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 盗掘口付近にカビ - キトラ古墳石室床面

 文化庁は29日、明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初)で、石室床面の盗掘口付近に、白と緑の綿状のカビらしきものが見つかったと、発表した。

 同日、実施された週2回の定期点検で確認された。文化庁のよると、カビらしきのものは、南壁の盗掘口を中心に半径約1メートルの範囲に、最大で長さ1ミリ程度のものが5、6カ所点在。虫の死骸も確認され…

 薄板をくぎで留めた琴板出土
 栗東・小柿遺跡

 栗東市教委は29日、滋賀県栗東市小柿5丁目の小柿遺跡から、古墳時代前期(4世紀後半)の「槽作りの琴」の琴板が見つかった、と発表した。表面に薄板をあてて木製のくぎで留めた、これまでに例のない琴板で、市教委は「琴を補強するためか、見栄えをよくするために飾りとしてつけた可能性がある」としている。

 小柿遺跡内にある河川跡(幅約8メートル、深さ約1メートル)の砂層から出土した。琴板は、長さ103センチ、幅13センチ、厚さ1・4センチで、琴尾(ことび)部分に長さ0・9センチ、幅2・9センチ、厚さ1・5ミリの薄板の一部が木のくぎで留められていた。

 古代の琴は祭祀(さいし)・儀礼用で、「槽作り」は弦を張る琴板の下部に、木をくり抜いた箱をつけて音を共鳴させる。市教委は、今回出土したのは長さ140センチ以上、幅30センチ前後の六弦の大型の琴の一部とみている。出土した琴板の琴尾部分には、弦を留めるための突起が3つ残り、薄板は中央の突起の根元付近にあった。

 市教委によると、槽作りの琴板は全国で約110点、県内でも同市の野尻遺跡などで発見されている。琴板を補強した例は、大津市の滋賀里遺跡などで見つかっているが、薄板を木くぎで留めた例は初めてという。

 放送大の笠原潔助教授(音楽学)は「弦で琴板を傷つけないために補強用につけた可能性が強いが、はっきりとは分からない。今後の類例の出土を待ちたい」と話している。

 小柿遺跡は縄文−江戸期の複合遺跡。共同住宅建設に伴い、今年1月から発掘調査していた。

 出土した琴板は6月1日から12日まで、栗東市下戸山の市出土文化財センターで展示する。

 高松塚古墳の「青竜」の黒カビ、01年末には確認

 奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末〜8世紀初め)で、01年末に石室東壁に描かれた「青竜」に除去が難しい黒カビの発生が確認されていたことが、文化庁の内部資料で分かった。同庁はその2年8カ月後に初めてカビの発生を公表したが、現在に至るまで種類は明らかにしていなかった。壁画損傷事故などの調査委員会は意図的な隠蔽(いんぺい)だったかどうか、関係者から事情を聴く。
03年3月に公表された青竜。前脚(右下)など数カ所が、すでに黒カビなどで汚れていたが、文化庁は被害を伏せていた。

 カビ汚染の記録は01年12月18日から同21日にかけて、壁画の保存修復にあたった東京文化財研究所の点検報告書にあった。「青竜は、特に頭部から前脚にかけて茶カビ、黒カビによって汚損されている。黒カビは顔料中に食い込んで発生しており、(中略)ほとんど除去できないと言ってよい」と記述。担当者の修理日誌カードにも「かなり深刻な状態」と書かれていた。

 しかし、この事実は公表されず、石室のカビ対策のため03年3月に発足させた「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」への配布資料でも、「幸い現在までのところ、カビ被害は絵画部分には及んでいない」としていた。

 04年8月になって、緊急検討会を引き継いで発足した「恒久保存対策検討会」への資料で、初めて「01年12月に青竜にカビが生じた」という説明と写真を委員に配布。だが、カビの種類や状態についての明確な説明はなかったという。

