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 飛鳥京跡の発掘成果紹介
 橿考研博秋の特別展開幕

 飛鳥時代に歴代天皇の宮殿が営まれた飛鳥京跡(明日香村)の発掘成果を紹介する、県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)の秋季特別展「宮都 飛鳥」(読売新聞大阪本社など後援)が4日、開幕した。飛鳥京の研究を大きく前進させた貴重な遺物の数々に、訪れた考古学ファンらが、1300年以上前の「首都」の様子に思いを巡らせていた。11月30日まで。

 同研究所創立70周年の記念企画で、飛鳥京跡から出土した土器や木簡(レプリカ)、柱材など695点を展示。石組みの溝や石敷きの広場など遺構の写真パネルも並び、約半世紀にわたる発掘調査の様子をたどることができる。

 大和高田市三和町、無職上西千津比古さん(85)は「それぞれの遺跡が発掘された当時のことを思い出し、あらためて飛鳥を身近に感じました」と話していた。

 木簡の実物は18、19日、11月15、16、22、23日に展示。10月19日、11月2、23日の午後1時からは、同研究所の講堂で博物館学芸員らが飛鳥京跡の調査成果や出土した木簡などについて講演する。問い合わせは同館(0744・24・1185)。

 高松塚壁画、修理用樹脂にカビ
 壁画のカビとの関連調査

 文化庁は30日、高松塚古墳(奈良県明日香村)の国宝壁画の劣化原因を調査する検討会で、過去の修理の際にアクリル樹脂を注入した個所に1−2カ月後、カビが発生していたと公表した。

 アクリル樹脂は文化財修復に海外でも広く使われている。壁画修復を担当する東京文化財研究所が最近の実験でカビが生えることを確認。文化庁は、樹脂と壁画のカビ発生に関連があるかどうか調べる。

 同研究所が1976−83年までの作業日誌を整理。78−80年に、絵の下地になっているしっくいのはく落防止に樹脂を使った東西の壁などで、修理直後にカビが見つかっていたことが分かった。

 樹脂は少なくとも76年から2001年まで使用されたという。同研究所は、樹脂にはカビの栄養分がないため、不純物が混ざった影響も考えられるとしている。

箸墓古墳の発掘

 ◆墳丘外周から解明

 箸墓古墳の発掘はすでに始まっている。何をバカなと言われるかもしれない。だが、ここ十数年の間に箸墓の周辺で行われた小規模な発掘で、墳丘を取り巻く周濠(しゅう・ごう)や堤の様子がだいぶわかってきた。墳丘の外とはいえ、そこは古墳の一部。将来、墳丘が発掘される時がくれば、近年の発掘は箸墓発掘の前史であり、開始でもあると位置づけられるであろう。

 98年の桜井市教委の発掘が画期的だった。住宅の建て替えに伴う約170平方メートルという狭い範囲だが、後円部の墳丘と隣接したところ。周濠(幅約10メートル、深さ約1・3メートル)と堤、堤と墳丘をつなぐ陸橋(底の幅約5メートル)を検出した。それ以前の前方部での発掘と合わせ、周濠が後円部と前方部の全体に巡っていることが確実となった。

 00年には前方部南側の角付近の様子がわかった。やはり住宅建設に伴う桜井市教委の発掘で、墳丘のすそ、周濠、堤の遺構を検出したのだ。ところが、堤の外側も溝状に落ち込んでいて、深さ約1・5メートルまで達していた。この落ち込み遺構は、95年に県立橿原考古学研究所(橿考研)が前方部北側の角付近を発掘した時にもあった。

 ここから推定できるのは、幅約10メートルの周濠は内濠(うち・ぼり)で、堤は内堤、外側の落ち込み遺構は外濠(そと・ぼり)という二重周濠の可能性である。橿考研の寺沢薫さんと桜井市教委の橋本輝彦さんが仮説を立て、二重周濠の推定復元図をつくった。内濠は後円部と前方部の両側面まで巡り、内堤の外を馬蹄形(ば・てい・けい)の外濠が巡る。ただし、前方部の前面は外濠だけが巡る。

 周濠の幅が約10メートルというのは大古墳の割には狭すぎる。でも、外濠まであるのは巨大すぎないか。面白いが、まだデータ不足、という印象だった。それがこの8月末、久しぶりに二重周濠を示す新たな発掘成果が報じられた。

