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2009/11/06 (Fri) 道仙化学製陶所窯跡
2009/11/05 (Thu) 動物たちのミイラ
2009/11/05 (Thu) 恭仁宮跡
2009/11/05 (Thu) ハワード・カーター
2009/11/05 (Thu) チルコマッシモ
2009/11/04 (Wed) 安土城考古博物館
2009/11/01 (Sun) 大山崎瓦窯跡
2009/10/31 (Sat) 赤野井遺跡

 登り窯 向き変えた?
 東山、明治期から使用 周囲建物に合わせ

 明治から1962年まで登り窯として使われていた京都市東山区五条橋東4丁目の「道仙(どうせん)化学製陶所窯跡」の発掘調査で、周囲の建物にあわせて窯の向きが変えられていたことが、5日までに分かった。専門家は「窯が町家と密接に結びついていた様子がわかる」としている。

 ■立命大教授調査

 立命館大の木立雅朗教授(窯業考古学)が2005年度から調査。本年度は窯(全長11メートル、幅4〜5メートル)の南側を中心に調べた。

 その結果、窯と南側の長屋との間の土留めが、現在の位置とずれていることがわかった。これまでの調査で窯の改修歴も確認されており、現在はほぼ北向きの窯の位置が、わずかに北東を向いていたとみられる。

 明治初期からあったとみられる窯は町家の奥に位置しており、木立教授は「周囲を建物に取り囲まれているため、建物の変化にあわせ、窯の向きも変えざるを得なかったのでは」と話している。

 窯跡には、磁器の製作に使ったとみられる白色粘土が大量に捨てられており、成分を分析する予定。調査は本年度で終了する。7日午後2時から現地説明会を行う。

 出土の瓦、土器など20トン廃棄
 記録なし、奈良・香芝市

 奈良県香芝市が古代寺院「尼寺廃寺跡」(7世紀後半)などの発掘調査で出土した瓦、土器、石器など数千点、約20トンを活用方法などを十分検討しないまま市有地に廃棄していたことが5日分かった。

 文化庁は1997年に都道府県に出した通知で、出土品を廃棄できるケースについて、博物館や学校での展示など保存・活用の必要性や可能性がないと判断した場合に限定している。

 市の担当者は「通知を見ていなかった。手続きに不十分な面があり、安易だった」と釈明。通知で定めた出土品の種類や数量、処分方法の記録作成も怠っており、文化財管理のずさんさが問われそうだ。

 市によると、廃棄した出土品は、尼寺廃寺跡など市内の複数の遺跡で発掘し、容器に入れたまま屋外に置いてあった。

 「野積み状態で危険」だと市民から苦情が寄せられたため、廃棄を決定。10〜11月の5日間、2トントラックで尼寺廃寺跡近くの駐車場予定地(市有地)に運んだという。

 処分は主に担当課の職員で決め、上司に口頭で伝えただけだった。

 廃棄場所には大きな穴が掘られ、土器片などが4日時点では山積みされていた。

 奈良県文化財保存課は「“生きた教材”として学校などで活用する方法もあったのでは」として、5日までに市に事実関係の報告を求めた。

 古代エジプトの墓に眠っていた動物たちのミイラ

 1888年、エジプトの砂漠地帯にある村、Istabl Antarで発掘されたのは古代に作られたと思われる墓とその墓に埋められていた動物たちのミイラ。

 ここで発掘されたのは全て動物たちのミイラだけで、人間は1体も見当たらなかったという。「feline」と呼ばれる猫のミイラは特に大量に発見されたそうで、丹念に麻の布で巻かれているものや、顔に金が施されているものもあったそうだ。

 古代エジプトでは、動物たちは神として崇められており、様々な動物が神格化ていたが、特に猫はバステト女神として崇拝されていたそうだ。飼い猫が死ぬと人々は眉毛を剃り落として悲しみ、また死んだ猫を丁寧にミイラにし、バスト女神の神殿に手厚く葬ったという。

 http://ngm.nationalgeographic.com/2009/11/animal-mummies/barnes-photography

 「大極殿阯」石碑、20年横倒し
 木津川・恭仁宮跡

 京都府木津川市加茂町例幣の恭仁宮跡に、20年近く横倒しになったままの石碑がある。西陣の織物商が昭和初期に設置し、「大極殿阯」と記されているが、同宮跡の異なる場所にあったためいったん撤去。移設する際に文化庁が反対したため行き場を失ったといい、観光客にも気付かれぬまま草に埋もれている。

 歴史地理史学者の中村武生さんによると、倒れているのは上京区の「西陣碑」などと同じく1920年代に設置された「三宅安兵衛遺志碑」の一つ。遺志碑は西陣の織物商三宅安兵衛が「京都の公利公益に使用せよ」と残した資金を元に、息子の清治郎が京都市内や山城地域一帯の約400カ所に設置したという。