 石室ひんやり、ロマン感じて
 向日・物集女車塚古墳で一般公開

 京都府向日市物集女町の物集女車塚古墳で22日、横穴式石室の一般公開が始まった。地元の小学生や歴史愛好家など約70人がひんやりとした石室に足を踏み入れ、約1500年前の歴史に思いをはせた。

 同古墳は6世紀中ごろに築かれた前方後円墳で、物集女地域一帯を治めた豪族の墓とされる。同市教委が95年に史跡公園として整備。最奥部の玄室は修繕補修し、玄室に通じる羨道(せんどう)は解体した後に伝統的な工法で築造当時の姿に復元した。毎春、市民に予約制で公開し、年間1000−1500人が石室の石組みなどを見学している。

 公開初日のこの日は、市教委の文化財担当者が羨道や玄室の構造を説明した。羨道の天井石の重さは一つ900−1600キロといい、「上部ほどすぼんだ側面の石組みも含め、非常に安定した構造になっている」と話した。石棺に使われた凝灰岩は奈良県から運ばれてきたもので、「細工しやすく、当時のステータスでもあった」と紹介した。

 参加した近くの自営業山田高章さん(41)は「物集女車塚古墳は子どものころの遊び場だった。これまであまり関心は無かったが、説明を聞いて少し興味がわいた」と話していた。公開は26日まで。

 盾形埴輪を初確認
 長岡京の今里車塚古墳

 京都府長岡京市埋蔵文化財センターが4月から実施している今里車塚古墳(同市今里4丁目)の第11次調査で、木製の柱列や盾形埴輪などが出土し22日、同センターが発表した。今回の調査は、1978年以来続いた同古墳の最終調査になる見込みで、センターは「盾形埴輪の確認は初めて。古墳の実態を解明するのに大切な成果をあげられた」としている。

 調査地はマンション建設予定地で、前方後円墳の最西端にあたる。東西約5メートル、南北約18メートルを発掘したところ、後円部の墳丘の端の部分や約4メートル間隔で設置された木製の柱4本が確認され、文様の描かれた盾形埴輪1点も見つかった。

 柱が発掘された状況からは、柱を立てた後に盛り土や葺(ふき)石の作業が施されたことが分かるといい、墳墓をつくる最初の段階に柱を置いたことが推定される。センターは「今までにも柱は出土していたが、今回の調査から、設計の基準の役割を果たしていた可能性も出てきた」としている。

 今里車塚古墳の後円部にあたる場所のほとんどには店舗や道路が整備されており、現場担当者は「この古墳を目で確かめられるのもこれが最後かもしれない」と話している。

 江戸期の4絵図展示
 向日市文化資料館

 向日市文化資料館(京都府向日市寺戸町)はこのほど、江戸時代に描かれた物集女車塚古墳(同市物集女町)の絵図の展示を始めた。22−26日に行われる同古墳の石室の一般公開に合わせた取り組みで「古墳巡りを楽しむついでに立ち寄ってほしい」と呼び掛けている。28日まで。

 展示したのは、明治時代に乙訓郡内の陵墓の管理を務めた同市物集女町の中山家に残された資料で、1806年に描かれた同古墳の外観図や1855年の「柵門・生垣設置に関する仕様図」など計4点。仕様図は、同古墳の墳丘の頂部を囲むように柵と生け垣を巡らしており、当時の墓域の認識がうかがえる。

 入館時間は午前10時から午後5時半まで。無料。問い合わせは同資料館TEL(931)1182。

 古代の「伊勢道」を発見
 三重・明和町の丁長遺跡

 三重県埋蔵文化財センターは19日までに、同県明和町斎宮の丁長遺跡から、奈良時代の幹線道路「官道」の遺構を発見した。奈良の都から伊勢神宮などに通じていた「伊勢道」に当たるとみられ、これまではっきりしていなかったルートの一部が明らかになった。

 同センターによると、遺構が見つかったのは、伊勢神宮に仕えた皇女の住居の国史跡「斎宮跡」から東へ約600メートルの地点。道幅約8メートル、長さ約30メートルで、道路の両脇には幅1・5−2・5メートル、深さ最大30センチの側溝があった。

