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 鎌倉時代から戦国期にかけての道と建物跡発掘 亀山・小野城跡

 三重県埋蔵文化財センターは21日、亀山市小野町の小野城跡の発掘調査で、城内を通る道と、道に沿って造られた多くの建物跡を発見したと発表した。現地説明会を24日午後1時半から開く。

 小野城跡は、鎌倉時代から戦国時代にかけての城跡。城主は鎌倉時代の「三日平氏の乱」の首謀者の若菜五郎とも、室町時代から戦国時代にかけて鈴鹿郡を支配していた関氏の家来の小野氏とも、伝えられている。

 城内を通る道の跡は鎌倉時代から戦国時代にかけてのもので、幅は2・1メートル。見つかった部分で長さは45メートルだった。亀山方面から関方面に向かうための道らしい。小野城跡から西へ2キロの地点には国の史跡にもなっている正法寺山荘があり、そこへ向かうための道だったとも考えられる。

 さらに、道の南側で鎌倉時代から戦国時代にかけての多くの建物跡を確認。開元通宝や嘉祐通宝などの銅銭も出土し、当時多くの貨幣が流通していたこともわかった。

 今回の発掘調査は、国道1号関バイパス建設に伴う事前調査で、今年8月から約2300平方メートルを調査した。調査地は城の中心部分の北に隣接する部分という。

 末盧国王墓の甕棺を発見
 佐賀県唐津市で63年ぶり

 中国の史書「魏志倭人伝」に記された「末盧国」があったとされる佐賀県唐津市の桜馬場遺跡で、戦時中に出土したが埋め戻され行方が分からなくなっていた甕棺が63年ぶりに出土した。多数の副葬品も見つかり、末盧国の王墓を特定する発見として唐津市教育委員会が21日、発表した。

 市教委は「弥生時代のクニのうち、王墓の位置が特定されたのは、三雲南小路遺跡と平原遺跡(いずれも福岡県)に次いで3例目」としている。

 市教委によると、1944年11月、防空壕を掘る工事中に甕棺のほか、復元され国の重要文化財に指定された「流雲文縁方格規矩四神鏡」などが出土。甕棺はそのまま埋め戻され、現場は住宅地や駐車場になっていた。

 丹波竜の2次発掘始まる
 今度は「骨盤」に期待

 ティタノサウルス類とみられる大型草食恐竜「丹波竜」の化石が見つかっている兵庫県丹波市の篠山川沿いで、兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市)が20日、第2次発掘調査を始めた。

 白亜紀前期(約1億4000万−1億2000万年前)の地層から、骨盤部分が埋まっているとみられる約5メートル四方を発掘。すでに骨盤の一部を構成する骨が確認されており、腰の部分が集中的に見つかる可能性が高いという。

 20日午前10時半から、化石が埋まっている泥岩層の上の地層を重機で砕いた。本格的な発掘は1月初めからで、第2次発掘は来年3月まで。

 昨年夏に化石を発見。今年3月までの第1次発掘で尾の柱に当たる円柱状の尾椎や頭骨の一部、肋骨などが見つかった。

 弥生期の琴復元

 鳥取市の弥生時代中期後半(紀元前100年ごろ)の集落跡・青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡で出土した杉板を基に、深沢芳樹・奈良文化財研究所考古第3研究室長が琴を復元した。10日に松山市考古館で、18日には大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で演奏会が開かれる。

 杉板は中央にシカ、左右に羊各2頭の絵を彫って描いた長さ37・8センチ、幅5・8センチ、厚さ1センチ。近くで杉板6枚で作った箱形の共鳴装置付きの琴が、押しつぶされた状態で出土。絵のある杉板は、それより一回り大きかったが、形が似ていたことなどから別の琴の側板とわかった。

 深沢室長は絵のある側板を使った琴の復元を考え、弥生時代に一般的な目が細かい杉板(九州産)を入手。出土した琴を調べたところ、側板の内側は共鳴をよくするためにえぐられており、弦は留め跡から4本だったことを突き止めた。

 アイヌのトンコリという弦楽器を参考に絹糸、シカの腱(けん)、植物のカラムシで弦を製作。天理大講師、中村箏山さん(奈良市)から弦の結び方、留め方などの指導を受けて完成させた。琴は儀礼祭祀(さいし)で使われ、中心のシカが神の意志を伝える重要な役割を担ったとしている。