 桜井市教委が前方部の南西で、前方部に向かって落ち込んでいく溝状の遺構を見つけたのだ。落ち込みは深さ1・3メートルまで確認できた。橋本さんは前方部前面の外濠と考え、前方部のすそからの距離約60メートルが外濠の幅と推定した。従来の推定より2倍も広く、箸墓はさらに巨大古墳となる。

 箸墓の二重周濠説は学界ではまだ定説になっていないが、反論も聞かれない。なにしろ、墳丘の全長は約280メートルもある。民家の敷地ほどの面積の発掘で、墳丘外周の全容を知るには限界がある。

 箸墓を邪馬台国の女王・卑弥呼の墓と考える研究者は多い。「最古の古墳」とする考古学者も多い。研究者にとっても、古代史・考古学ファンにとっても、最も魅力的な古墳である。だが、宮内庁が管理する陵墓のため、学者でも墳丘には立ち入れない。

 困難な目的を達成するのに「外堀を埋める」という戦略がある。私は「外濠から発掘して、外堀を埋めよう」と言いたい。墳丘の外周が解明されれば、墳丘内の調査を宮内庁はいつまでも拒むことはできなくなると思うからだ。そのためにも、住宅建設に伴う発掘ばかりでなく、計画的な学術調査をぜひ進めてほしいと願っている。

 ■箸墓古墳(桜井市)は全長約280メートルの前方後円墳。3世紀中ごろ〜後半の築造とみられる。日本書紀では、三輪山の神である大物主の妻、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓で、「昼は人が作り、夜は神が作った。大坂山(二上山の北)の石を人々が列をつくって手渡しして運んだ」と書かれている。

 運河跡興味津々900人

 運河跡などの説明を聞く考古学ファンら(橿原市の藤原宮朝堂院跡で) 橿原市の藤原宮(694〜710年)朝堂院跡で27日、奈良文化財研究所による現地説明会が開かれ、建築資材を運んだとみられる運河跡を考古学ファンら約900人が訪れて、造営当時を想像しながら見入っていた。

 調査を担当した玉田芳英上席研究員と小田裕樹研究員が「運河で木材を運んだとみられ、宮の造営の様子や過程が分かる」などと、遺構の図面や写真を使って説明。運河跡から見つかった、資材を運搬する筏(いかだ)を引いたと考えられる牛や馬の骨なども展示され、参加者らは、研究員に熱心に質問していた。

 京都府長岡京市、無職中西寿夫さん(72)は「これだけの遺構を見ていると、実際に工事をした人の苦労は大変だっただろうと思う。今後の調査にも期待したい」と話していた。

 この日は、明日香村でも、飛鳥時代の渡来系氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の居宅とみられる建物跡の現地見学会が開かれ、約600人が訪れた。



 掘立柱塀の柱根確認 第1次大極殿院回廊跡で

 奈良市の平城宮跡で、第一次大極殿院を囲んでいた西面の築地回廊跡から、掘立柱塀に使われた柱根(ちゅうこん)が見つかった。26日発表した奈良文化財研究所によると、柱穴の底には磚(せん)(レンガ)や瓦が敷かれ、地盤が弱い部分でも柱が沈まないようにした古代の工夫がよく分かるという。

 第一次大極殿院は奈良時代に国家の重要な儀式があった場所で、全体が築地回廊(南北318メートル、東西178メートル)で囲まれていた。同研究所が復元整備のため今年4月から西面の3カ所(計126メートル分)を調査。北面は県道が通っているため調査予定はなく、予定されている回廊の発掘調査はほぼ完了したことになる。

 平城遷都当初に造られていた築地回廊のうち、東西の面は聖武天皇の恭仁京遷都に伴って解体され、後に掘立柱塀が造られたことが分かっている。掘立柱塀の柱穴は4・5メートル間隔で24個見つかり、そのうち3個に柱根(直径約45センチ)が残っていた。柱穴の底には磚(長さ30センチ、幅15センチ、厚さ8・5センチ)が6個並べられ、間を埋めるように欠けた瓦が差し込まれていた。地盤が弱かった西側の柱穴に共通する特徴という。

 築地回廊の内側を通っていた雨落溝の跡も見つかり、大きさの違う小石が層になっていることから、何度か造り替えられたことがよく分かるという。門や暗きょの跡が東面と同じ位置から見つかり、回廊が東西対称に造られていたことも再確認した。