 既に斎宮跡で見つかっている道路の延長線上に位置し、一直線でつながる可能性が高いという。

 古代の「伊勢道」を発見
 三重・明和町の丁長遺跡

 三重県埋蔵文化財センターは19日までに、同県明和町斎宮の丁長遺跡から、奈良時代の幹線道路「官道」の遺構を発見した。奈良の都から伊勢神宮などに通じていた「伊勢道」に当たるとみられ、これまではっきりしていなかったルートの一部が明らかになった。

 同センターによると、遺構が見つかったのは、伊勢神宮に仕えた皇女の住居の国史跡「斎宮跡」から東へ約600メートルの地点。道幅約8メートル、長さ約30メートルで、道路の両脇には幅1・5−2・5メートル、深さ最大30センチの側溝があった。

 既に斎宮跡で見つかっている道路の延長線上に位置し、一直線でつながる可能性が高いという。


 白虎の頭近くに黒い染み
 高松塚古墳でまたカビ?

 文化庁は19日、奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)で、西壁に描かれた四神図「白虎」の頭から数センチ上にカビのような黒い染みがあるのを確認したと発表した。

 同庁によると、染みは直径約5ミリ。ほかにも西壁の数カ所で同じような染みが見つかったが、いずれも壁画のない余白部分だという。

 高松塚古墳では最近、白虎図の北隣にある女子群像の額などに黒い染みが確認されたため、17日に国立医薬品食品衛生研究所の高鳥浩介衛生微生物部長らが石室内に入って調査。この際、肉眼観察で新たな染みを発見したという。既にサンプルを採取しており、カビかどうか分析した上で除去方法を検討する。

 高鳥部長は「過去のカビが残っていて、再発しているのではないか」と話している。

 「拠点集落を再確認」
 東近江・中沢遺跡 勾玉と製塩土器出土

勾玉と製塩土器が出土した中沢遺跡の発掘現場(東近江市佐野町)
 滋賀県の東近江市教委と同市埋蔵文化財センターは18日、同市佐野町の中沢遺跡で、古墳時代の竪穴住居跡66棟と、勾玉(まがたま)など10点、製塩土器が出土した、と発表した。同センターなどは「同遺跡が長期間にわたって愛知川流域一帯の拠点集落だったことを再確認できた」としている。

 同遺跡は隣接する斗西(とのにし)遺跡と合わせ約40ヘクタールある。県教委などの調査で、弥生時代後半(3世紀)から中世にかけて、1000棟以上の竪穴住居跡、掘っ立て柱建物跡が確認されている県内有数の遺跡。

 今回の調査は宅地開発に伴い、約2500平方メートルで行われた。確認された竪穴住居跡は古墳時代初頭(3世紀末)から同後期(6世紀中ごろ)まで何回も建て替えられ、重なっていた。古墳時代前期の住居跡から、祭祀(さいし)などに使われた長さ3センチほどの勾玉と材料の滑石の破片約10点が出土。滑石を加工した玉作り工房があったとみられる。

 同中期の住居跡からは、当時は貴重品の製塩土器(高さ10センチ、直径5センチ)1点が出土。丸底の砲弾形で、表面に縄でたたいたような跡があり、その特徴から大阪や和歌山方面から持ち込まれたと推定される。

 林博通滋賀県立大教授(考古学)は「玉作りの遺構や製塩土器の出土で、中沢・斗西遺跡が愛知川流域一帯の拠点集落であったことを再確認でき、古代史の解明に貴重な手がかりを与える」と評価している。

 現地説明会は20日午後1時半から。

 1500年前の女性戦士か
 ペルーで入れ墨したミイラ

 両腕に入れ墨をし、優美な金の装飾品とともに葬られた、約1560年前の女性のミイラをペルー北部の遺跡で発掘したと、米地理学協会が16日発表した。副葬品には戦闘用のこん棒など武器も含まれており、地位が高い女性戦士の可能性があるという。

