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<title>古墳・遺跡・化石・現地説明会　他</title>
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<description>近畿地方の古墳・遺跡・化石・現地説明会情報ほか</description>
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<title>茶臼山古墳</title>
<description> 　木棺重量は264キロ - 桜井茶臼山古墳　初期ヤマト政権の大王墓級の前方後円墳・桜井茶臼山古墳(桜井市外山、3世紀末～4世紀初め、全長200メートル)の木棺の現存重量は264キロだったことが分かった。　県立橿原考古学研究所が、保存と調査を目的に石室内から取り出していた木棺の重量や形状を、18日に測定した。木棺は、コウヤマキ製の大木を縦に二つに割って埋葬部分をくり抜いた「割竹形木棺」で、底部だけが現存。長さ4.89メー
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<![CDATA[ 　木棺重量は264キロ - 桜井茶臼山古墳<br /><br />　初期ヤマト政権の大王墓級の前方後円墳・桜井茶臼山古墳(桜井市外山、3世紀末～4世紀初め、全長200メートル)の木棺の現存重量は264キロだったことが分かった。<br /><br />　県立橿原考古学研究所が、保存と調査を目的に石室内から取り出していた木棺の重量や形状を、18日に測定した。木棺は、コウヤマキ製の大木を縦に二つに割って埋葬部分をくり抜いた「割竹形木棺」で、底部だけが現存。長さ4.89メートル、幅75センチ、厚さ最大27センチ。 ]]>
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<dc:subject>京　都</dc:subject>
<dc:date>2009-11-20T18:31:34+09:00</dc:date>
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<title>恭仁宮跡</title>
<description> 　恭仁宮跡　初期平城宮と類似構造　奈良時代の７４０～７４４年に聖武天皇が都を置いた恭仁宮(くにきゅう)跡（木津川市加茂町）で、役人が政務を行った「朝堂院」と、待機場所の「朝集殿院」を区切る塀の一部とみられる柱穴などが見つかり、府教委が１９日、発表した。朝集殿院は朝堂院より東西に長かった可能性が高く、専門家は「初期平城宮と同じ配置で、都城の変遷がわかる貴重な成果」としている。　昨年の調査では東西一列に
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<![CDATA[ 　恭仁宮跡　初期平城宮と類似構造<br /><br />　奈良時代の７４０～７４４年に聖武天皇が都を置いた恭仁宮(くにきゅう)跡（木津川市加茂町）で、役人が政務を行った「朝堂院」と、待機場所の「朝集殿院」を区切る塀の一部とみられる柱穴などが見つかり、府教委が１９日、発表した。朝集殿院は朝堂院より東西に長かった可能性が高く、専門家は「初期平城宮と同じ配置で、都城の変遷がわかる貴重な成果」としている。<br /><br />　昨年の調査では東西一列に３メートル間隔で柱穴が６か所あり、朝堂院の建物跡とされた。しかし今回、さらに西側に柱穴（長辺１・５メートル、短辺１メートル）が同じ間隔で２か所、北側には南北に柱穴（同）が２か所出土。南北に並んだ柱穴は朝堂院の西塀とみられ、東西の柱穴は朝堂院と朝集殿院を区切る塀の可能性が高くなった。西端の柱穴は南北に並んだ柱穴より９メートル西側にあり、朝集殿院は朝堂院よりも幅が広く、東西幅が１３４メートルだったとみられるという。<br /><br />　奈良文化財研究所の井上和人・都城発掘調査部長は「こうした変則的な形は、初期平城宮と恭仁宮だけで、非常に興味深い」と話し、恭仁宮跡の調査専門委員会の中尾芳治委員長は「恭仁宮が、平城宮をモデルに築造されたことが明確になった」と述べた。<br /><br />　<strong><span style="color:#990000">現地説明会は２１日午前１０時、午後１時、同３時からの３回。</span></strong> ]]>
