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2008/09/30 (Tue) 箸墓古墳
2008/09/28 (Sun) 藤原宮朝堂院跡
2008/09/27 (Sat) 平城宮跡

 山形に平安末期の住居跡
 奥州藤原氏と深い関連

 山形市成安の上敷免遺跡で平安時代末期の掘っ立て柱建物の住居跡や土坑などが、30日までに県埋蔵文化財センターの発掘調査で見つかった。センターは「年代や、平泉(岩手県)で使われたかわらけ(素焼きの器)と類似した土器の一部が出土したことから、奥州藤原氏と関連が深い」とみている。

 住居跡は7棟を確認。柱穴は直径約50センチ、深さ約50センチ。最大で50平方メートル以上の建物があったとみられ、ひさしを支える柱穴もあった。輸入品の白磁なども出土し、有力者の住居と推測されるという。

 岩手県平泉町世界遺産推進室の八重樫忠郎室長補佐(44)は「かわらけは平泉とほぼ同一。遺跡は最上川の支流近くにあり、藤原氏の支配下で、水上交通によって栄えていたのではないか」と話している。


 山形に平安末期の住居跡
 奥州藤原氏と深い関連

 山形市成安の上敷免遺跡で平安時代末期の掘っ立て柱建物の住居跡や土坑などが、30日までに県埋蔵文化財センターの発掘調査で見つかった。センターは「年代や、平泉(岩手県)で使われたかわらけ(素焼きの器)と類似した土器の一部が出土したことから、奥州藤原氏と関連が深い」とみている。

 住居跡は7棟を確認。柱穴は直径約50センチ、深さ約50センチ。最大で50平方メートル以上の建物があったとみられ、ひさしを支える柱穴もあった。輸入品の白磁なども出土し、有力者の住居と推測されるという。

 岩手県平泉町世界遺産推進室の八重樫忠郎室長補佐(44)は「かわらけは平泉とほぼ同一。遺跡は最上川の支流近くにあり、藤原氏の支配下で、水上交通によって栄えていたのではないか」と話している。

 強調文古墳前期 石組みの竈
 八木・諸畑遺跡 府内最古 当時最先端の施設

 京都府埋蔵文化財調査研究センターは27日、八木町諸畑の諸畑遺跡で古墳時代前期(5世紀前半)のものとみられる石組みの竈(かまど)などが見つかったと発表した。石組みの竈としては府内最古といい、同センターは「当時、最先端の調理施設を持っていたことがうかがえる貴重な資料」としている。

 府南丹土地改良事務所の整備事業に伴い、5月から約750平方メートルを調査していた。

 同遺跡からは、弥生時代後期(1世紀ごろ)や古墳時代前期−中期(5世紀)の竪穴住居跡(約5メートル四方−約6・5メートル四方)の計9基を確認したほか、古墳時代前期の住居跡から石組みの竈や須恵器椀(わん)が見つかった。

 これまで府内で見つかった竈は、久御山町佐山遺跡で出土した粘土製の竈が最古とされたが、石板などを使った石組みの竈では今回が最古という。

 竈は、約60センチ四方で深さ約20センチ。同センターは、朝鮮半島から伝播した技術で焼いたとされる須恵器椀(直径約10センチ、高さ約6センチ)が同時に出土していることから「石組みの竈は朝鮮半島に多く、渡来人の影響を考える上で貴重な手掛かりになる」としている。

 現地説明会は30日午前11時から。

 問い合わせは現地事務所TEL090(3997)3776。

 完全復元の「鴟尾」も展示
 大津で山ノ神遺跡展

 全国で初めて完全復元された飾り瓦・鴟尾(しび)や須恵器など「山ノ神遺跡」(大津市一里山)の出土品を展示する企画展が、大津市歴史博物館で開かれている。九月十一日まで。

 七世紀後半の土器の工房跡とされる同遺跡では、四基の窯跡からさまざまな須恵器が発見されており、大規模な土器の生産工場だった可能性が高いという。また、年代が重なっていることから、大津宮と深い関連があると考えられている。

 企画展では、鴟尾のほか、食器やすずり、土鈴などさまざまな須恵器が展示されており、用途の同じ現代の食器が隣に並べてあるコーナーもある。

 八月十三−二十一日の午後二−三時には、「鴟尾と背比べ」と題して小学生以下を対象に記念撮影会も行われる。月曜休館。同館の入館料は、一般二百十円、高校生・大学生百五十円、小学生・中学生百円。問い合わせは、同館=電077(521)2100=へ。