 ペルー北部に当たる地域で当時栄えていたモチェ文化のものとみられる。ミイラは保存状態が非常に良く、推定年齢は20代後半。いけにえらしい少女の骨が隣にあったことや副葬品の豪華さから、かなり地位が高いことは間違いなさそうだ。

 キトラ古墳の天文図にまたカビ

 文化庁は17日、キトラ古墳(奈良県明日香村)の石室天井に描かれた天文図の「赤道」上に、黒いカビ状のものが見つかったと発表した。天文図では先月にも、星座の上に同様のシミが見つかっており、今回で2例目。

 同日、石室内の壁画を定期点検したところ、朱色の線で円形に描かれた赤道の真上に、1ミリにも満たない黒い粒状のシミが、縦3センチ、横2センチほどの範囲で広がっていた。

 赤道のすぐ近くには、金箔(きんぱく)で表現された星座おうし座に相当する「畢宿(ひつしゅく)」があるが、星座には及んでいなかったという。

 石室内は現在、12・5度、湿度99%に保たれている。

 キトラ白虎 “赤カーボン”で下描き

 キトラ古墳(奈良県明日香村)の極彩色壁画・白虎に、墨で描かれた輪郭線とは別に、下描きの赤い線が残っていたことが文化庁などの調査で分かった。壁画を描く際、赤く塗った紙をカーボン紙のように石室の壁に当てて、その上からヘラのようなもので下絵の輪郭線をなぞっていたことが判明。高松塚壁画にはこうした線は見つかっておらず、当時の壁画技法を知る上で貴重な資料になりそうだ。

 白虎は、一昨年9月に古墳内の石室からはぎ取られ、奈良文化財研究所(奈良市)で修復保存が行われていた。その際の調査で、前足の付け根の毛を描いた部分に、赤い線が数センチにわたって5本ほど見つかった。

 斜めから光を当てるなどしてさらに詳しく調べたところ、赤い線は、ヘラによる下描きの刻線と一致していた。

 こうしたことから、白虎を描く際には、ベンガラなど赤色顔料を塗った紙を、石室の漆喰(しっくい)層に当て、その上に白虎の下絵をのせて、輪郭線をヘラなどでなぞると、漆喰層に赤い線が浮き出るという、一連の描写技法が明らかになった。

 これまで、南壁の「朱雀」、東壁の十二支像「寅」でもヘラによる刻線は見つかっていたが、赤い線は確認されていなかった。今回の発見で、赤いカーボン紙の存在が初めて実証されることになった。

 有賀祥隆・東北大名誉教授(美術史)の話 「これまで推定されていたカーボン紙の存在が、実際に証明され、キトラ壁画は中国の技法で描かれた可能性がさらに高まった。赤い線はあくまで下描きなので、本来は残らないようにしたとみられるが、よく残っていたものだ。朱雀など、白虎以外の壁画も、紙に赤い色を塗って下描きをしたのだろう」

 女子群像の染み調査

 明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末〜8世紀初め)で、極彩色壁画のうち「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像の顔にカビのような黒い染みが見つかった問題で、文化庁は16日、微生物の専門家を17日午後に派遣、現地調査すると発表した。

 杉山純多東京大名誉教授(微生物系統分類学)と国立医薬品食品衛生研究所の高鳥浩介衛生微生物部長が石室内に入り、目視で染みの状態を点検、サンプルを採取する。

 土地1万平方メートル、市に寄付
 京丹後・網野銚子山古墳

 京丹後市は16日、日本海側最大の前方後円墳で国指定史跡の「網野銚子山古墳」(網野町)について、土地を所有する網野連合区から古墳用地約1万平方メートルの寄付を受けたことを明らかにした。今後は市有地として遺跡整備を進める。