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<dc:subject>京　都</dc:subject>
<dc:date>2009-11-20T18:23:27+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>高松塚をＣＧで再現</title>
<description> 　国宝、飛鳥美人に会いませんか 　奈良・高松塚をＣＧで再現 　特殊なゴーグルを着けて高松塚古墳（奈良県明日香村）を眺めると、石室が浮かび「飛鳥美人」が現れる―。コンピューターグラフィックス（ＣＧ）で再現した遺跡の映像を、現実の風景に重ねて見せる新技術を東大の研究室が開発。２０日までに、在りし日の高松塚の情景がよみがえった。 　高松塚の石室は、劣化した壁画を修復するため２００７年に解体された。現在は復元
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<![CDATA[ 　国宝、飛鳥美人に会いませんか <br />　奈良・高松塚をＣＧで再現 <br /><br />　特殊なゴーグルを着けて高松塚古墳（奈良県明日香村）を眺めると、石室が浮かび「飛鳥美人」が現れる―。コンピューターグラフィックス（ＣＧ）で再現した遺跡の映像を、現実の風景に重ねて見せる新技術を東大の研究室が開発。２０日までに、在りし日の高松塚の情景がよみがえった。 <br /><br />　高松塚の石室は、劣化した壁画を修復するため２００７年に解体された。現在は復元された芝生張りの墳丘があるだけだが、新技術により、石室に入って女子群像（飛鳥美人）や四神図の「玄武」「青竜」など、壁や天井に描かれた国宝壁画を間近に見る仮想体験ができる。 <br /><br />　東大の池内克史教授（情報工学）は「外から眺めても墳丘は土の山だが、中にあった石室や壁画を重ねれば、高松塚をより深く知ってもらえる」と期待している。 <br /><br />　ＣＧは０６年に奈良文化財研究所が撮った石室などの高精度な写真を使って作成。この技術を使ったイベント「バーチャル飛鳥京プロジェクト」が２１～２３日、国営飛鳥歴史公園（明日香村）で開かれ、希望者は実際に「高松塚の石室見学」をすることができる。  ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-20T18:18:07+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>津万遺跡</title>
<description> 　平安末期の墓から化粧道具 　兵庫、在地領主の女性か   　兵庫県西脇市の「津万遺跡」で平安時代末期の墓の中から、鏡や毛抜きなどの化粧道具一式が見つかり、兵庫県立考古博物館が１８日、発表した。 　化粧道具がそろって見つかるのはまれで、当時の風俗を探る上で貴重な史料となりそうだ。 　周辺は平家一門が所有した荘園だったとされており、同博物館は管理を任された在地領主の女性の墓の可能性があるとしている。当時、女
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<![CDATA[ 　平安末期の墓から化粧道具 <br />　兵庫、在地領主の女性か  <br /> <br />　兵庫県西脇市の「津万遺跡」で平安時代末期の墓の中から、鏡や毛抜きなどの化粧道具一式が見つかり、兵庫県立考古博物館が１８日、発表した。 <br /><br />　化粧道具がそろって見つかるのはまれで、当時の風俗を探る上で貴重な史料となりそうだ。 <br /><br />　周辺は平家一門が所有した荘園だったとされており、同博物館は管理を任された在地領主の女性の墓の可能性があるとしている。当時、女性の地位は高く在地領主も珍しくなかったという。 <br /><br />　化粧道具は縦１６６センチ、横１１０センチ、深さ２０センチの土壙墓の隅で見つかった。骨はなかった。 <br /><br />　鉄製のはさみは長さ１７センチ、鉄製の毛抜きは長さ８・５センチ、中国製の銅鏡は９センチ四方の正方形だった。直径６センチのつぼや青白磁の「合子」と呼ばれる直径５・７センチの円形の容器もあった。 <br /><br />　つぼには紅やおしろいを入れ、合子は紅などを使う際のパレットのような役割を果たしたらしい。同博物館は葬られた女性が生前に使用したとみており「対外的な儀礼で人前に出るときに化粧をしていたのでは」と推測している。 ]]>
