 東寺旧境内
2009/06/26 (Fri) 近江国府跡
2009/06/25 (Thu) 纒向遺跡
2009/06/25 (Thu) 弘部野遺跡
2009/06/25 (Thu) 北京原人遺跡
2009/06/24 (Wed) 石器時代の井戸発見

 国内最古のイスラム陶器出土
 海のシルクロードで伝来か

 平城京にあった西大寺旧境内(奈良市)で、西アジアのイスラム帝国、アッバース朝(750年成立)で生産された8世紀後半とみられるイスラム陶器のつぼの破片が見つかり、市埋蔵文化財調査センターが3日、発表した。

 古代の外交窓口だった福岡県の大宰府跡や鴻臚館跡の出土例を約1世紀さかのぼり、国内最古。海上交易を通じ、中国経由で持ち込まれたようで、森下恵介所長は「東西アジアをつなぐ『海のシルクロード』が平城京まで続いていたことを示す第一級の史料」としている。

 破片は19個で、旧境内を区画した溝から出土。外側は青緑色、内側は暗緑色で、ガラス質のうわぐすりが厚く塗られていた。「神護景雲二年」(768年)と記された木簡と一緒に見つかり、年代が分かった。

 つぼは復元すると高さ50センチ以上、底の直径11〜12センチもある大型で、イスラム商人が西域特産の「乳香」「バラ水」といった香料やナツメヤシの実を入れて運んだ容器だったとみられる。

 西大寺は孝謙上皇(のちの称徳天皇)が764年に造営を開始。上皇の信任を得て、官の最高位に就き、意のままに政治をした僧道鏡とのかかわりが深い。つぼは、造営が一段落したころに捨てられたらしい。

 陸のシルクロードで伝来した宝物が数多く納められている正倉院にも、イスラム陶器はない。森下所長は「日本にない色合いで、珍重されたのだろう。西大寺は重要な寺で、天皇らが納めた可能性が高い」としている。

 明治の酒造り丸分かり - フル工程の遺構

 平成17年の県立橿原考古学研究所の発掘調査で、明治時代の酒造りに使われた構造物などが見つかった奈良市矢田原町の矢田原遺跡の調査報告書がまとまった。酒を醸造する工程の遺構が見つかるのは全国的にも珍しく、県内では初めて。

 ほ場整備に伴う発掘調査。石組み井戸(直径1.5メートル)とレンガを積んだかまど、酒を搾るための一連の設備が並んでおり、東西20数メートル、南北10メートルの大きさの工場があったとみられる。明治時代には、産業奨励策で同地区に5、6軒の酒造工場が営まれていたという。

 酒搾り遺構部分では、並び立つ2本の柱(径30と35センチ)や径80センチ、深さ90センチのおけが出土した。柱が設置されている場所でもろみから酒を搾る作業を行い、搾られた生酒がおけにたまる仕組み。

 付近に電柱があり、酒を搾るために圧力をかける作業が機械化されたとみられるが、柱を挟んでおけと反対側にかなり広い空間があることから、機械化前には、長いてんびん棒を利用して重みをかける昔ながらの方法が行われていた可能性もある。その場合、2本のうち太い方の柱にてんびん棒を固定したと考えられる。

 和田萃・京都教育大学名誉教授(古代学)によると、木の実などをかんで発酵させる酒は縄文時代からあったが、5世紀ごろに渡来人が酒造を伝来。室町時代に清酒造りの手法が確立した。奈良市菩提山町の正暦寺は「清酒発祥の地」といわれている。

 古代の遺跡では、酒を貯蔵したと考えられる壺などの出土例があるが、実際に酒を造った経過をたどることができる遺構はほとんどない。歴史のある蔵元などでは改造や再開発を重ねているため古い遺構は破壊されていることが多いという。

 矢田原遺跡では、洗米・蒸米・酒搾りという一連の流れが分かり、調査を担当した青柳泰介主任研究員は「日本文化の一翼を担う日本酒製造のルーツを探る上でも貴重な例となる」としている。現場は埋め戻され、田んぼになっている。