 同古墳は古墳時代前期後半(4世紀末)〜中期初頭(5世紀初め)に築造され、全長198メートル。墳丘は三段で、各段には円筒埴輪(はにわ)の列が巡らされ、1922年に国の史跡に指定された。

 合併前の旧網野町で「網野創生の丘」の整備基本構想などがまとめられていたが、アクセス道路の狭さなどが懸案になっていた。網野連合区は「市民全体の歴史とロマンの有形財産として適正な管理を願いたい」と4月末に寄付を決めた。

 寄付した土地は古墳一帯の山林1万651平方メートルと畑36平方メートルの計1万687平方メートル。網野連合区と市が覚書を交わし、これまでは同連合区が実質的に所有、管理していた。

 「丹後王国」のゆかりの地とされる同市は、合併した旧6町ごとに多くの遺跡がある。整備に課題が山積していることから「史跡整備検討委員会」(委員長・小野山節京都大名誉教授)を立ち上げており、今秋に基本方針をつくる。同市は土地の境界を今後確定し、将来の整備に向けて必要な測量を始めるという。

 文化庁が組織ぐるみで隠蔽か
 高松塚壁画「傷みは自然劣化」

 高松塚古墳(奈良県明日香村)の国宝壁画剥落(はくらく)事故(平成14年1月)に絡み、壁画について報道機関から問い合わせがあった場合、当時の文化庁文化財部長の了承のもと、傷みは「経年の自然劣化」が原因と説明するよう申し合わせたことが12日、内部資料から分かった。人為的ミスについて、同庁が組織ぐるみで隠蔽(いんぺい)しようとした可能性が浮かび上がった。

 この内部資料は、事故から2カ月がたった14年3月15日付で、高松塚壁画発見30周年にちなんで、報道機関から最新の写真の提供依頼を受けた際の対応として、手書きで記されていた。

 「発見当時の画像と比較されてもやむを得ない。その場合は、経年による自然劣化として説明して対応する」などという内容だったという。

 資料に記された3月15日時点では、損傷した男子群像の剥落部分はくっきり分かる状況にあった。 しかし同庁は、その約2週間後の28日、殺菌した土を男子群像の剥落部分に塗って、見えないようにした。

 一方、当時の壁画は、白虎を中心にカビや薬剤で退色したり黒ずむなど劣化が進行。関係者の間では、壁画の現状の公開のあり方について検討していたという。

 今回の内部資料には「部長了解」とも記されており、こうした壁画劣化の原因について、同庁が組織として、自然現象で片付けようとした状況もうかがえる。

 同庁美術学芸課は「剥落事故を隠すためか、壁画全体の状況を示しているのか分からない。調査委員会で当時の関係者に事情を聴いて確認したい」としている。

 古墳時代の遺物135点並ぶ
 水口で企画展、14日に発掘報告会

 滋賀県甲賀市水口町の古墳時代の遺構「植遺跡」を紹介する企画展「発掘植遺跡−甲賀の埋蔵文化財II」が、同市の水口歴史民俗資料館で開かれている。

 植遺跡は、2001、02年に県教委などが発掘した5世紀中ごろから7世紀前半の遺構で、当時の一般的な倉庫の2、3倍の大きさをもつ大型倉庫3棟をはじめ、100棟以上の竪穴住居群が確認されている。

 会場には、須恵器の大甕(かめ)やコメなどを蒸したこしき、かまどに据えたとみられる煙突状の土製品など遺物135点のほか、発掘現場の写真や倉庫群の復元イメージ図、地図など18点を展示している。遺跡の変遷過程や周辺の遺跡との関連なども解説している。

 28日まで。14日午後2時から、同歴史民俗資料館に隣接するの水口図書館で植遺跡の報告会もある。資料館の入館料は高校生以上150円、小中学生80円。月曜休館。

 村民に「白虎」初公開
 明日香村・キトラ古墳 驚きと歓声

 極彩色壁画で知られる奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)の石室から、修復・保存のためはぎ取られた四神図「白虎」が11日、奈良文化財研究所飛鳥資料館(同村)で村民に初めて公開された。