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<dc:subject>其　他</dc:subject>
<dc:date>2009-11-19T20:13:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>阿部山遺跡群  </title>
<description> 　ミニチュア土器出土　◆渡米人の墓域か　明日香村阿部山の阿部山遺跡群で、６世紀中ごろ～後半の古墳２基が見つかり、石室跡から炊飯具をかたどった副葬品「ミニチュア土器」が出土した。明日香村教委が１７日発表した。ミニチュア土器は渡来人の古墳で出土例があることから、この一帯に渡来人の墓域が広がっていたとみられるという。　同遺跡群はキトラ古墳南方の丘陵にあり、遺跡の有無を確認するため、昨年５月から約５００平
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<![CDATA[ 　ミニチュア土器出土<br /><br />　◆渡米人の墓域か<br /><br />　明日香村阿部山の阿部山遺跡群で、６世紀中ごろ～後半の古墳２基が見つかり、石室跡から炊飯具をかたどった副葬品「ミニチュア土器」が出土した。明日香村教委が１７日発表した。ミニチュア土器は渡来人の古墳で出土例があることから、この一帯に渡来人の墓域が広がっていたとみられるという。<br /><br />　同遺跡群はキトラ古墳南方の丘陵にあり、遺跡の有無を確認するため、昨年５月から約５００平方メートルを調べた。<br /><br />　見つかった古墳はいずれも横穴式石室を持つ方墳（約１０メートル四方）だったが、後世に石材が抜かれたり盗掘されたりし、ほとんど原型は残っていなかった。<br /><br />　しかし、石室跡の床面からほぼ完形のミニチュア土器（高さ約２５センチ）など、渡来人の古墳からよく見つかる副葬品が出土した。遺跡近くには渡来系氏族の東漢氏（やまとの・あや・うじ）の居住域が広がり、氏族の有力者の墓だったとみられる。石室内にはくぎもあったため、木棺を埋葬していたらしい。<br /><br />　すぐ北側から１２～１３世紀の木棺墓も三つ見つかり、完形の青磁碗（わん）も出土した。当時高級品だった中国の龍泉窯（りゅう・せん・よう）産で、この周辺で強い勢力を誇っていた子嶋寺（高取町）と関係がある可能性が高いという。<br /><br />　現地説明会はないが、２１日午後１時から、同村川原の村中央公民館で発掘調査報告会がある。無料。  ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T18:22:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>湖と山をめぐる考古学</title>
<description> 　琵琶湖にまつわる考古学　本に　　 　琵琶博学芸員　研究成果を紹介   　琵琶湖博物館（草津市下物町）の学芸員、用田政晴さん（５４）＝彦根市船町＝が、琵琶湖にまつわる考古学を分かりやすく「湖と山をめぐる考古学」（サンライズ出版刊）にまとめた。湖底に水没していた粟津貝塚（大津市）の調査時のエピソードや、織田信長が大船から小船に切り替えた背景なども紹介している。 　滋賀県内で行った考古学の研究成果を知って
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<![CDATA[ 　琵琶湖にまつわる考古学　本に　　 <br />　琵琶博学芸員　研究成果を紹介  <br /> <br />　琵琶湖博物館（草津市下物町）の学芸員、用田政晴さん（５４）＝彦根市船町＝が、琵琶湖にまつわる考古学を分かりやすく「湖と山をめぐる考古学」（サンライズ出版刊）にまとめた。湖底に水没していた粟津貝塚（大津市）の調査時のエピソードや、織田信長が大船から小船に切り替えた背景なども紹介している。 <br /><br />　滋賀県内で行った考古学の研究成果を知ってもらうおうと、同館の情報誌などに発表した文章を集めた。 <br /><br />　粟津貝塚では、調査のために水を抜いた湖底を歩き、現在の２倍ほどあるセタシジミの貝殻を多数見つけた体験を紹介。信長は全長約５０メートルの大船を建造したが、すぐに小船に切り替えたのは、遠浅で淡水の琵琶湖に適したからと分析している。浅井長政の小谷城は、山岳寺院を利用して造られたという用田さんが考えた新説も披露している。 <br /><br />　用田さんは「生まれ育った滋賀には興味が尽きない。この本を琵琶湖博物館の副読本としても読んでほしい」と話している。Ａ５判４５８ページ、３１５０円。  ]]>