東寺旧境内 平安後期の柱穴跡や溝

南区九条町の東寺旧境内で、平安時代後期とみられる柱穴跡や土地を区画する溝が、市埋蔵文化財研究所の調査で見つかった。東寺の寺務を担う「政所(まんどころ)院」や「賤(せん)院」があったとされる場所で、同研究所は「広大な伽藍(がらん)を誇った東寺を管理する重要な機関で、平安時代の東寺を知る上で貴重な資料」としている。

 東寺境内の北約100メートルにあたる約330平方メートルを調査。直径約20〜30センチの掘っ立て柱穴跡や、東西に延び建物を区画する溝(幅3メートル、深さ50センチ)が10メートルにわたって出土。緑色の上薬をかけて焼いた平安前期頃の「緑釉(りょくゆう)瓦」も7点見つかった。建物にふかれていたか、近くに窯が存在したらしい。

 平安時代の文献の記述や、西大寺(奈良市)や大安寺(同)など官立寺院の建物配置から、境内の北側には「政所院」や「賤院」などがあったとされている。

 東寺は8世紀末、平安京の正門・羅城門東に、国家鎮護などのために建立された官立寺院。弘法大師空海に与えられてからは、真言密教の根本道場としても栄えた。

 現地見学会は、27日午前10時から。

 大津市教委は25日、同市大江3丁目の近江国府跡で、近江国庁に関連したとみられる役所跡が見つかったと発表した。奈良〜平安時代(8世紀後半〜9世紀後半)の遺構とみられる。人名が記された須恵器も出土しており、市教委は「近江国府跡の実態を解明するうえで貴重」とする。

 役所とみられる掘っ立て柱建物跡が近江国庁跡(国指定史跡)の中心部から北に約370メートル、近江国府跡のほぼ中央で見つかった。40〜50メートル東側は旧東山道が走っており、「方八町(ほうはっちょう)」と呼ばれる街区の一部とみられる。約100平方メートルを発掘調査した。

 地表から約30センチ掘り下げたところに直径15〜20センチの柱穴が約150個あった。穴の間隔が異なることから、約100年間で少なくとも3度建て替えられているという。大規模な建物が長期間にわたり同じ目的で存在したと推定され、近江国庁関連の役所跡の可能性が高い。

 一方、人名が記された須恵器は井戸跡から出土。直径12センチ、深さ3センチで茶わんや灯明皿として使われていたらしく、裏側には「曽麻呂」と所有者名が記されていた。ほかに数千個に及ぶ瓦の破片や土器も出土した。

 現地説明会は27日午前10時30分から。雨天決行。問い合わせは市教委文化財保護課(077・528・2638)へ。

 インドネシア、20万年前

 インドネシア・ジャワ島の中ジャワ州で、約20万年前の古代ゾウの化石が完全な骨格で見つかった。現在、インドからインドネシアにかけて生息するアジアゾウより大きく、専門家はアジアゾウの進化の過程を探る貴重な発見と注目している。

 西ジャワ州のバンドン地質学博物館によると、古代ゾウは体長5メートル以上、体高4メートル以上、牙の長さは約2メートルで重さは推定10トン以上。現在のアジアゾウよりもマンモスに近い体格という。

 熱帯地方では通常、動物の骨は腐食しやすく、完全な骨格化石の発見例は少ない。同博物館のファルール・アジズ博士(古生物学)は「これまで熱帯地方で発見された古代ゾウの化石の中で最も完全な形で、最も保存状態が良い」と評価している。

 化石は今年3月、中ジャワ州ブロラ県で豪雨により採砂場が崩れて偶然、付近の住民が発見した。

 発掘成果いち早く - 纒向遺跡「中枢建物の柱穴」/大福遺跡「弥生期の木製鎧」

 纒向遺跡の建物跡などを写真や出土遺物で紹介する「平成20年度発掘調査速報展 50cm下の桜井」が、桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで開かれている。10月4日まで。