 同古墳の壁画が公開されるのは1983年の発見以来初めて。間近に見る“村の宝”に「きれい」と歓声が上がった。一般公開は12日から。

 カビなどの発生を防ぐため、室温20−25度、湿度60%に保った免震装置付きのガラスケース(縦横それぞれ約1・5メートル、高さ約1・4メートル)で厳重に管理。白虎図の保存状態は良く、ガラス越しにも、見開いた目やむき出しになった前脚のつめがくっきり見える。

 飛鳥美人にまた黒い染み

 文化庁は10日、奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画の定期点検で、「飛鳥美人」と呼ばれる西壁の女子群像の顔付近など2カ所にカビのような黒い染みがあるのを確認した、と発表した。除去が可能かどうかなどについて今後、微生物の専門家に調査を依頼する。

 染みが見つかった女性像は、4体のうちの右から2番目で、今年2月に目尻や肩付近で黒い染みを確認したのと同じ人物像。5月2日の定期点検の際に撮影した写真を精査して気付いたという。

 染みは額付近と、胸の少なくとも2カ所にあり、それぞれ直径1−2センチの大きさ。同庁は「2月に確認したカビやバクテリアなどの混合物による染みが広がった可能性もあり、近く現地で詳しく調査したい」と話している。

 天文図の黒カビほぼ除去
 キトラ古墳、星の輝き戻る

 文化庁は2日、奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)で石室天井の天文図に発生した黒カビのようなものは、薬品を使ってほとんど除去できたと発表した。

 同庁が公開した作業後の写真では、金箔(きんぱく)を張り付けた星の輝きが鮮やかによみがえった。5日に行う定期点検で、再発生がないか確認する。

 カビ状の物質は天文図東側の星座「尾宿(びしゅく)」にかかるように広がっていたが、担当者によると「目に見える部分は全部取れた」という。当初、直径約7センチの範囲に広がっているとみられていたが、実際は約4センチだった。

 文化庁によると、2日午後3時から修復技術者2人がエタノールを付けた筆を使い、作業を開始。1時間半かけて黒カビのようなものを除去した。

 カビの専門家が天文図調査

 極彩色の壁画が劣化し、石室の部分解体が議論されている奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)で文化庁は2日、石室天井の天文図に発生した黒いカビのようなものの調査を行った。

 午前11時前から国立医薬品食品衛生研究所の高鳥浩介衛生微生物部長が石室に入ってカビのようなものを採取。今後分析し、カビと確認されれば種類を特定、除去方法などを検討する。

 問題の黒い物質は、4月28日の定期点検で見つかった。直径約7センチで、金箔(きんぱく)で星を表した天文図の東側に位置する星座「尾宿(びしゅく)」にかかるように広がっており、金箔にも及んでいた。

 植遺跡の出土品の写真展示
 甲賀で企画展

 甲賀市水口町の水口歴史民俗資料館で、春季企画展「発掘 植遺跡−甲賀の埋蔵文化財2」が開かれている。二十八日まで。

 植遺跡は、五世紀半ばから七世紀前半までに形成された古墳時代の遺構。県営ほ場整備に伴い、県教育委員会と県文化財保護協会が二〇〇一−〇二年度に発掘した。通常の二−三倍の規模を誇る五世紀半ばの大型倉庫三棟をはじめ、倉庫群廃絶直後から七世紀前半までの竪穴住居跡が百棟以上、確認されている。

 同展には、遺構からの出土物約百点のほか、発掘時の写真や出土物の位置を示した図など約四十枚を展示。煮炊きに使った甕(かめ)、米を蒸す「コシキ」と呼ばれる器、祭事に使ったミニチュア土器など当時の生活をうかがわせる出土物も多く展示され、植遺跡の特徴や変遷を詳しく紹介している。

 高校生以上百五十円、小中学生八十円。月曜休館。十四日午後二時から、担当者による報告会がある。


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