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<dc:subject>滋　賀</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T18:07:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>京田辺市の文化財展</title>
<description> 　出土の耳飾りや埴輪、石器並ぶ　 　京田辺　中央図書館で文化財展   　京田辺市内の古墳から出土した埴輪（はにわ）や、縄文時代の石器などを集めた「京田辺市の文化財展」が１７日、同市田辺の市立中央図書館で始まった。 　文化財保護強化月間（１１月）に合わせて市教委が企画した。遺跡から発掘された耳飾りや須恵器、埴輪などを中心に文化財９点と、仏像の写真パネル１８枚を展示している。 　山崎神社（京田辺市三山木）所
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<![CDATA[ 　出土の耳飾りや埴輪、石器並ぶ　 <br />　京田辺　中央図書館で文化財展  <br /> <br />　京田辺市内の古墳から出土した埴輪（はにわ）や、縄文時代の石器などを集めた「京田辺市の文化財展」が１７日、同市田辺の市立中央図書館で始まった。 <br /><br />　文化財保護強化月間（１１月）に合わせて市教委が企画した。遺跡から発掘された耳飾りや須恵器、埴輪などを中心に文化財９点と、仏像の写真パネル１８枚を展示している。 <br /><br />　山崎神社（京田辺市三山木）所蔵の石棒は全長約４０センチの円筒形の棒で、縄文時代後期（３０００～４０００年前）の祭祀（さいし）に使ったとみられる。６世紀ごろの堀切古墳（同市薪）から出土した武人埴輪は近畿地方を代表する人物埴輪で、顔の入れ墨を表現した模様を見ることができる。２２日まで。無料。  ]]>
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<dc:subject>京　都</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T18:06:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>ミイラをＣＴ検査</title>
<description> 　古代エジプト人も動脈硬化に 　ミイラをＣＴ検査し判明   　現代の生活習慣が主な原因とされる動脈硬化が古代エジプトの時代にも存在したことが、米研究チームのミイラへのコンピューター断層撮影装置（ＣＴ）による調査で分かり、１７日にフロリダ州で開かれた米心臓学会で発表された。ＡＰ通信が報じた。　中部アメリカ心臓研究所（ミズーリ州カンザスシティー）のランドール・トンプソン医師は「ファストフードや喫煙、運動不
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<![CDATA[ 　古代エジプト人も動脈硬化に <br />　ミイラをＣＴ検査し判明  <br /> <br />　現代の生活習慣が主な原因とされる動脈硬化が古代エジプトの時代にも存在したことが、米研究チームのミイラへのコンピューター断層撮影装置（ＣＴ）による調査で分かり、１７日にフロリダ州で開かれた米心臓学会で発表された。ＡＰ通信が報じた。　中部アメリカ心臓研究所（ミズーリ州カンザスシティー）のランドール・トンプソン医師は「ファストフードや喫煙、運動不足などの現代的なリスク要素が動脈硬化の原因と考えられているが、今回の結果は必ずしもそれだけではないことを示している」と語った。 <br /><br />　ＡＰによると、研究チームはエジプトで保存されている紀元前１９８１～紀元３３４年のミイラ２２体にＣＴスキャンを実施。うち９体に動脈硬化の症状が見られ、１体には心臓発作が起きた形跡があった。 <br /><br />　カリフォルニア大サンディエゴ校のマイケル・ミヤモト医師は「ミイラと現代の患者の動脈硬化が似ているのにびっくりした」と述べた。 <br /><br />　２２体のうち身元が特定されているものはすべて、古代王朝の高官や高僧など社会的身分が高く、トンプソン医師は「（当時）裕福な者は塩漬けの肉を食べたので、高血圧になったのかもしれない」と推測している。 ]]>