 祭事用舞台、東西対称に存在
 城陽・芭蕉塚古墳

 京都府城陽市教委は22日、同市平川の芭蕉塚古墳東側に22個の埴輪列が出土したことで、「造り出し」と呼ばれる祭事用の舞台が東西対称に存在したことが確実になった、と発表した。南北の長さは17−20メートルに及ぶと見られる。

 同古墳は5世紀後半に築造された前方後円墳で、墳丘の全長は約116メートルと、山城地域で有数の規模を誇る。2000年度から調査してきた。

 本年度は、東側のくびれ部分付近に直径約25センチの円筒埴輪や朝顔形埴輪が並んでいるのを確認した。うち、最北端の埴輪からは「蓋(きぬがさ)形埴輪」という角や要所に置かれた埴輪が出土したことから、造り出し上面の最北部と推測。南端は削れていて判明しなかった。

 造り出し北側では斜面を検出し、すそ部から上面までは高さ約2・5メートルあることも分かった。

 市教委の大野壽子調査員は「古墳東側にも西側と左右対称の位置に造り出しがあったことが分かった」としている。

 現地説明会は8月1日午前10時から。問い合わせは同市教委Tel:0774(56)4049。

 大型建物は埴輪そっくり

 古代豪族・葛城氏の中枢施設とみられる奈良県御所市の極楽寺ヒビキ遺跡で発掘された古墳時代最大級の大型建物跡(5世紀前半)が、近くの古墳から出土した家形埴輪(はにわ)とそっくりな構造だったことが分かり、奈良県立橿原考古学研究所が15日、発表した。

 平べったい板状の柱を使った特殊なつくりで、柱の配置は完全に一致。埴輪の柱には呪術(じゅじゅつ)的な意味を持つ直弧文が刻まれており、実際の建物にも同様の紋様が描かれていた可能性が出てきた。

 このため研究者からは、建物は単なる居住空間や政治施設ではなく、祭祀(さいし)センターなど特別な性格を持つ施設だったという意見が出ており、今後議論を呼びそうだ。

 宮の平遺跡遺物で紹介 橿考研付属博物館で

 橿考研付属博物館で特別陳列
 朱生産用の石皿など石矢じりなど300点

 吉野川源流に近い川上村で発掘された「宮の平遺跡」を紹介する特別陳列「源流の縄文遺跡 宮の平遺跡の全貌(ぜんぼう)」が県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町)で開かれている。24日まで。

 縄文時代早期―後期中ごろ(約1万年前から約3600年前)の宮の平遺跡は、紀伊半島の中央部、吉野川の源流にあり、大滝ダム建設に先立つ98〜00年に発掘調査された。縄文早期の竪穴住居跡や炉跡、土器、石器などがまとまって出土し、自然環境に巧みに適応した縄文人たちの生活、配石や立石遺構など非日常的な精神活動の一端が明らかになった。

 展示品は、縄文中期末(約4千年前)の、国内最古級とみられる朱生産用の石皿など約300点。石皿は直径約30センチ、重さ12・5キロの丸い石の表面中央にくぼみがあり、地元鉱山から産出した水銀朱をすりつぶすのに使われたとみられる。押し形文土器、獣を突き刺すのに使った石の矢じり、吉野川の網漁で使った石の錘(おもり)などもある。

 宮の平遺跡からは関東、北陸、南九州など遠隔地の土器や石器も出土している。松田真一館長は「宮の平遺跡は日本列島全体の幅広い縄文ネットワークの中で存在していたのではないか」と話している。

 開館は午前9時から午後5時まで(入館は午後4時半まで)。月曜と19日は休館。

 貴族の宴の跡か 素焼きの土器出土
 中京 平安末期の遺構

 京都市中京区烏丸通三条下ルの平安末期(12世紀前半)の遺構から、膨大な素焼きの土器が12日までに見つかった。発掘した古代文化調査会では「貴族の盛大な宴会の跡ではないか」としている。

 4月中旬から約580平方メートルを調査した。一帯は三条南殿と呼ばれる貴族の邸宅跡で、一時期、鳥羽上皇の御所にもなった。調査地は庭園の池の一部とみられる。

 土器は直径10―15センチの小皿の破片で、南北12メートル、東西12メートルの範囲にびっしり。調査した吉川義彦さん(58)は「大量の器を使い捨てていた貴族のぜいたくな暮らしぶりがうかがえる」という。