 桜井市教育委員会が20年度に調査した市内16遺跡のうち9遺跡の成果を紹介している。

 邪馬台国の有力候補地の纒向遺跡では、3世紀前半の中枢部遺構とみられる建物の柱穴を出土。軸線をそろえた建物群は、遺跡の中の重要なエリアであることをうかがわせた。

 このほか、弥生時代の木製の鎧(よろい)が見つかった大福遺跡、形状が分かってきた東田大塚古墳や矢塚古墳、被葬者が渡来人の一族とみられる横穴式石室が見つかった風呂坊古墳群などを紹介している。

 7月5日午後1時30分からは調査担当者らによる記念講演会が行われる。

 入館料は一般200円、小中学生100円。月・火曜と祝日の翌日、7月22日、9月25日は休館(祝日は開館)。

 古代官道沿いの駅家?
 高島・弘部野遺跡

 滋賀県高島市教委は24日、同市今津町上弘部の弘部野遺跡から奈良時代の掘っ立て柱建物群などが見つかった、と発表した。柵で分けた区画に整然と配置され、柱間も3メートルと広いため、馬の乗り継ぎや宿泊のため古代の官道沿いに設けられた駅家(うまや)か、有力者の住居と考えられる、という。

 調査地1400平方メートルのうち1000平方メートルを発掘した。出土物から飛鳥時代〜平安時代前期(7世紀前半〜9世紀後半)にかけての集落跡とみられる。掘っ立て柱建物は、南北棟の2棟が母屋と離れとみられ、倉庫らしい建物跡もあった。同じ場所で位置をずらして3度建て替えられ、計12棟が見つかった。

 古代の官道である「北陸道」については、高島から越前に直行するルートの前に、若狭を経る周行ルートがあったという学説がある。同遺跡は「北陸道」ルートから外れ、高島市から若狭に抜ける国道303号沿いに位置し、駅家だとすれば、周行ルートの存在を裏付ける証拠となる。

 金田(きんだ)章裕京都大名誉教授(歴史地理学)は「駅家と断定する根拠は見つかっていないが(周行ルートがあったと)わたしが想定している場所に近く、非常に興味深い」としている。小笠原好彦滋賀大名誉教授(考古学)は「もう一つ東西棟の大きな建物が見つかれば郷長クラスの屋敷とみていい」と話す。

 現地説明会は7月4日午後1時半から。高島市教委TEL0740(32)4467。

 北京原人遺跡の再発掘開始
 72年ぶり

 新華社電によると、北京原人の頭蓋骨の化石が見つかったことで知られる北京市郊外にある周口店遺跡で24日、1937年に発掘作業が終了した後、72年ぶりとなる大規模な発掘調査が始まった。

 29年に頭蓋骨化石が発見された猿人洞の西壁約20平方メートルが対象で、土のサンプル採取や地質分析を行い、風化などで崩落の危険が指摘される遺跡の保護に役立てるのが主な目的。

 7月下旬まで天井付近のひび割れた場所の発掘を行い、その後、10月までサンプル採取などを実施する予定。

 古代人の音楽会 3万5千年前のフルート、独の洞窟に

 古代人は3万5千年以上も前にフルートを演奏し、音楽を楽しんでいた――。独チュービンゲン大のチームは独南西部ウルム近郊のホーレ・フェルス洞窟(どうくつ)など二つの洞窟で、鳥の骨でできたほぼ完全なフルートやマンモスの牙でできたフルートの破片を発見した。世界最古級とみられ、音楽の広がりを示す貴重な証拠だ。24日付英科学誌ネイチャー(電子版)に発表する。

 もっとも完全な形で出土したのは、ハゲワシの骨でできたフルート。12の破片にわかれ、つなぎ合わせると長さ21.8センチ、直径約8ミリのほぼ完全な楽器になった。五つの指穴があいており、広い音階をもっていたらしい。

