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木簡に防人表す「戍人」
実態示す初の出土文字、佐賀

 佐賀県唐津市の中原遺跡から出土した木簡に、防人を示すとみられる文字「戍人」が確認され、同県教育委員会が30日発表した。木簡には「甲斐國」の表記もあり、現在の山梨県出身の兵士とみられる。防人が九州に配備された実態を示す初の出土文字資料。県教委は「防人の実態解明につながる貴重な成果」としている。

 県教委などによると、「武器を取って守る」を意味する「戍(じゅ)」は防人の守備地を示し、「戍人」は防人を表している。木簡に、人名のほかに「甲斐國 戍人」という表記が確認され、東国防人にかかわる文書であることが判明した。

 防人は7、8世紀に唐や新羅からの侵攻を防ぐため東国から北部九州に配置された兵。「日本書紀」や「続日本紀」などの文献記録から防人制度の存在は知られていたが、出土文字資料で確認された例はなかった。

木簡に防人表す「戍人」
実態示す初の出土文字、佐賀

 佐賀県唐津市の中原遺跡から出土した木簡に、防人を示すとみられる文字「戍人」が確認され、同県教育委員会が30日発表した。木簡には「甲斐國」の表記もあり、現在の山梨県出身の兵士とみられる。防人が九州に配備された実態を示す初の出土文字資料。県教委は「防人の実態解明につながる貴重な成果」としている。

 県教委などによると、「武器を取って守る」を意味する「戍(じゅ)」は防人の守備地を示し、「戍人」は防人を表している。木簡に、人名のほかに「甲斐國 戍人」という表記が確認され、東国防人にかかわる文書であることが判明した。

 防人は7、8世紀に唐や新羅からの侵攻を防ぐため東国から北部九州に配置された兵。「日本書紀」や「続日本紀」などの文献記録から防人制度の存在は知られていたが、出土文字資料で確認された例はなかった。


 西京極遺跡住居跡と人工溝発見
 弥生中−後期 京に環濠集落?

 京都市右京区西院の西京極遺跡で、弥生時代中−後期(紀元前2世紀前後−紀元後3世紀)の複数の竪穴住居跡と人工の大きな溝が、27日までに見つかった。京都市内では珍しい環濠集落の可能性もあり、発掘調査した古代学研究所(京都市中京区)は「桂川東岸地域の拠点的な集落だったのでは」と注目している。

 マンション建設に伴い、2月末から約700平方メートルを調査した。同遺跡ではこれまでにも土器や竪穴住居跡などが見つかっているが、実態は不明だった。

 縦横約4メートルの円形や方形の竪穴住居8基や廃棄物を捨てる土坑(どこう)5基を確認、中から、石製の勾玉(まがたま)や、石鏃(せきぞく)、石包丁などの石器のほか、粘板岩などの原石や石器を作るときにできる剥片(はくへん)が大量に出土、石器生産の場所だったとみられる。

 また溝(幅4メートル、深さ1・2メートル)は集落跡の西側から南北方向(25メートル)に1本見つかった。水が流れていた形跡はなく、「空堀」と見られる。周囲の湿地帯より3メートルほど高い丘に、地形に沿って逆台形にしっかりと掘っており、計画性がうかがえるという。溝の東側には柵の可能性もある穴(直径30−50センチ)が1−1・5メートル間隔に並んでいた。

 同研究所では溝について「用水路でないことや、柵列の存在からみて、集落の周囲に造られた環濠の一部の可能性が高い」としている。

 京都市内の環濠集落は弥生前期の雲宮遺跡(伏見区、長岡京市)があるが、中−後期は発掘面積が狭く判別困難なケースが多いこともあって、明確な遺跡は知られていない。

 ■環濠集落

 周囲に堀を巡らし、外界と区画したり、防御を固めた弥生時代の集落。柵や土塁を設けたり、堀を幾重にも巡らすケースもある。池上曽根遺跡(大阪府和泉市)や唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)のような大型の集落も知られている。京滋でも下之郷遺跡(守山市)や扇谷遺跡(京丹後市)などがある。