 石碑の「高さ」は約1・8メートル。木津川市教委によると、大極殿跡から南東約80メートルの山城国分寺塔跡前に29(昭和4)年に建てられた。戦後、研究者らから「場所が違う」という指摘が続いたため、土地の所有者が91年ごろに撤去。大極殿跡に移設することが検討されたが、当時は文化庁に「史跡跡に建てるべきではない」と反対され、そのまま放置されてきたという。

 中村さんは「石碑は、周囲に価値を知らせることで史跡を守ってきた功労者。特に遺志碑はそれ自体が文化財と言え、まとまった形で保護していく必要がある」と訴える。

 史跡を管理する同市教委は「最近は文化庁の方針も変わり、再建は可能」と話す一方で、「石碑も含め市の所有でなく、勝手に進められない」といい、遺志碑が再び旅人の道しるべになる見通しは立っていない。

 「王家の谷」発掘を追体験
 英考古学者の宿舎修復

 エジプト南部ルクソールの「王家の谷」で古代エジプトのツタンカーメン王墓を発見した英考古学者ハワード・カーター(1874〜1939年)が発掘作業中に滞在していた宿舎が修復され、1922年の発見日と同じ4日、考古学関係者ら数百人に公開された。

 修復したエジプト考古最高評議会は宿舎を観光客に開放、古代史解明のロマンを追体験してもらう計画だ。

 王家の谷の近くにある宿舎は、中央にイスラム建築風のドームを持ち、書斎や写真現像の暗室、居間などを復元。1日当たり約100人の観光客を受け入れる予定で、寝室には年に数回、一般客も宿泊できるようにすることを検討している。

 修復費用は約120万エジプトポンド(約1990万円)。考古最高評議会のアリ・ヒラール担当委員長は「宿舎での一夜は(観光客らにとって)忘れられない体験になるだろう」と話す。考古学関係者らは「黄金のマスク」など世界的な発見をしたカーターの業績を振り返りながら「これ自体が歴史的な建造物だ」と話した。

 古代遺跡でスキーW杯計画
 ローマのチルコマッシモ

 イタリア冬季スポーツ連盟は、古代ローマの円形競技場遺跡で、歴史スペクタクル映画「ベン・ハー」(1959年)の舞台としても有名なローマの「チルコマッシモ」を、2012年のクロスカントリースキー・ワールドカップ(W杯)の開催候補地とする計画を明らかにした。4日付コリエレ・デラ・セラ紙が伝えた。

 来年5月にトルコのアンタリヤで行われる国際スキー連盟(FIS)の会合で開催地が決定される。同紙は古代遺跡での開催で、市民の競技への関心を引きつける狙いがあると指摘した。

 ローマは冬季でもほとんど降雪がないため、人工雪を用いる。コースは楕円形で全周約800メートル、競技のため途中に起伏も設ける予定。

 チルコマッシモは古代ローマ最大の円形競技場で15万人以上を収容できた。馬が引く古代戦車による競走が繰り広げられ、ベン・ハーでも同競技場で行われたとの設定で戦車の競走シーンが登場、ハリウッド映画史に残る名場面といわれる。

 安土城と他の城郭を比較紹介
 発掘調査20周年で記念講演

 滋賀県立安土城考古博物館で行われている安土城の秋季特別展「戦国の城−安土城への道」の記念講演が3日、同博物館で行われた。定員140人を大きく超える約250人が会場を埋めた。

 9月19日から行われている特別展は安土城発掘調査20周年を記念し、戦国時代の他の城郭と安土城を比較しながら、その特質を紹介している。この日は、日本の中世・近世の都市史を研究している仁木宏大阪市立大教授が「戦国の城下町信長の城下町」と題して講演した。

 仁木教授は、戦国時代の他の城下町や織田信長が安土城を築城する以前の城下町の特徴や都市法を説明。安土城については「珍しい都市法と城下町を持っていた」としながらも、家臣が近くに住むという近世以降の形式が確立していなかった点や、他の戦国大名の方がより急進的な都市法を作っていた点を指摘し、「飛び抜けた城下町や都市法という安易な評価ではなく、信長が安土の地に合うように作った法であり、町であると考えるべきだ」と話した。

 古代職人の技に思いはせ
 大山崎瓦窯跡で現地説明会

 平安宮の瓦を生産した京都府大山崎町の国史跡「大山崎瓦窯跡」で31日、新たに出土した1基を含む窯跡の現地説明会が開かれた。歴史ファンや地元の住民100人以上が詰め掛け、古代の職人の現場や技術に思いをはせた。