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<dc:subject>外　国</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T18:00:11+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>国史跡・高麗寺跡</title>
<description> 　高麗寺の廃絶時期、土器で特定 　木津川　碗の製作手法で判明   　飛鳥時代創建とされる国史跡・高麗（こま）寺跡（京都府木津川市山城町上狛（かみこま））の発掘調査で木津川市教委は17日、回廊外の溝から出土した土器や瓦から、高麗寺が平安時代末期から鎌倉時代初期の間に廃絶したことが分かった、と発表した。古代寺院の廃絶時期が特定されることは数少ないという。 　高麗寺はこれまで、文献や出土品から９世紀初頭に最後
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<![CDATA[ 　高麗寺の廃絶時期、土器で特定 <br />　木津川　碗の製作手法で判明  <br /> <br />　飛鳥時代創建とされる国史跡・高麗（こま）寺跡（京都府木津川市山城町上狛（かみこま））の発掘調査で木津川市教委は17日、回廊外の溝から出土した土器や瓦から、高麗寺が平安時代末期から鎌倉時代初期の間に廃絶したことが分かった、と発表した。古代寺院の廃絶時期が特定されることは数少ないという。 <br /><br />　高麗寺はこれまで、文献や出土品から９世紀初頭に最後の瓦の葺き替え修理があったことが判明し、平安期に廃絶したとされていたが、明確な時期は不明だった。 <br /><br />　今回の調査では、溝内から見つかった大量の土器のうち、食事などに使われた碗（わん）の製作手法が、12世紀末から13世紀初頭にかけてのものと一致。西回廊の瓦とともに出土していることから、市教委は「同時期に回廊が倒壊し、溝の排水機能も失われ、寺が廃絶した」としている。 <br /><br />　調査を行った溝は、西回廊と平行して南北に走り、回廊内への雨水の浸入を防ぐ役割があったとみられる。長さ約40メートルあり、北に進むに従って細く、浅くなり、最大で幅約３メートル、深さ約１・７メートルあった。過去の調査で見つかった西辺築地外の溝や南回廊の下を潜る地下水路と合わせ、「古代寺院では数少ない、境内の排水システムが明らかになった例」（市教委）という。 <br /><br />　調査ではほかに、溝内から平城宮内など限られた場所からしか出土例のない恭仁（くに）宮式文字瓦や播磨産の完形軒平瓦も出土した。 <br /><br />　<strong><span style="color:#990000">現地説明会は21日午前10時と午後１時。</span></strong>問い合わせは木津川市役所Tel:０７７４（72）０５０１内の市教委文化財保護室。  ]]>
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<dc:subject>京　都</dc:subject>
<dc:date>2009-11-18T17:55:59+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>纒向遺跡・巨大建物跡</title>
<description> 　２日間の説明会　1万1300人訪れる　邪馬台国の中枢施設の可能性がある巨大建物跡（３世紀前半）が見つかった桜井市の纒向（まき・むく）遺跡で開かれていた現地説明会が１５日、終わった。参加者は２日間で計約１万１３００人に達した。　初日の１４日は朝まで雨が降り続いた影響で約３６００人にとどまったが、１５日は早朝から多くの人が訪れたため、説明を１時間以上前倒しし、午前８時５０分に開始。終了予定も１時間延長し
