登り窯 向き変えた?
東山、明治期から使用 周囲建物に合わせ
明治から1962年まで登り窯として使われていた京都市東山区五条橋東4丁目の「道仙(どうせん)化学製陶所窯跡」の発掘調査で、周囲の建物にあわせて窯の向きが変えられていたことが、5日までに分かった。専門家は「窯が町家と密接に結びついていた様子がわかる」としている。
■立命大教授調査
立命館大の木立雅朗教授(窯業考古学)が2005年度から調査。本年度は窯(全長11メートル、幅4〜5メートル)の南側を中心に調べた。
その結果、窯と南側の長屋との間の土留めが、現在の位置とずれていることがわかった。これまでの調査で窯の改修歴も確認されており、現在はほぼ北向きの窯の位置が、わずかに北東を向いていたとみられる。
明治初期からあったとみられる窯は町家の奥に位置しており、木立教授は「周囲を建物に取り囲まれているため、建物の変化にあわせ、窯の向きも変えざるを得なかったのでは」と話している。
窯跡には、磁器の製作に使ったとみられる白色粘土が大量に捨てられており、成分を分析する予定。調査は本年度で終了する。7日午後2時から現地説明会を行う。