 演奏会では元桐朋音楽大非常勤講師、深沢舞さん作の4弦の音で構成した曲を、松山市の正派邦楽会大師範、前谷雅貴さんが演奏する。深沢室長は「琴は神と人間をつなぎ、神に降りてもらう重要な道具。多くの人々の協力で復元できた」と話し、参加を呼びかけている。

 銅鐸と銅戈、一緒に埋納
 東日本初、長野・柳沢遺跡

 長野県埋蔵文化財センターは1日、弥生時代の青銅製祭器「銅戈」2本が先月出土した中野市の柳沢遺跡で、新たに青銅製祭器「銅鐸」の破片2点と銅戈5本が見つかったと発表した。銅鐸と銅戈が一緒に埋納されており、こうした出土例は神戸市桜ケ丘遺跡など全国に数例しかなく、東日本では初めて。

 銅鐸、銅戈は畿内や北部九州での出土が多いが、今回の発見は弥生社会の成り立ちや青銅器文化の広がりについて見直しを迫る貴重な資料となりそうだ。

 センターによると、破片2点から銅鐸を復元すると、高さは約20センチ程度で比較的小型という。銅戈はやりの穂先に似た形で、大阪湾周辺で多く見つかっている「大阪湾型」とみられる。

 調査は千曲川の築堤工事に伴うもので、8月に開始。10月に生活排水路周辺を発掘した際、2本の銅戈が見つかった。

 防人が作った食器用土器か
 唐津の中原遺跡で出土

 北部九州防衛のため東国から赴任した防人が作ったとみられる食器用土器が、佐賀県唐津市の中原遺跡で見つかった。同市の「古代の森会館」で30日から開く「古代の中原遺跡」展で公開される。

 原料の土は地元のほかの土器と同じだが、8世紀ごろ相模国(神奈川県)で作られていた「相模型杯」と同型であることが確認され、相模出身の防人がこの地域に派遣されていたことをうかがわせる。

 中原遺跡では一昨年、甲斐国(山梨県)出身の防人の存在を示す木簡も出土した。

 唐津市教育委員会によると、土器は口径約14センチ、高さ約4センチ。へらで表面を削った際に砂粒がこすれてできる小さな溝が多いなど、相模型杯の特徴を備えている。破片をつなぎ合わせ、全体の3分の2ほどが復元された。

 弥生時代の銅戈2本出土
 長野、東日本に青銅文化か

 長野県埋蔵文化財センターは22日、中野市の柳沢遺跡で、弥生時代の青銅製祭器「銅戈(どうか)」が2本出土したと発表した。東日本では群馬県で破片の出土例があるが、完全な形での出土は極めて珍しく、複数出土したのは初めて。同センターは、弥生時代、この地域にも西日本のように青銅器を使用した文化圏が存在した可能性を指摘している。

 同センターによると、出土した銅戈は全長32・3センチ、最大幅13・9センチと、全長36・0センチ、最大幅17・2センチの2本。ともにやりの穂先に似た形。地面から約1・5メートル下で2本が密着して埋納されているような状態で見つかった。形式は畿内で出土する大阪湾型の可能性が高いという。

 銅戈はそれぞれ17日と19日に出土し、同センターがさらに遺物がないか調査している。

 銅戈は古代中国の武器で、大陸から朝鮮半島を経由して日本に伝わり、後に祭器になった。

 善光寺に鎌倉時代の造成跡
 幕府挙げての寄進裏付け

 長野市教育委員会は18日、同市の善光寺境内にある元善町遺跡で、鎌倉時代の大規模な土地造成による石積みや盛り土などが見つかったと発表した。源頼朝や北条氏が善光寺を深く信仰、鎌倉幕府を挙げて建物を寄進したとする歴史書の記述を裏付ける初めての遺構発見という。

 遺跡は善光寺南側の「仁王門」の東側。発掘した区画の南側に直径60−90センチの石を1列に並べた石積みがあり、粘土を突き固めてのり面が崩れないようにした上で、北側に約1メートルの高さまで土が盛られていた。盛り土の上面は水平にならされ、建物の礎石とみられる石が3カ所に配置されていた。

