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2008/10/01 (Wed) エジプト展
2008/10/01 (Wed) 高松塚壁画
2008/09/30 (Tue) 南曽我遺跡
2008/09/30 (Tue) 箸墓古墳
2008/09/28 (Sun) 藤原宮朝堂院跡
2008/09/27 (Sat) 平城宮跡

 鉄刀の鍔に銀象眼文様を確認
 大和政権と関わりか 大谷大博物館

 大谷大博物館(京都市北区)は29日、群馬県藤岡市の古墳出土品と伝えられる鉄刀で、鍔(つば)の表裏に銀象眼の文様を確認した、と発表した。同博物館では「出土地は確定できないが、大和政権と結びついた有力者の副葬品ではないか」としている。

 鉄刀は奈良県立橿原考古学研究所の初代所長だった故末永雅雄氏が大谷大の非常勤講師だった1942、3年に、同大学へ寄贈した収集遺物約200点の中の一つ。

 同博物館が保存や今後の展示に備え昨年末から調査し、さびを取り除いた結果、文様が確認された。6世紀ごろの畿内の古墳の鉄刀に一般的に見られるハート形の「心葉文」がさらに双葉形に変形している。文様の形から、鉄刀は6世紀末から7世紀初頭に作られたとみられるという。

 同博物館主事の宮崎健司助教授は「刀は権力の象徴。被葬者が中央から直接分与されたか、中央を模倣して作ったものではないか」と話している。

 鉄刀は30日から8月2日まで同博物館で展示される。日・月曜休館。入館料は一般・大学生200円。

 最古の高機の部品が出土
 5世紀の伝来説を実証

 大阪府文化財センターが発掘調査している同府枚方市の茄子作遺跡(5世紀末)で、進歩した手織り機「高機」の部品が見つかり、25日までに機関誌で発表された。

 古代の高機の部品出土は滋賀県の正源寺遺跡(6世紀後半)が唯一で、100年近くさかのぼり最古となる。高機の伝来は奈良時代以降とみられていたが、雄略天皇時代(5世紀後半)に朝鮮半島から渡来した工人集団「今来才伎(いまきのてひと)」が、最新技術として伝えた可能性が高まった。

 見つかったのは長さ77センチ、幅7センチ、厚さ2−3センチの細長い板。一辺には、糸を張ったため付いた細い溝が約1ミリ間隔で、幅50センチにわたってびっしり残っていた。両端は枠に組み込むために細くなっていた。

 調査担当の黒須亜希子技師は、高機の先端でタテ糸を折り返した横軸と判定した。より簡便な手織り機「地機」にはこのような形状の部品はないという。

 「陰陽道」示唆する漆紙文書
 宮城の遺跡 黒龍、白龍、赤龍など

 宮城県加美町の壇の越遺跡で、9世紀後半ごろ(平安時代前期)の住居跡から「黒龍」「白龍」「赤龍」などの文字が書かれた漆紙文書が宮城県教育委員会の調査で出土していたことが18日、分かった。県教委は「古代占術の陰陽道(おんみょうどう)の儀式が営まれたことを示唆する東北初の出土例」としている。

 県教委によると、漆紙文書は、公文書などが漆を入れる器のふたとして再利用され、漆の成分の影響で腐敗せずに残った物。今回の文書は直径約20センチの漆おけに使われたとみられ、竪穴住居の床面から、バラバラの状態で出土した。

 肉眼では文字が判読できないため、紙を接合し、赤外線カメラで調査したところ、3色の「龍」や「黄」「神」「神祠」「罪」などの字が確認された。

 「陰陽道」示唆する漆紙文書
 宮城の遺跡 黒龍、白龍、赤龍など

 宮城県加美町の壇の越遺跡で、9世紀後半ごろ(平安時代前期)の住居跡から「黒龍」「白龍」「赤龍」などの文字が書かれた漆紙文書が宮城県教育委員会の調査で出土していたことが18日、分かった。県教委は「古代占術の陰陽道(おんみょうどう)の儀式が営まれたことを示唆する東北初の出土例」としている。