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<![CDATA[ 　２日間の説明会　1万1300人訪れる<br /><br />　邪馬台国の中枢施設の可能性がある巨大建物跡（３世紀前半）が見つかった桜井市の纒向（まき・むく）遺跡で開かれていた現地説明会が１５日、終わった。参加者は２日間で計約１万１３００人に達した。<br /><br />　初日の１４日は朝まで雨が降り続いた影響で約３６００人にとどまったが、１５日は早朝から多くの人が訪れたため、説明を１時間以上前倒しし、午前８時５０分に開始。終了予定も１時間延長し、午後４時の終了までに約７７００人が詰めかけた。 ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-16T17:46:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>二条城：「女院御殿」の遺構</title>
<description> 二条城：「女院御殿」の遺構　後水尾天皇の訪問裏付け　京都市埋蔵文化財研究所は１３日、中京区の二条城本丸御殿南側で、１６２６（寛永３）年に後水尾天皇の行幸のため５日間だけ存在した「行幸御殿」の一部「女院御殿」とみられる柱や溝の跡が見つかったと発表した。行幸御殿の存在はさまざまな絵図や文献などで裏付けられているが、建物の痕跡が実際に見つかったのは初めて。研究所は「当時の将軍・徳川家光の威光や天皇家との
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<![CDATA[   二条城：「女院御殿」の遺構　後水尾天皇の訪問裏付け<br /><br />　京都市埋蔵文化財研究所は１３日、中京区の二条城本丸御殿南側で、１６２６（寛永３）年に後水尾天皇の行幸のため５日間だけ存在した「行幸御殿」の一部「女院御殿」とみられる柱や溝の跡が見つかったと発表した。行幸御殿の存在はさまざまな絵図や文献などで裏付けられているが、建物の痕跡が実際に見つかったのは初めて。研究所は「当時の将軍・徳川家光の威光や天皇家との関係をうかがわせる貴重な発見」としている。<br /><br />　二条城防災施設整備事業に伴い、今年９月から約７５０平方メートルを調査。２メートル間隔で南北に並ぶ柱の礎石やその跡を計２０基検出した。柱の直径は約３０センチだったとみられる。また、建物を取り巻く形で溝の跡も見つかった。<br /><br />　後水尾天皇は１６２６年９月、家光の招きで二条城を訪問。立派な御殿が建造され、使用後すぐに解体、御所へ移築されたことが分かっている。絵図によると、発掘された場所は女院御殿の一部で、台所に付属する建物と考えられるという。<br /><br />　また、今回の調査では、江戸時代前期の金ぱく瓦約５０点や寛永通宝、建具の引き手とみられる金属なども出土した。<strong><span style="color:#990000">現地説明会は１６日午前１０時～正午。</span></strong>二条城の入場料が必要。問い合わせは現地事務所（０８０・５３２４・７９２０）。 ]]>
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<dc:subject>京　都</dc:subject>
<dc:date>2009-11-15T06:24:13+09:00</dc:date>
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<title>纒向遺跡の現地説明会</title>
<description> 「卑弥呼の宮殿」にぎわう   奈良・纒向遺跡で現地説明会  　「女王卑弥呼の宮殿」の可能性がある３世紀前半の国内最大の建物跡が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡で１４日、現地説明会が開かれた。集まった大勢の考古学ファンは「これが出た以上、邪馬台国は大和で決まり」と“太鼓判”を押した。 　午前中だけで約１６００人が見学。配布された資料を手に市教育委員会の担当者の説明に耳を傾けた。 　前夜からの雨の影響で発掘現