 調査した同研究所の和田一之輔・研究員は「これまでの調査結果を改めて確認できる遺構を検出できた」と話している。

 現地説明会は28日午後1時半から。小雨決行。

「せん仏」初出土 飛鳥時代制作、用途など調査へ

 ◇如来並んだ「十二尊連坐」か

 奈良市の平城宮跡で、第一次大極殿院を取り囲んでいた築地回廊の跡から、仏の姿を土の板にレリーフ状に型抜きした「〓仏(せんぶつ)」が初めて見つかった。制作時期は飛鳥時代と見られるが、出土した土層は中世から近世にかけてのもの。平城宮跡から出土した経緯も不明で、発掘担当者は「一体どこで何に使われたのか」と首をひねっている。

 〓仏は塔などの内壁に打ち付けられ、装飾として使われた。見つかったのは破片(縦7・7センチ、横4・5センチ、厚さ2・3センチ)で、一体の如来が座っている様子が分かる。

 座っている如来の姿が縦に3列、横に4列並んだ「十二尊連坐(じゅうにそんれんざ)〓仏」の一部とみられるという。桜井市の山田寺跡から出土した〓仏(7世紀)と形や大きさがよく似ており、同じ原型から作られた可能性が高い。

 平城宮の中に仏堂があったという記録はないが、続日本紀に「養老6(722)年に天武天皇と持統天皇のために仏を作り仏殿に安置した」という記述があり、この仏殿が平城宮内にあったとする説もあるという。

 発掘を担当した同研究所の和田一之輔・研究員は「推測しかできず、現段階では何も分からない。今後の調査結果を待ちたい」と話している。

 天文図「昴宿」など剥ぎ取り

 明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初)の壁画修理保存で、文化庁は25日、天井天文図北西の「昴宿」など3つの星座と「天狼」(シリウス)を表す星を剥(は)ぎ取ったと発表した。

 作業は24、25日の2日間、壁画修理技術者3人がへらなどを使って実施。星の金箔(ぱく)や黄道、赤道の朱線を含む漆喰(しっくい)を南北約25センチ、東西約10センチのL字型で剥ぎ取った。「昴宿」を縦約5センチ、横約3センチの大きさで剥ぎ取ったほか9分割した。

 昨年7月の始まった天文図の剥ぎ取りはこの日で、全体の9割近くが完了。11月にもすべての作業が終わる見込み。

 東漢氏の居宅跡か
 檜前遺跡、復権で整備

 古代の渡来系有力氏族、東漢氏の本拠地の一角にある奈良県明日香村の檜前遺跡で、飛鳥時代後半−奈良時代前半(7世紀半ば−8世紀前半)とみられる計5棟の掘っ立て柱建物跡が見つかり、村教育委員会が25日、発表した。

 建物群は、大化の改新(645年)で一時衰退した東漢氏が勢力を盛り返し、氏寺の檜隈寺を本格的に整備した時期に当たり、村教委は「一族の復興のシンボルとなる寺の造営や維持管理に携わった人が住んだのではないか」としている。

 建物群は、檜隈寺跡の南200メートルにある見晴らしの良い丘陵上に立地。最も大きなものは南北3・6メートル、東西10・5メートルの床張りで、ほかにひさし付きや間仕切りをした建物もあったようだ。3時期に分けられ、数回建て替えられたとみられる。

 現地見学会は27日午前10時から午後3時まで。

 藤原宮で大規模溝跡
 造営へ運河網整備か

 奈良県橿原市の藤原宮(694−710年)跡で、宮造営に必要な資材を運ぶための運河とみられる大規模な溝跡が見つかり、奈良文化財研究所が24日、発表した。

 南北に伸びる本流約7メートル分と、枝分かれした支流を確認。過去の調査も合わせると、総延長は500メートル以上になり、同研究所は「国家の威信をかけた大工事で運河網を整備し、木材や瓦などの資材を計画的に搬入したのだろう」としている。

 貴族や役人が儀式を行う広場「朝庭」で出土。本流(幅3・5−4メートル、深さ2メートル)は、北側4カ所で見つかっている運河跡につながるという。

 本流から北東方向に掘られた支流は浅く、輸送以外に運河の水量調整の役割を持っていた可能性がある。溝は大極殿などの主要部を建てる際に埋められ、10年ほどしか存在しなかったようだ。

 万葉集の「藤原宮の役民の作る歌」は「近江の田上山で切り出した木でいかだを組み、宇治川や木津川を経て陸揚げした」と木材調達の様子を伝える。その後、陸路や川を使って運河に入ったと考えられている。