 県教委によると、漆紙文書は、公文書などが漆を入れる器のふたとして再利用され、漆の成分の影響で腐敗せずに残った物。今回の文書は直径約20センチの漆おけに使われたとみられ、竪穴住居の床面から、バラバラの状態で出土した。

 肉眼では文字が判読できないため、紙を接合し、赤外線カメラで調査したところ、3色の「龍」や「黄」「神」「神祠」「罪」などの字が確認された。


 古墳時代前期の木製琴が出土
 能登川 滋賀県内で25例目

 滋賀県能登川町埋蔵文化財センターは16日、同町林の「石田遺跡」から、古墳時代前期(4世紀)のものとみられる木製の琴の一部が見つかった、と発表した。木製琴の出土は県内では25例目で、同町では初めて。

 石田遺跡は縄文後期−中世の遺跡。琴の一部は、町が昨年3月から同6月に実施した調査で、木製の包丁や土器などとともに見つかった。長さ37・8センチ、幅6・7センチ、厚さ1・4センチで、材質はヒノキとみられる。弦を結ぶための約1センチの突起が2カ所に残り、2辺が刃物で鋭く切断されていた。

 同センターによると、見つかったのは、音を響かせるために板の下に「共鳴槽」と呼ばれる箱のような物を取り付けた「槽作り琴」の可能性が高いという。音楽史を研究している放送大学の笠原潔助教授は「古代の人々は琴の演奏に霊力を感じており、切断跡は、琴を廃棄する際に何らかの儀式が行われたことを示しているのではないか」と話している。

 琴の一部は17日から同センターで常設展示される。土、日曜と祝日は休館。

NTTドコモ、鉄塔工事で古墳破壊…大阪・池田

大阪府池田市古江町の古江古墳を含む山林に、携帯電話基地局の鉄塔新設を計画しているNTTドコモ関西(大阪市)が、文化財保護法で定められた届け出をせずに工事を行い、古墳の大半を壊していたことが16日、わかった。住民が気づいて市に連絡し、5月下旬、工事は中断。市教委は近く緊急調査を行い、残りの部分を保存する。

 同社などによると、下請け業者が今年2月、土砂災害を防ぐため砂防法に関する届けを府に提出。古墳などの埋蔵文化財がある場所の開発には、文化財保護法に基づく届けも府教委に提出する義務があるが、業者は届け出ないまま4月下旬に着工、石室など古墳の約8割を壊し、鉄塔(高さ15メートル)のコンクリート基礎を造った。

 業者は5月下旬になって市の指導で工事を中断したが、「古墳があると知らなかった」と釈明。NTTドコモ関西は「大切な古墳を壊し、申し訳ない。市の指導に従う」としている。

 古江古墳は6世紀半ばに作られた直径約13メートルの円墳で、横穴式石室を備えた豪族の墓とみられる。この時代の同規模の古墳は、府内に約2000か所ある。

 府教委文化財保護課は「市は埋蔵文化財の分布地図を持っているはずで、どうして事前指導しなかったのか。業者も市も対応がずさんだ」としている。

 芭蕉塚古墳の遺構を詳しく
 城陽市教委が04年度調査報告書

 城陽市教委はこのほど、2004年度に発掘調査した芭蕉塚古墳(京都府城陽市平川)の成果を「埋蔵文化財調査報告書第50集」にまとめた。出土物から当時の姿を浮かび上がらせていく過程が分かる。

 芭蕉塚古墳は5世紀後半の築造と見られ、国庫補助事業で2000年度から調査している。

 04年度は2カ所を発掘した。うち前方東側で検出した2列の埴輪(はにわ)列から、「造り出し」と呼ばれる祭事用の舞台があったことが分かった。西側には01年に造り出しが検出されており、両側に造り出しを持つ大首長墳にふさわしい外観だったことが、写真や断面図からうかがえる。