 また盛り土には10−12世紀の土器片や、鎌倉時代前期に登場した「巴文」の瓦片などが大量にまじっており、鎌倉時代初期から半ばの造成と判明。焼けた壁土なども見つかり、境内で大きな火災が起きた後、整地したとみられる。

 国内最古級、恐竜の頭骨化石
 熊本・御船で発見

 熊本県御船町の山中にある約8500万年前(白亜紀後期前半)の地層から、草食恐竜ハドロサウルス類の頭骨の化石が見つかり、13日、御船町恐竜博物館が発表した。同類の化石はこれまで、主に北米やアジアの8300万−6500万年前(白亜紀後期後半)の地層から発見されており、今回の化石は国内最古級という。

 日本では北海道と福島、兵庫両県で発見例があるが、頭骨の化石が見つかったのは初めて。

 御船町恐竜博物館の池上直樹学芸員(39)は「ハドロサウルス類が進化していく過程を解明する手がかりになる」と話している。

 化石は2004年2月、熊本県益城町のアマチュア研究家が御船町の小川で発見。岩石部分を削るクリーニング作業を経て、ハドロサウルス類の頭骨部分と判明した。

 考古博物館 13日オープン 「参加体験型」展示で触れて、学べる

 展示品を見るだけの博物館から、触れて体感することのできる新しいスタイルの「参加体験型博物館」の県立考古博物館が13日、播磨町大中の史跡公園・大中遺跡の南隣に開館する。子供からお年寄りまで楽しめる施設として期待されている。

 鉄筋平屋地下2階建て延べ約8300平方メートル。主な展示室は1階に設置し、旧石器時代(約3万年前)から平安時代まで、県内で発掘された約2100点の出土品を展示する。

 考古学や発掘調査について見て、触れて、体験しながらやさしく学べる「発掘ひろば」、本物の出土人骨や石器、ナウマンゾウの狩りの様子を再現したジオラマ、復元された古代船や石棺などを並べた「テーマ展示室」、国宝・重要文化財級の貴重な資料や最新の発掘調査成果を展示した「特別展示室」のほか、勾玉(まがたま)や古代食づくりなどができる体験学習室(3室)がある。

 地階には土器などの復元作業が見学できる「バックヤード見学デッキ」を設けた。

 屋上は、周辺の史跡公園などに配慮し、緑化庭園として一部を開放。西側には古代建築をモチーフにした展望塔(高さ約22メートル)を建設、付近を一望できるようにした。

 開館を記念して、来年3月9日までの間、古代人の暮らしなどに思いをはせる講演会や各種のイベントを予定している。

 オープンの13日は、午前10時から記念式典を行い、一般の入館は午後1時から。入館料は11月25日までの特別展開催中が大人500円▽高校・大学生400円▽小・中学生250円。開館時間は午前9時半〜午後5時。月曜日は休館。

 問い合わせは、同博物館企画広報課((電)079・437・5589)。

 縄文時代の古木を無償配布
 新潟 希望者は「夢がある」

 新潟県は26日、中越沖地震後に柏崎市から出雲崎町にかけての沖合の海底約70−100メートルで見つかった古木を出雲崎町で、希望者に無償で配布した。山形大などの調査では、縄文時代中期から後期の古木という。

 県水産課によると、大きいもので長さ約1メートル、直径約0・4メートル。地震で海底の砂層から浮かび上がったとみられる。地元漁協が、網に古木がかかり漁に支障が出ていると報告。県が約290トンを回収していた。

 配布は1人20個まで。希望者はスコップで、旧小学校のグラウンドに約1・5メートルの高さに積まれた古木の“山”を掘り、袋に入れて持ち帰った。新潟市南区の女性(66)は「縄文時代なんて夢がある。趣味の生け花に活用できるか考える」と話していた。

 大宰府長官のベルト飾りか
 条坊跡で出土

 古代の九州統治の中心だった大宰府条坊跡(福岡県太宰府市)で、平安時代に一握りの上流貴族だけが着用を許された革のベルト「白玉帯」に使われた白い石飾りが出土した。同市教育委員会が4日、発表した。