 国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開について (平成20年秋の一般公開)

文化庁、抽選で4000人

 このたび,国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設において,壁画・石材の修理作業を行っている「修理作業室」を一般に公開します。本年5月31日から6月8日にかけて行った公開と同様のもので,本年度2回目の実施です。
 
 この公開は,見学用通路から窓ガラス越しに修理作業室を見学するもので,壁画そのものは多少見えづらい状態にあります。

 なお,公開期間中は修理作業を行っていません。

 文化庁
 http://www.bunka.go.jp/takamatsu_kitora/sagyoshitsu_kokai/02/index.html
  http://www.bunka.go.jp/takamatsu_kitora/sagyoshitsu_kokai/index.html


 纒向調査へ研究者集団 - 邪馬台国確定狙い・桜井市長表明

 桜井市の谷奥昭弘市長は9日、邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡中心部の調査を目的とした30―50人規模の研究者グループを立ち上げ、来年度にも文部科学省の科学研究費を申請したいとする考えを明らかにした。谷奥市長は「纒向遺跡は日本の国家形成にかかわっている。邪馬台国に確定させたい」と意気込んでいる。

 同市の9月定例市議会で、札辻輝已議員(無所属)の文化財行政についての一般質問に対し、谷奥市長は「新たな組織を入れて文科省の科学研究費で調査していけば、市財政にも影響はない。市文化財協会で検討している」と答えた。

 天文図星座剥ぎ取り

 明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初)の壁画修理保存で、文化庁は3日、天井天文図南東側に残る星座「張宿」や「軫宿」などを剥(は)ぎ取ったと発表した。

 作業は1、2日の両日、壁画修理技術者3人がへらなどを使って実施。星を表す金箔(きんぱく)や外規の朱線を含む南北約10センチ、東西約9センチの漆喰(しっくい)を、最大南北約8センチ、東西約4センチで七分割して剥ぎ取った。漆喰の厚さは1―5ミリだった。

 この日で天文図全体の約85%の剥ぎ取りが完了。南西側に約10星座を残すだけとなり、早ければ来月中にもすべての漆喰を剥ぎ取れる見通しがついた。次回の作業は今月下旬の予定。

 縄文のヒスイの玉も 天理市教委が発掘成果展

 奈良県天理市教委の発掘成果展「発掘の現場から−地下に眠る天理の昔々−」が、同市守目堂町の市文化センターで開かれている。別所ツルベ遺跡(同市別所町)で見つかった縄文時代後期のヒスイの玉など、市北部にある豊田山丘陵周辺の遺跡や古墳からの出土品を陳列している。

 別所ツルベ遺跡では、平成6年の調査で、縄文時代後期の集落跡が見つかった。ヒスイの玉は長さ約3センチ、幅2・5センチで、新潟・糸魚川付近の原産とみられ、穴が開いていることなどから副葬品の首飾りだったと考えられている。同遺跡の出土品としては、九州や東北など遠方から運ばれてきた土器も展示されている。

 また、豊田山丘陵周辺には、古墳時代後期(6世紀ごろ)を中心にした前方後円墳が分布しており、会場では袋塚古墳(同市別所町)の埴(はに)輪(わ)片なども展示されている。

 30日まで、入場無料。問い合わせは同市埋蔵文化財センター((電)0743・65・5720)へ。

 前方部に幅60mの外濠

 邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば−後半、全長約280メートル)で、前方部正面に幅60−70メートルと推定される外濠跡が見つかったことが27日、分かった。

 外濠の幅は、同じ纒向(まきむく)遺跡にある箸墓以前に築造された古墳と比べると突出した規模。調査した市教育委員会は「古墳は箸墓の時代から、急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が他を圧倒していたことを示すのではないか」としている。

 外濠跡はこれまで前方部の側面2カ所で確認されていたが、正面では初めて。本格的な前方後円墳の始まりとされる箸墓の築造時の墳丘構造を考える材料になりそうだ。

 キトラ古墳の天文図7星座をはぎ取り

 文化庁は22日、明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の天文図(石室天井)南東の「房宿」など6星座と「心宿」の一部の計7星座を含むしっくいをはぎ取ったと発表した。

 はぎ取ったのは合計で東西12センチ、南北17センチの範囲。しっくいは計11片に分割されている。すべてヘラで作業した。はぎ取り作業は今回で天文図全体のほぼ5分の4を終え、10月中にもすべて終える見通しだという。


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