 報告書は1冊400円。同市教委文化財係や歴史民俗資料館で販売している。

 平安の橋板見つかる
 奥州藤原氏の柳之御所遺跡

 岩手県教育委員会などは10日、12世紀(平安時代後期)の奥州藤原氏の政庁とされる柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡(同県平泉町)の堀の跡から木材が見つかり、橋板などと分かったと発表した。

 橋の上部材としては8世紀の平城京東堀河(奈良市)の出土物に次ぐ日本で2番目の古さといい、復元と世界遺産登録を目指す柳之御所遺跡の貴重な資料となりそうだ。

 県教委によると、クリ材18点が柳之御所と藤原氏三代秀衡の居館伽羅御所(きゃらのごしょ)との間の堀跡(幅約9−12メートル、深さ約2・5メートル)で見つかった。うち14点は長さ200−300センチ、幅と厚さがともに20−25センチの角材で、橋板と推定される。橋脚用とみられる円柱型の木材もあった。

 平安の橋板見つかる
 奥州藤原氏の柳之御所遺跡

 岩手県教育委員会などは10日、12世紀(平安時代後期)の奥州藤原氏の政庁とされる柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡(同県平泉町)の堀の跡から木材が見つかり、橋板などと分かったと発表した。

 橋の上部材としては8世紀の平城京東堀河(奈良市)の出土物に次ぐ日本で2番目の古さといい、復元と世界遺産登録を目指す柳之御所遺跡の貴重な資料となりそうだ。

 県教委によると、クリ材18点が柳之御所と藤原氏三代秀衡の居館伽羅御所(きゃらのごしょ)との間の堀跡(幅約9−12メートル、深さ約2・5メートル)で見つかった。うち14点は長さ200−300センチ、幅と厚さがともに20−25センチの角材で、橋板と推定される。橋脚用とみられる円柱型の木材もあった。


いよいよ朱雀はぎ取りへ

 奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)で文化庁などは8日、石室南壁の四神図・朱雀(すざく)をはぎ取る作業を始めた。

 朱雀図は、縦15センチ、横39センチ。保存状態が良く、頭部の飾り羽根や両翼が鮮やかな朱色で精密に描かれている。表面のしっくいを樹脂で強化した上で、周囲の絵のない部分をはがし、7月6−7日ごろ、朱雀本体を切り取る予定。

 修復担当者は「今にも飛び立ちそうな朱雀図は、四神図の中でもとりわけ重要。分割せずにはがせるよう、万全の態勢で臨みたい」と話した。

 朱雀のはぎ取り作業が完了した後、文化庁は調査研究委員会を開いて壁画の保存方法を決定。11月にも北壁の玄武図に取り掛かる見込み。

応仁の乱前後の町並み?
白河街区跡 建物群跡を確認

 平安末期に白河上皇らが発願して造営した法勝寺など6つの寺(六勝寺)や院の御所があった京都市左京区の「白河街区跡」で、15世紀後半の応仁の乱前後の建物群の跡が2日までに見つかった。発掘調査した京都市埋蔵文化財研究所は「応仁の乱で周囲が荒廃していく中でも、整然とした町並みが存在したことを示す発見」としている。

 市営住宅建て替えに伴い、同区岡崎天王町で3月中旬から約1200平方メートルを調査した。

 ■5棟の柱穴 土豪屋敷跡か

 建物跡は5棟分の柱穴が重なり合って2−4メートル間隔で並んでいるのが見つかったほか、直径1−2・5メートルの井戸跡6基や敷地を区切ったとみられる溝や柵列も見つかった。

 また、井戸やごみ捨て穴から、宴会に使ったとみられる土器と木製のはしや、膳(ぜん)などが大量に出土、まじないに使ったとみられる木製の人形(ひとがた)2体も見つかった。

 白河街区は、白河上皇らの院政期に平安京と同様の碁盤の目の町が整備されたと考えられているが、1342年に法勝寺の塔や金堂などが焼失、応仁の乱(1467−77)でも一帯が荒廃したことが古文書に記録されている。これまでの発掘でも建物跡が単一では確認されているが、街の実像は不明だった。