 地層の年代や放射性炭素測定の結果などから、3万5千年以前のものと結論づけた。

 ホーレ・フェルス洞窟では同じチームがこの5月、人類最古のマンモスの牙でできたビーナス像の発見を同誌に報告している。この地方の洞窟では1973年から2005年にかけて、フルートとみられる複数の破片が発掘されていた。

 東京大総合研究博物館の西秋良宏教授(先史考古学)は「アフリカからヨーロッパに現生人類の祖先がたどりついた時期に、ビーナス像と楽器という現生人類の象徴的行動を特徴づける人工物が出そろっていたことは、興味深い。なぜヨーロッパでこの時期に、このような文化が開花したのかは謎で、今後の研究課題だ」と話す。

 キプロスで石器時代の井戸発見、世界最古の可能性

 キプロスの考古学者らが、世界最古の可能性がある井戸を発見した。1万0500年前頃の石器時代のもので、井戸の中には女性1人の骨も見つかった。

 井戸は、同国西部沿岸の町パフォス近くの建設現場の掘削作業によって出土。同地域では先にエディンバラ大学のチームが5つの井戸を発掘していた。

 通信・公共事業省古美術局は声明で「放射性炭素年代による測定では、これらの井戸が9000年─1万0500年前のものであることを示しており、世界で判明している最も初期の井戸と思われる」と述べている。

 また同局は、井戸の中には動物と保存状態の良くない若い女性1人の骨も見つかったが、女性がどのような理由で井戸に入ったかは知ることはできないとコメントしている。

 カイロ郊外サッカラ

 エジプト考古最高評議会は23日、首都カイロ郊外サッカラ遺跡で、古代エジプト第3王朝時代のファラオ、ジョセルの肩書や娘の名前を刻んだ石碑などを発見したと発表した。

 ジョセル王は約4700年前に、世界最古の巨大石造物とされる階段ピラミッドを建造したことで知られる。

 石碑は階段ピラミッド南側の復元作業で発見。木棺を装飾したとみられる金色の外殻や、人骨やミイラの一部なども見つかった。

 新薬師寺旧境内 南北に通る溝出土

 ◆回廊・中門 見つからず

 東西幅52メートルの階段を備えた金堂らしい長大建物跡が出土した奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内)で、建物の南約50メートルの地点から南北方向の溝が出土した。同大学が22日発表した。建物を囲む回廊か中門の推定地だったが、それらしい遺構は見あたらなかった。現地説明会はない。

 運動施設整備に伴い約110平方メートルを発掘した。担当の金原正明准教授(環境考古学)によると、溝(幅1・5メートル、深さ0・4メートル)は建物跡の南約20メートルの場所から南に伸び、さらに南にあって東西に流れていた水路か川の跡(幅約5メートル)につながっていた。

 溝の中には、興福寺で造営当初(710年)に使われたのと同じ型の軒丸瓦(8世紀)などが多数あった。962(応和2)年に大風で寺全体が倒壊した際、近くにあった別の建物から溝に落ち込んだらしい。

 金堂と見られる建物跡の規模から見て、回廊か中門があった場所ではないかと期待されていた。出土しなかった理由について、金原准教授は「元々回廊や門を持たない特異な構造だったのか、後世に破壊されたのか。今回の調査だけでは何とも言えない」と話した。7月にも隣接地を発掘し、さらに調査する方針。

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 あれ?中門がない!? - 新薬師寺旧境内

 奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内)で、奈良時代中ごろの瓦が入った溝跡などが見つかり、同大学が22日、発表した。想定されていた中門や回廊の遺構はなく、伽藍(がらん)がさらに広いか、金堂だけだった可能性が浮上した。

 調査地は昨年見つかった金堂とみられる巨大基壇の南側約50メートル。地形などから中門が想定されていた。

 溝は幅約2メートルで、南北に約20メートルを確認、底に瓦の破片がたまっていた。焼けた瓦もあり、直行する幅約5メートルの自然流路に分断される。主要伽藍が廃絶する10世紀に埋まった可能性が高いという。軒瓦は興福寺と同じ文様で、創建時に使ったとみられる。