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<![CDATA[   「卑弥呼の宮殿」にぎわう <br />  奈良・纒向遺跡で現地説明会  <br /><br />　「女王卑弥呼の宮殿」の可能性がある３世紀前半の国内最大の建物跡が見つかった奈良県桜井市の纒向遺跡で１４日、現地説明会が開かれた。集まった大勢の考古学ファンは「これが出た以上、邪馬台国は大和で決まり」と“太鼓判”を押した。 <br /><br />　午前中だけで約１６００人が見学。配布された資料を手に市教育委員会の担当者の説明に耳を傾けた。 <br /><br />　前夜からの雨の影響で発掘現場は水がたまり、関係者が早朝からポンプで水をくみ出すなど準備。ＪＲも最寄りの巻向駅へ臨時電車を運行した。 <br /><br />　纒向遺跡は邪馬台国の有力候補地とされる。今回見つかった建物跡と、西側の小規模の３棟は東西一直線に整然と並んでいたことも分かり、市教委は同遺跡の中枢部としている。 <br /><br />　<strong><span style="color:#990000">現地説明会は１５日も午前１０時から午後３時まで開かれる。</span></strong> <br /><br /><br /><br />　「卑弥呼の里」纒向遺跡に３６００人<br /><br /> 　邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿の可能性がある大型建物跡が見つかった桜井市の纒向（まきむく）遺跡で１４日、開かれた現地説明会。午後からは晴れ間が広がり、約３６００人の考古学ファンが詰めかけた。周辺では長蛇の列ができ、「卑弥呼の里」ブランドの地場物産をＰＲするテントも並ぶなど、お祭りムードに包まれた。<br /><br />　この日は雨の影響で開催が危ぶまれたため、桜井市教委で早朝から開催か中止かを尋ねる電話が相次ぐ一方、職員約５０人が現地で準備に追われた。開始時刻が近づくと、最寄りのＪＲ桜井線巻向駅で電車が到着するたびに大勢の人たちが降り立ち、現地の受付まで長蛇の列。入場制限も行われ、反響の大きさをうかがわせた。<br /><br />　ようやく「卑弥呼の館」を前にした考古学ファンは、遺構に見入りながら当時に思いをはせた。斑鳩町の測量会社員、出来島行朗さん（６０）は「建築の測量、整地が緻密（ちみつ）。現代の技術にも通じるのでは」と感激。また、今回の調査に参加し、この日は案内役を務めたアマチュア考古学者で俳優の苅谷俊介さん（６２）は「関東では遺跡の現地説明会に１００人もくれば万々歳なのに…」と、人だかりに目を細めていた。<br /><br />　一方、会場では地場物産の販売コーナーも登場した。卑弥呼をイメージした古代衣装を着た地元の女性ボランティアたちが、「卑弥呼の里」ブランドで統一した地酒や三輪そうめんなどを販売。大発見は地域おこしにもつながりそうで、桜井市観光協会の松井正剛会長（５６）は「纒向を市内の他の観光地とからめながらストーリーになる巡り方を考えたい」と意欲を見せていた。<br /><br />　現地説明会は１５日も午前１０時～午後３時に行われる。 ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-15T06:06:53+09:00</dc:date>
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<title>纒向遺跡</title>
<description> 　石張り溝を発見 - 「卑弥呼後」豪族居館跡か　　5世紀末～6世紀前半 　女王・卑弥呼の宮殿とされる3世紀前半の大型建物跡が見つかった桜井市辻の纒向遺跡で、5世紀末から6世紀前半の石張り溝が見つかったことが、12日までに分かった。調査した市教育委員会は周辺に点在する同時期の埋没古墳に関連した豪族の居館に伴う溝と推定。「卑弥呼後」の周辺地域の姿を知る貴重な資料になりそうだ。　市教委によると、溝は幅約4メートル、
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<![CDATA[ 　石張り溝を発見 - 「卑弥呼後」豪族居館跡か　　5世紀末～6世紀前半<br /><br /> 　女王・卑弥呼の宮殿とされる3世紀前半の大型建物跡が見つかった桜井市辻の纒向遺跡で、5世紀末から6世紀前半の石張り溝が見つかったことが、12日までに分かった。調査した市教育委員会は周辺に点在する同時期の埋没古墳に関連した豪族の居館に伴う溝と推定。「卑弥呼後」の周辺地域の姿を知る貴重な資料になりそうだ。<br /><br />　市教委によると、溝は幅約4メートル、深さ約50センチで、南北長さ約10メートルと確認。両岸にはこぶし大の石を張りつめ、出土土器から5世紀末～6世紀前半に機能していたとみられる。 ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-13T18:39:46+09:00</dc:date>