 向日 歴史ファンら熱心に見学

 向日市教委は23日、物集女車塚古墳(京都府向日市物集女町)の石室の一般公開を始めた。訪れた歴史ファンらが熱心に石室内を見て回った。

 同古墳は府指定の史跡で、全長45メートル、高さ8メートルの前方後円墳。6世紀中ごろの古墳時代後期に造られた有力豪族の墓とされ、北側内部に横穴式石室がある。後円部の外観が車輪を思わせるため名称がついたという。

 市教委では地元の文化財を広く知ってもらおうと、1995年から毎年予約制で石室を公開している。

 参加者らは通路を築いている精巧な石組みや、最深部の玄室に置かれた石棺を見学。「1500年前の古代人はすでに排水溝をつくる知恵があった」といった文化財担当職員の説明を興味深そうに聞いていた。

 一般公開は27日まで。無料。見学申し込みは市文化資料館Tel:(931)1182。

 縄文後期の土器片数千点出土
 生駒山西麓の土使用 亀岡・車塚古墳

 府埋蔵文化財調査研究センターは18日、京都府亀岡市馬路町吉備の車塚遺跡で、縄文時代後期(約4000−3000年前)の土器片が大量に出土したと発表した。器の土質から生駒山西麓(ろく)(大阪府東大阪市−奈良県生駒市)の土で作られたとみられ、同センターは「縄文時代にすでに広域的な人の交流があったことがうかがえる貴重な資料」としている。

 国営ほ場整備事業に伴い、農地約480平方メートルを発掘調査した。出土した土器片は数1000点にのぼり、これほどまとまった数の縄文土器が発掘されたのは口丹波では初めてという。

 土器片は数メートル四方の狭い範囲から出土し、表面の縄目を一部消す「磨消(すりけし)縄文」と呼ばれる文様や、同心円を描いたものなど、縄文時代後期の特徴が多くみられた。元は深鉢形や注口形(土瓶形)だったと考えられ、表面からは生駒山西麓の土と共通する角閃(かくせん)石が検出された。

 生駒山西麓の土で作られた器は府内数カ所で出土しているが、生駒で製作したのか、土を運んで各地で製作したのかは分かっていない。また、今回の調査エリアからは、飛鳥時代の竪穴式住居跡や平安時代の緑釉(りょくゆう)陶器片も見つかり、車塚遺跡が縄文時代後期から中世にかけての複合遺跡であることが確認された。

 同センターは「今回の調査で、この地域に当時から大きな集落があった可能性が高まった。東日本に比べて畿内では縄文遺跡の出土例が少なく、人々の生活文化を知る貴重な手がかりになる」としている。

 現地説明会は20日午後2時から。
 問い合わせは同センター馬路事務所TEL0771(23)6033へ。

 掘っ立て柱建物群の変遷紹介
 大津市埋文センター 穴太遺跡の報告書発売

 大津市埋蔵文化財調査センターは9日、穴太遺跡の発掘調査報告書をまとめた。

 同市穴太、唐崎、弥生町にまたがる穴太遺跡は、縄文時代から平安時代までの遺構が重なる複合遺跡。1979、81両年度に市文化財保護課が、古墳時代中・後期の竪穴住居1基、同時代後期の掘っ立て柱建物12棟、奈良時代の掘っ立て柱建物5棟の遺構などのほか、弥生土器などを発掘した。

 掘っ立て柱建物群の変遷を知ることができ、特に建物の柱と柱の間を連結する「溝もち」がある掘っ立て柱建物の遺構は、近畿以西で初の発見。報告書は、発掘現場の写真や図解を交えながら詳しく説明している。報告書はA4版91ページ、1680円。17日から同センターTel:077(527)1170で発売する。


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