 重文鏡や発掘方法紹介
 城陽市歴史民俗資料館の特別展

 城陽市歴史民俗資料館(京都府城陽市寺田)は9日から、夏季特別展「考古学者になろうよ」を開いている。円筒埴輪や土器の変遷、発掘調査の方法などを子ども向けに分かりやすく紹介し、市内の古墳から出土した鏡(重文)を8年ぶりに展示する。

 開館10周年を記念し、考古学に興味を持ってもらおうと企画した。久津川車塚古墳(同市平川)から出土した三角縁銘帯四神四獣鏡など4点の鏡(重文)を出展する。鏡にかたどられたゾウやラクダの模様を間近に見られる。

 須恵器や大型の円筒埴輪が時代ごとに並べられ、形状や焼き方の移り変わりが分かる。遺物の年代を正確に測定したり、保存する方法もパネルにまとめている。

 会場では発掘現場を再現し、作業過程もビデオで上映して、考古学をイメージしやすいよう工夫している。

 特別展は9月11日まで。期間中、発掘体験や埴輪や勾玉(まがたま)を作る教室も開催する。入館料は高校生以上200円、小中学生100円。問い合わせはTEL0774(55)7611。

 全国初、八角形の正倉跡
 群馬県の三軒屋遺跡

 奈良時代の上野国佐位郡(こうずけのくにさいぐん)の郡衙(ぐんが)(郡役所)跡とみられる群馬県伊勢崎市の「三軒屋(さんげんや)遺跡」から6日までに、八角形をした建物の遺構が出土した。伊勢崎市教育委員会は、税として納められた稲を収納する正倉(しょうそう)跡とみている。奈良文化財研究所の専門家によると、これまで見つかった正倉跡は方形で、八角形は全国初という。

 1030(長元3)年に記され、上野国の様子を記した「上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)」にも佐位郡の正倉に関し「八面甲倉」と記されており、今回の発見が文献の信ぴょう性を裏付ける結果となっている。


 全国初、八角形の正倉跡
 群馬県の三軒屋遺跡

 奈良時代の上野国佐位郡(こうずけのくにさいぐん)の郡衙(ぐんが)(郡役所)跡とみられる群馬県伊勢崎市の「三軒屋(さんげんや)遺跡」から6日までに、八角形をした建物の遺構が出土した。伊勢崎市教育委員会は、税として納められた稲を収納する正倉(しょうそう)跡とみている。奈良文化財研究所の専門家によると、これまで見つかった正倉跡は方形で、八角形は全国初という。

 1030(長元3)年に記され、上野国の様子を記した「上野国交替実録帳(こうずけのくにこうたいじつろくちょう)」にも佐位郡の正倉に関し「八面甲倉」と記されており、今回の発見が文献の信ぴょう性を裏付ける結果となっている。

 八戸の遺跡から金のるつぼ
 平安期蝦夷が生産か

 青森県埋蔵文化財調査センターは5日、10−11世紀(平安時代)の青森県八戸市の林ノ前遺跡で、金や銀の粒が付着したるつぼが出土したと発表した。出土した銅製刀装具に銀メッキをしていたことも判明した。

 古代東北の先住民蝦夷(えみし)の支配地域に貴金属の高度な生産技術があったことを示し、東北の金生産史は約100年さかのぼる。同センターは「日本古代史上極めて貴重な発見」としている。

 金にかかわるるつぼで国内最古の出土例は、7世紀後半の飛鳥池遺跡(奈良県)がある。東北では岩手県平泉町の12世紀の遺跡で見つかっているだけだった。

 八戸の遺跡から金のるつぼ
 平安期蝦夷が生産か

 青森県埋蔵文化財調査センターは5日、10−11世紀(平安時代)の青森県八戸市の林ノ前遺跡で、金や銀の粒が付着したるつぼが出土したと発表した。出土した銅製刀装具に銀メッキをしていたことも判明した。

 古代東北の先住民蝦夷(えみし)の支配地域に貴金属の高度な生産技術があったことを示し、東北の金生産史は約100年さかのぼる。同センターは「日本古代史上極めて貴重な発見」としている。

 金にかかわるるつぼで国内最古の出土例は、7世紀後半の飛鳥池遺跡(奈良県)がある。東北では岩手県平泉町の12世紀の遺跡で見つかっているだけだった。



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