 大山崎瓦窯は、平安初期に平安宮の大極殿へ瓦を供給したとされ、町教委は昨年までに7基を確認した。今年9月末から窯跡の範囲を確認する調査を実施し、最北の7号窯から北約6メートルの地点で燃焼室の焚(た)き口を新たに発見、8号窯とした。

 説明会は、昨年は雨天中止となった7号窯の解説も合わせる形で行われた。

 調査に携わった大山崎町教委の古閑正浩さん(40)は、柱穴の跡などから、焚き口前の作業空間(前庭部)に覆いがかかっていたことが、今回の調査で新たに分かったと指摘した。

 7、8号を含めてこれまで出土した全窯跡が直線上に並んでいることなどと合わせ、「相当高度な測量技術によって窯を配置している」と分析した。

 さらに、遺構の並びや構造から「窯跡は当初の予想より大規模。あと3基は見込める」と推定した。参加者は興味深い様子で説明に聞き入り、窯跡を眺めていた。

 網漁用重り、弥生期の管状土錘出土  
 守山・赤野井遺跡で県内初

 滋賀県文化財保護協会は30日までに、守山市の赤野井遺跡の出土品から弥生期の管状土錘を確認した、と発表した。土錘は網漁用の土製の重りで、県内での発見は初めて。同協会は「瀬戸内海や日本海沿岸の海水域で広がった網漁が、淡水域の琵琶湖にも到達していたのが明らかになった」としている。

 見つかった土錘は計34点。うち28点が卵形、紡錘形で、6点が球形だった。平均の大きさは、卵形が長さ5・4センチ幅3・3センチ、球形で長さ2・5センチ幅2センチで、重さは48・9グラムだった。網を通す中心穴の直径は0・6センチで、後世品より狭い特徴があった。

 多くは河川跡から見つかった。時期は弥生前期末から中期中葉の紀元前5〜3世紀ごろとみられる。

 琵琶湖や周辺河川では、縄文期の石錘は多く見つかっているが、土錘の発見はこれまでの最古が古墳期までで、弥生期はなかった。

 同協会は「湖畔に弥生期の集落遺構は多いが、土錘がやっと発見できたというのは、網漁が琵琶湖で伝わらなかったとみられる。弥生期にすでに、より効率的な湖国独特のエリ・やな漁が発達していた」としている。

 土錘は、11月3日に草津市のイオンモール草津で展示する。午後1時から遺跡調査報告会がある。同協会TEL0748(46)4861。

 国宝の高松塚壁画を一般公開
 奈良・明日香村

 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の国宝壁画が31日、明日香村にある修復施設で一般公開された。事前に申し込んだ約3200人が「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像などを見学、期間は11月8日まで(11月4日を除く)。

 壁画は2008年から年2回公開されており、今回が4度目。見学はガラス越しで、手前の見やすい位置には東西の壁石に描かれた女子群像や、四神図の「玄武」「青竜」が並んだ。

 文化庁はカビなどで劣化した壁画を修復するため、07年に高松塚古墳の石室を解体。壁画が描かれた壁石ごと施設へ運び、カビを取り除くなどの作業を進めている。墳丘は築造当初の姿に復元された。

ローマ時代のモザイク発見
 レバノンの地下墓で奈良大

 レバノン南部のティール郊外にある壁画を伴った地下墓で、床面のモザイクに、ローマ時代最盛期の2世紀を示す記述があるのを保存修復にあたっている奈良大の西山要一教授(保存科学)が確認し、30日、発表した。

 西山教授は「立派な造りで氏族の長が埋葬されていたのだろう。盗掘されていた割には土器などの遺物も多く、年代が分かったことで研究上の指標となる」としている。

 地下墓は石灰岩の岩盤をくりぬいた構造。四方の壁にクジャクやつぼ、死者にささげる魚や鳥といった食物などが色鮮やかに描かれている。

 9月からの調査で石室内の床面に堆積した土砂を取り除いたところ、2センチ角の石を敷き詰めたモザイクが縦1メートル、横1・5メートルの範囲で出現。白地に黒で描かれた「BKT」の文字が、ティール暦の322(西暦196〜197)年を示すことが分かった。

 奈良大は2000年にレバノンでの遺跡調査を開始。今回の地下墓は12年度まで保存修復を進める。

 地下の正倉院展:木簡で知る奈良時代 二条大路の出土群を紹介−−奈文研

 ◇“キーホルダー”や カツオの荷札など−−来月29日まで

 奈良時代の歴史を知る上で重要な木簡を展示する特別企画展「地下の正倉院展」が、奈良市二条町2の奈良文化財研究所ガイダンスコーナーで開かれている。光明皇后の皇后宮やその近くにあった藤原麻呂邸にかかわるとみられる二条大路木簡を展示。11月29日までの開催期間を3期に分けて、27点ずつ紹介する。