 奈良時代に鋳造された神功開宝(765年発行)と隆平永宝(796年発行)も各1点出土、漆の付着した土器片もあった。

 中門や左右に接続する回廊が見つからないことについて、金原正明准教授は(1)さらに南に存在した(2)金堂南側のスペースがせまく、調査地の北側で閉じていた(3)金堂だけ完成していた―の3つを挙げる。

 調査地が金堂の中軸線上にあたることから、溝は参道側溝の可能性もあるという。東大寺山堺四至図(756年)には「新薬師寺堂」として仏殿1棟だけが描かれている。

 新薬師寺は、光明皇后が聖武天皇の病気回復を願って天平19(747)年に建立。金堂には7体の薬師如来像が安置された。平安時代には荒廃し、応和2(962)年の大風で主要伽藍が倒壊した。

 金原准教授は「金堂跡の瓦は焼けておらず、別の建物が近くにあったと考えられる。伽藍の特異性を検討する必要が出てきた」と話している。

 “入鹿の邸宅”に1100人 - 甘樫丘で現地見学会

 7世紀中ごろの石垣などが見つかった明日香村の甘樫丘で21日、現地見学会があり、古代史ファンら約1100人が訪れた。

 飛鳥時代に蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったとされ、奈良文化財研究所が調査を続けている。今回の調査で石垣が全長約34メートルに及び、途中で屈折していることも明らかになった。

 この日は、同研究所の次山淳・考古第3調査室長が調査成果を説明した。

 湖底遺跡の謎に迫る  大津京駅コンコース29点展示

 琵琶湖の湖底から発掘された遺跡を紹介する展示「琵琶湖の神秘 湖底遺跡の謎に迫る」(県文化財保護協会主催)が19日、大津市のJR大津京駅コンコースで始まり、駅利用者が興味深そうに見入っていた。

 同協会は、普段は公開していない県教委の所蔵品をテーマに分けて披露している。同展は今年度最初の開催で、琵琶湖に約100件ある湖底遺跡の中から、代表的な4遺跡の場所や歴史を計6枚のパネルで解説し、出土した土器や通貨、刃物などの遺物29点を並べている。

 大中の湖南遺跡(安土町下豊浦)で確認された「正面全身人形」は、個人の罪を封じ込めて内湖に流されたとされる祭祀(さいし)用の道具。葛籠(つづら)尾崎湖底遺跡(湖北町尾上)から引きあげられた古墳時代の土器は、同じ位置に長期間沈んでいたため、湖水に含まれる鉄分が表面に付着しているのが特徴という。

 珍しい遺物の数々に、思わず足を止めて熱心に鑑賞する駅利用者も多く、同協会は「乗り降りのわずかな時間でも十分理解できるので、ぜひ立ち寄ってください」と呼びかけている。

 9月11日まで。秋は木の実を中心とした縄文人の食生活、冬は江戸時代の酒器など季節に応じたテーマ展示を続ける予定。

 馬に乗った人の埴輪復元
 群馬の古墳で56年前に出土

 群馬県立歴史博物館は20日、同県伊勢崎市の雷電神社跡古墳(6世紀後半ごろ)で56年前に発掘された、武装した男が馬に乗る埴輪が復元されたと発表した。

 大塚初重明治大名誉教授(日本考古学)は「馬に乗った人物の埴輪は普段着のものがあるが、武装した人物は前例がないのでは。武装した男性を表現した貴重な史料だ」と話している。

 博物館によると、埴輪の高さは約111センチ。馬は脚を真っすぐに伸ばし、男は刀や弓などを身に着けている。馬にも飾りがつけられており、有力者かその従者と推測される。

 古墳は前方後円墳とみられ、土砂採取のため1953年に壊された。その際に出土した破片を、大学で考古学専攻だった伊勢崎市の僧侶松村一昭さん(76)が持ち帰り保管。3年前に復元した。

 博物館は、人が馬に乗った埴輪の復元は全国でこれまで数例しかないとしている。復元された埴輪は、博物館の開館30周年記念展で7月4日から一般公開される。


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