 調査地は、法勝寺金堂跡から約250メートル北に当たる。建物群以前の鎌倉中期−室町中期は遺物がほとんどなく、人は住んでいなかったとみられる。

 市埋文研所長の川上貢京都大名誉教授(日本建築史)は「きっちり区画された町並みというより農村集落的なものと思われる。六勝寺の衰退後、一帯に住み着いた土豪の屋敷ではないか」と話している。

 現地説明会は4日午前10時から。
問い合わせは現場事務所Tel:075(752)8020へ。

 朝廷軍兵士、平時は工事
 多賀城跡近くから木簡出土

 奈良・平安時代に朝廷の陸奥国国府が置かれた多賀城の近くにある市川橋遺跡(宮城県多賀城市)から1日までに、城の「修理所」の兵士が、馬の訓練などを行う「馬庭」の改修、造営のため派遣されたとみられることを示す木簡1点が見つかった。

 発掘した多賀城市埋蔵文化財調査センターは「文献でしか確認できなかった修理所や馬庭の存在を示す全国初の出土資料。多賀城の兵士が、先住民蝦夷(えみし)との戦争だけでなく、平常時には土木作業に従事していた実態が分かった」と話している。

 木簡は長さ約36センチ、幅約7センチ。墨で「修理所 兵士を馬庭に送り 事」などとの漢文が書かれ、「鳥取部敷成」ら兵士15人の名が記されていることが確認できた。


 朝廷軍兵士、平時は工事
 多賀城跡近くから木簡出土

 奈良・平安時代に朝廷の陸奥国国府が置かれた多賀城の近くにある市川橋遺跡(宮城県多賀城市)から1日までに、城の「修理所」の兵士が、馬の訓練などを行う「馬庭」の改修、造営のため派遣されたとみられることを示す木簡1点が見つかった。

 発掘した多賀城市埋蔵文化財調査センターは「文献でしか確認できなかった修理所や馬庭の存在を示す全国初の出土資料。多賀城の兵士が、先住民蝦夷(えみし)との戦争だけでなく、平常時には土木作業に従事していた実態が分かった」と話している。

 木簡は長さ約36センチ、幅約7センチ。墨で「修理所 兵士を馬庭に送り 事」などとの漢文が書かれ、「鳥取部敷成」ら兵士15人の名が記されていることが確認できた。



 5万年以前の石器片発見
 岩手・金取遺跡

 岩手県宮守村教育委員会は1日、国内最古級とされる9万−5万年前(中期旧石器時代)の金取遺跡(同村)の2003、04年度の調査報告を発表、石器を作る際にできる破片(長さ5ミリ、幅6・5ミリ)が見つかったことを明らかにした。

 報告書などによると、調査対象は計約134平方メートルで、出土した地層は火山灰測定などから9万−5万年前。5万−3万5000年前の地層からも同様の破片17点が発見され、いずれも別の場所の石を用いた可能性が高いという。今後は地層をはぎ取り保存する。

 金取遺跡は1984年の発掘調査で8万5000−4万年前の石器が出土。旧石器発掘捏造(ねつぞう)問題が発覚して以降、問題と無関係な遺跡として、長崎県平戸市の入口遺跡などと並び国内最古級の遺跡とされる。

 5万年以前の石器片発見
 岩手・金取遺跡

 岩手県宮守村教育委員会は1日、国内最古級とされる9万−5万年前(中期旧石器時代)の金取遺跡(同村)の2003、04年度の調査報告を発表、石器を作る際にできる破片(長さ5ミリ、幅6・5ミリ)が見つかったことを明らかにした。

 報告書などによると、調査対象は計約134平方メートルで、出土した地層は火山灰測定などから9万−5万年前。5万−3万5000年前の地層からも同様の破片17点が発見され、いずれも別の場所の石を用いた可能性が高いという。今後は地層をはぎ取り保存する。

 金取遺跡は1984年の発掘調査で8万5000−4万年前の石器が出土。旧石器発掘捏造(ねつぞう)問題が発覚して以降、問題と無関係な遺跡として、長崎県平戸市の入口遺跡などと並び国内最古級の遺跡とされる。



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