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<title>久保遺跡</title>
<description> 　長野で石器・石片１８００点出土 　後期旧石器時代   　長野県佐久穂町畑の満り久保遺跡で、約１万５千年前の黒曜石製の石やり「槍先形尖頭器」など後期旧石器時代の石器・石片が約１８００点出土し、同県埋蔵文化財センターが１２日、発表した。 　現場は千曲川沿いの高台。黒曜石原産地の麦草峠に近い池の平遺跡群（佐久穂町）と、消費地と考えられる矢出川遺跡群（同県南牧村）を結ぶ八ケ岳の東ふもとに位置する。旧石器時代
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<![CDATA[ 　長野で石器・石片１８００点出土 <br />　後期旧石器時代  <br /> <br />　長野県佐久穂町畑の満り久保遺跡で、約１万５千年前の黒曜石製の石やり「槍先形尖頭器」など後期旧石器時代の石器・石片が約１８００点出土し、同県埋蔵文化財センターが１２日、発表した。 <br /><br />　現場は千曲川沿いの高台。黒曜石原産地の麦草峠に近い池の平遺跡群（佐久穂町）と、消費地と考えられる矢出川遺跡群（同県南牧村）を結ぶ八ケ岳の東ふもとに位置する。旧石器時代の遺跡の空白地帯だった。石器の製作場所とみられる。 <br /><br />　同センターは「黒曜石で石やりを製作しながら移動生活をしていた旧石器人の行動解明につながる発見だ」としている。 <br /><br />　遺物が見つかったのは、耕作地の土中で２５メートル四方の範囲。約１８００点のほとんどが石やりの製作時に出たとみられる破片などだが、槍先形尖頭器２３点（最大長さ約５センチ）や、獲物の皮をはぐことなどに使われた石器「スクレイパー」１０点も含まれる。 <br /><br />　中部横断自動車道建設に伴う調査。<strong><span style="color:#990000">現地説明会は１４日午前１０時半～午後２時半に行われる。</span></strong>  ]]>
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<dc:subject>其　他</dc:subject>
<dc:date>2009-11-13T18:02:00+09:00</dc:date>
<dc:creator>t□o□u□m□a□i</dc:creator>
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<title>纒向遺跡</title>
<description> 　廃材捨てた？穴の一部　　纒向遺跡 - 大型建物跡の南　女王卑弥呼の宮殿とみられる3世紀前半の大型建物跡が見つかった桜井市辻の纒向遺跡で、廃材などを捨てた穴の一部が見つかっていたことが、11日までに分かった。大型建物跡が廃絶した3世紀中ごろの遺構とみられ、上部構造の解明につながる可能性もある。　大型建物跡の数メートル南側で穴のふちを確認。直径5～6メートルに達する可能性もあり、南に向けてさらに深くなってい
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<![CDATA[ 　廃材捨てた？穴の一部　　纒向遺跡 - 大型建物跡の南<br /><br />　女王卑弥呼の宮殿とみられる3世紀前半の大型建物跡が見つかった桜井市辻の纒向遺跡で、廃材などを捨てた穴の一部が見つかっていたことが、11日までに分かった。大型建物跡が廃絶した3世紀中ごろの遺構とみられ、上部構造の解明につながる可能性もある。<br /><br />　大型建物跡の数メートル南側で穴のふちを確認。直径5～6メートルに達する可能性もあり、南に向けてさらに深くなっていた。中は未発掘だが、加工された板材やかごのような遺物が確認された。  ]]>
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<dc:subject>奈　良</dc:subject>
<dc:date>2009-11-12T17:37:14+09:00</dc:date>
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