 二条大路木簡は88〜89年、平城京の二条大路の路面上に掘られた東西溝から出土した木簡。木簡群としては国内では最多となる約7万4000点が確認された。

 今回は「皇后宮と吉野行幸」「藤原麻呂邸の家政」「宮廷の華麗な食材」「広がる木簡の世界」のテーマごとに展示。藤原麻呂邸の勤務分担が書かれた木簡や、当時最高級食材の一つだったカツオの荷札などのほか、かんぬきを外す鍵に紛失を防ぐために付けられた木簡などがある。また、木簡の文字を書き写して練習したとみられる土器も並べて展示している。

 11月2日、同16日は展示替えのため休館。入館無料。問い合わせは同研究所文化財情報課(0742・30・6753)。

 出土の埴輪 盾と冑の一体型と確認
 長岡京で31日から展示

 京都府長岡京市埋蔵文化財センターは28日までに、市内の今里車塚古墳から出土した盾形と冑(かぶと)形の埴輪(はにわ)を復元した結果、二つは上下に組み合わせる一体型の埴輪であることを確認した。盾と冑の一体型埴輪は近畿を中心に出土例があるが、「その中でも古い部類に入るだろう」としている。

 今里車塚古墳は、4世紀後半の前方後円墳で、2006年度の第11次調査で、盾形と、前方部がとがった冑形の形象埴輪が出土。当初、二つはそれぞれ別の埴輪とみられていたが、出土した場所が近く、材料の土の種類も似ており、関連性を検証したところ、一体型と判明。欠損部分を石こうで補って復元し、組み合わせた。

 埴輪は高さ1・1メートル、直径0・4メートル。冑が頭部、盾が胴体部にあたり、同センターは「武装兵士をイメージして作られ、古墳に埋葬された有力者を守っていたのでは」とみる。文様は、古い時代の木製や革製の盾や冑に通じる特徴があり、一体型としては最古級の可能性もあるという。

 同市奥海印寺の市埋蔵文化財調査センターで31日から11月3日まで、本年度発掘調査速報展が開催される。盾・冑埴輪のほか、伊賀寺遺跡から出土した縄文後期の碧玉製の玉の未製品や、開田古墳群から見つかった馬形、鶏形の形象埴輪片など約270点を展示する。午前10時〜午後4時。無料。

 朱塗りの石室を一般公開
 奈良・桜井茶臼山古墳

 全面を朱で彩った石室が60年ぶりに確認された奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀前半)で29日、現地見学会が開かれ、考古学ファンらの熱気に包まれた。31日まで。

 石室を一周するように設けられた順路から、大勢の人が写真を撮るなど熱心に見学。神奈川県三浦市から来た電器店経営岡野冨美子さん(57)は「朱がこんなに残っているなんてびっくり。もう感動です」と興奮した様子。日本史が好きな高知県の高校2年吉川紗織さん(17)は「石室の写真は教科書で見たことがあったけど、本物は迫力が全然違う」と話した。

 同古墳は初期大和政権の大王墓とされる全長200メートルの大型前方後円墳。石室は板状に加工した石を丁寧に積み重ね、貴重な顔料だった水銀朱を少なくとも200キロ使ったと推定。魔よけや防腐のためとみられ、これまでの出土例としては最も多い量になる。石室内には、朱塗りの木棺の底の部分も残っていた。

 石室は1949〜50年に発掘されたが、当時、一般公開はされなかった。

 兵庫で全国最多の水鳥形埴輪出土
 「来世」イメージか

 兵庫県朝来市の前方後円墳「池田古墳」(5世紀前半、全長約141メートル)で、水鳥形埴輪7体分の頭部や胴体部が見つかり、県立考古博物館が29日、発表した。既に出土した8体と合わせ15体になり、応神天皇陵ともされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)と並び全国最多の出土数。

 水鳥形埴輪を多数配して美しい水辺のイメージをつくり出し「来世」に重ね合わせたとみられ、古代の祭祀や死生観を探る貴重な史料になりそうだ。

 水鳥形埴輪は、古墳中央東側のくびれ部分にある台状遺構「造り出し」に沿うように約3メートル間隔で出土した。7体とも破片になった状態で、頭部は最大のもので長さ約17センチ。既に出土した8体もすべて墳丘の東側で見つかっている。水鳥には、死者の魂を来世から現世に迎える役割もあったとみられる。

 西側の造り出しではアケビのような植物をかたどった土製品やつぼ、高坏など12点が出土。古墳の東西で異なる祭祀が行われた可能性もある。

 高橋克寿・花園大准教授(考古学)は「東側では水辺のイメージをつくり出して来世を表現する一方、西側を祈りの空間とし、古墳の東西で機能を分けていたのではないか」と話している。


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