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 甕200個、酒の大工場?
 室町時代の店跡 下京で発掘

 京都市下京区の発掘調査で大量の大きな甕(かめ)を整然と据え付けていた室町時代(14世紀前半)の店の跡が見つかった。全国的にも類例のない規模で、21日発表した京都市埋蔵文化財研究所は「中世の商工業の発達で富を蓄えた酒屋の一つではないか」と注目している。

 2007年に開校する下京中の校舎建設に伴い、旧尚徳中跡地約2150平方メートルを調査した。

 甕跡は円形で直径60センチ。南北16メートル、東西14メートルの範囲内に約200個が比較的整然と並ぶ。南北四列、東西五列に並ぶ礎石も見つかり、全体が屋根で覆われていたとみられる。10カ所の穴からは甕の破片も見つかり、甕は高さ80センチで内容量約250リットルと推定される。甕跡がすべて同時期なら5万リットル以上の酒を生産できる大工場になる。調査区域からは井戸や建物の跡も見つかり、間口20メートル近い大きな店があったとみられるという。

 当時の酒屋は麹室(こうじむろ)を備えた自家醸造で、にごり酒が主流。樽(たる)ではなく甕で醸造されていたとされる。甕が埋められていた点について同研究所は「発酵が進まないよう温度管理をしていたのでは」としている。

 北野天満宮(上京区)所蔵の文書には347軒の中世の酒屋が記録されている。1419(応永26)年に幕府の命令で同天満宮の麹(こうじ)座が酒造を独占、業者が酒造を停止することを誓った証文の中に「楊やま梅もも室町西南頬つら之の蔵くら」という記述もある。同研究所は「時代は100年後だが、今回の発掘場所に当たり、遺構が酒屋の可能性は高い」としている。

 同研究所所長の川上貢京都大名誉教授(日本建築史)は「酒屋は土倉(質屋)も兼ねて巨万の利益を上げ、幕府がそれを吸い上げた。遺跡の規模が当時の酒屋の富を裏付けている」と話す。

 現地説明会は23日午前10時から。
 問い合わせは現場事務所Tel:075(344)8764。

 ■商業の発展示す

 川嶋將生・立命館大教授(日本中世史)の話 室町−新町通と五条−七条通間は鎌倉時代以来商工業の中心地で、今回の発掘場所もそこにある。商業都市として発展しつつある京の実像を示す発見。酒屋かどうかは成分分析の結果を待ちたいが、甕跡の数の多さは驚きで、文献では見えにくい当時の店の規模が分かる貴重な資料だ。

 サヌカイト石片の集積遺構
 塚之越遺跡で発見

 守山市古高町の塚之越遺跡で、縄文時代中期末(紀元前2500年ごろ)のものとみられる奈良・二上山産のサヌカイト石片の集積遺構が見つかった。近くからは県内では初めて、東日本特有の有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器も出土した。市教委が20日発表した。縄文時代に幅広い地域と交流していたことを示す貴重な資料だという。

 宅地造成に伴う発掘調査で、サヌカイトの石片15個が1カ所に固まって見つかった。大きさは最大で縦8・5センチ、横6センチ。県内の遺跡で縄文中期のサヌカイト集積場の出土例はなく、最古という。9年前にも同遺跡内でサヌカイト石片40点が出ていた。

 石器に詳しい県文化財保護協会の鈴木康二・主任技師は「今回のサヌカイトは、石器の製作過程で出た破片ではなく、いずれ石器に加工しようと蓄えていた素材ではないか」と話している。

 近くから見つかった有孔鍔付土器(加曽利E式)の一部は、中部〜関東地方でのみ作られた形式で、市教委は、東日本からもたらされたものだとみている。

 このほか、弥生時代〜古墳時代初めの方形周溝墓8基も見つかった。

 現地説明会が23日午前10時からある。
 問い合わせは市教委文化財保護課(077・582・1156)へ。

 平安初期の中級貴族屋敷か
 西院で建物跡や遺物見つかる

 京都市右京区西院で、9−10世紀初頭の貴族の屋敷跡とみられる建物跡が14日までに見つかった。発掘調査した京都市埋蔵文化財研究所は「平安初期の標準的な貴族の建物。律令組織の中核を占めた中級貴族の屋敷では」と注目している。

 3月半ばから約500平方メートルを調査した。建物跡は7棟で、うち3棟は重なり合っていた。最も古いとみられる建物跡(南北12メートル、東西4・5メートル)の柱穴の中から9世紀初めの土師器などが出土した。別の2棟(東西7メートル)は東西に並列して建てられ、向かい合う側に庇(ひさし)が付けられていた。

 また敷地を区切るH型の溝も確認され、中から中国から輸入された青磁や白磁、地位の高い人物が使用したとみられる須恵器の円形の硯(すずり)など10世紀初頭の遺物が大量に見つかった。

 平安京は当初、一辺120メートルの正方形(1町)を最大とする土地が地位に応じて国から官僚に支給された。同研究所では今回の建物跡が1町を南北に区切る中心線をまたいでいることから、少なくとも2分の1町の土地に住んでいたことになり、低くても4−5位クラスの貴族の邸宅跡ではないかとみている。

 現地説明会は16日午前10時から。問い合わせは現場事務所Tel:075(321)5597へ。


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