 市教委によると、石飾りは縦2・6センチ、横4・2センチ、厚さ0・7センチのかまぼこ形。銀の糸が付着しており、この糸で白玉帯に縫い付けられていたとみられる。

 当時、大宰府政庁で白玉帯を着用できたのは、トップの大宰帥(長官)か、その代理で赴任した大宰権帥だけだった。大宰帥に関係する遺物の出土は極めて珍しい。

 石飾りは形状や出土状況から9−10世紀ごろのもので、権力闘争に敗れた菅原道真が左遷され大宰権帥になった時期が含まれる。

 一般向け現地説明会が8日午前10時から、西鉄操車場跡地(太宰府市朱雀3丁目)で開かれる。

 国内最古級の双室墳 土器に動物の足跡も 姫路

 姫路市四郷町見野の見野古墳群の6号墳が、一つの墳丘に二つの横穴式石室が並列する双室墳(そうしつふん)としては兵庫県内で最も古いことが31日、同市教委と立命館大の発掘調査で明らかになった。全国でも最古級という。石室内からは全国でも珍しい小動物の足跡が付いた器も出土した。(大島光貴)

 市教委などによると、六号墳は、副葬品の須恵器から、六世紀後半に築かれたことが判明。推古天皇の最初の陵墓と有力視されている植山古墳(奈良県橿原市)と同時期に当たり、全国で約三十あるとされる双室墳の中でも最古級という。

 出土した金銀の耳飾りの数などから、東と西の石室に、見野地域を治めていた権力者と、その親族ら近しい関係の人物計七人以上が埋葬されていたと考えられる。

 また、東石室から出土したふた付きの小皿の杯身(つきみ)=直径十五センチ=から、イタチやタヌキ、イヌなどのものとみられる長さ三センチ前後の足跡が見つかった。六世紀末から七世紀初頭の器で、焼く前に屋外で乾燥させていたところ、踏まれて付いたとみられる。

 見野古墳群は六世紀後半から七世紀中ごろに築かれた十数基からなり、一部は市の指定重要有形文化財。昨年度から六号墳と三号墳を対象に発掘調査している。

 発掘した立命館大文学部の南部裕樹講師は「想定していない成果で驚いた。この地が群集墳を造る中で独自性を持っていたことがうかがえる。双室墳自体の研究が進んでおらず、注目を集めるきっかけになれば」と話している。

 二日午後一時半から現地説明会がある。姫路市埋蔵文化財センターTEL079・252・3950

 最大の坑道を公開

 世界遺産に登録された島根県大田市の石見銀山遺跡で31日、600以上ある坑道のうち最大の「大久保間歩」が、登録後初めて市民に公開された。

 地元の人ら20人余りが、入り口から約150メートル奥へ。深さ約25メートルの縦坑や、岩盤を削った生々しいのみ跡を間近に見て、大田市出身で千葉県習志野市の坂本忠氏さん(69)は「思ったより広くて、よくこんなに掘ったもんだとびっくりした」と話した。

 大久保間歩は坑道の高さ2−5メートル、幅2−3メートル。初代石見銀山奉行大久保長安(1545−1613年)にちなんで名付けられ、江戸時代初期から明治まで採掘した。

 これまで県の主催で年数回、探索ツアーを開くだけだったが、大田市が新しい見学ルートの目玉にするため、照明器具を付けるなど安全対策をし、来年4月から予約した参加者のツアー形式で一般公開する予定。

 ヒョウタン形の弥生式土器  福岡で出土、祭祀用か

 福岡市教育委員会は22日、福岡市西区の元岡遺跡から、ヒョウタンのような形をした弥生時代中期後半(1世紀ごろ)の弥生式土器が見つかったと発表した。

 市教委によると、ヒョウタン形の弥生式土器は福岡市と長崎県壱岐市で過去に計6例出土しているが、いずれも頭部の破片のみ。全体像が復元できたのは初めてという。表面を磨いて赤い顔料を塗っていることなどから、祭祀用の土器とみられる。

 土器は高さ約31・1センチ。胴部からすぼまりながら上にのびて、頭部が小さく膨らんでいる。ほぼ球形の胴部の直径は約22センチで、胴部の真ん中に直径約7・2センチの円形の穴がある。

 福岡市埋蔵文化財センターで25日から9月9日まで展示予定。市の担当者は「用途が分からないこの『謎の土器』の使い道を想像してほしい」と話している。


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