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2008/09/28 (Sun) 藤原宮朝堂院跡
2008/09/27 (Sat) 平城宮跡

 高松塚壁画を一般公開へ
 公開求める世論に配慮

 「飛鳥美人」で知られる、奈良県明日香村の高松塚古墳(特別史跡、7世紀末−8世紀初め)の極彩色壁画について、文化庁は28日、石室解体後、壁画を修理する作業室にガラス窓を設け、一般の人が壁画を見学できるようにすることを決めた。

 期間限定になる見通しだが、実現すれば、壁画の公開は1972年の発見以来初めて。修理中の国宝絵画を公開する異例の試みで、文化庁は「壁画公開を求める世論などに配慮した」としている。

 同庁によると、古墳がある国営飛鳥歴史公園内に壁画修理施設を建設する計画で、8月に着工し、来年3月完成する予定。

 西大寺で8世紀の食堂跡
 創建当時の勢力示す

 奈良時代に東大寺と並び称される大寺だった西大寺(奈良市)の旧境内で8世紀後半の大型建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が28日発表した。僧侶が斎食(さいじき)する食堂(じきどう)の一つだったとみられ、大勢の僧侶らを養うための食料貯蔵用かめも多数出土。創建当時の西大寺の勢力を示す資料として注目されそうだ。

 建物跡は、東西8・4メートル以上、南北21メートル以上。東側に柱穴跡より間隔の狭い穴跡が並んでおり、ひさしが付いた立派な建物だったらしい。

 また建物跡の約30メートル東で、須恵器のかめを埋めた直径約40−20センチの穴の跡13カ所も確認。以前の調査で隣接地から同様の穴が数十カ所見つかっており、80基以上のかめが4列で整然と並んでいたとみられる。

 6世紀の「蛇行剣」出土
 南丹・城谷口古墳群 円墳など11基確認

 京都府南丹市八木町北広瀬の城谷口(じょうだにぐち)古墳群を調査していた京都府埋蔵文化財調査研究センターは28日、古墳時代中期(5世紀)から後期(6世紀)にかけての古墳計11基を確認し、6世紀のものとみられる鉄製の「蛇行剣(だこうけん)」などの副葬品が見つかった、と発表した。蛇行剣の出土は府内で2例目。6世紀のものは近畿では初めてで、専門家は「蛇行剣が近畿地方でいつごろまで流行していたかを知る貴重な史料」としている。

 調査は、工場進出の開発に伴い今年4月から行われた。古墳時代中期の方墳3基と、後期の円墳8基を確認。方墳は最大のもので縦横各約20メートル、墳頂部は高さが約5メートルで、口丹波の方墳では珍しく墳丘が高いものもあった。円墳は、最大で直径12メートルあり、横穴式石室が確認された。

 蛇行剣は長さ約70センチで、比較的大きい円墳の横穴式石室の奥壁付近から人骨や刀とともに出土。他の古墳では、須恵器や耳環、管玉など多数の副葬品が見つかった。

 同センターによると、蛇行剣は祭祀に使われたとみられる。西日本を中心に5−6世紀のものとされる剣が約60本確認されている。府内では、綾部市の奥大石古墳群から5世紀のものとみられる1本が出土している。

 同センターは「旧八木町一帯を治めた有力豪族の墓地群と見られ、口丹波の古墳の変遷や葬送儀礼の変化などを知る貴重な手掛かりになる」としている。現地説明会は7月1日午後2時から。

 菱田哲郎・府立大文学部助教授の話古墳群は2世紀にわたって墓地が次々と作られて使われた口丹波では珍しいケース。6世紀の蛇行剣は鹿児島県と宮崎県でしか見つかっておらず、近畿地方では5世紀のものしか発見されていない。近畿での流行の終わりを知る上で貴重な史料だ。

 祭祀用?編みかご出土

 川西町の前方後円墳・島の山古墳(4世紀末〜5世紀初め、国史跡)で、祭祀(さいし)で使われたとみられる竹やつるなどで編んだかご4点と、供え物として中に入れてあったらしいヒシの実や桃の種が出土し、同町教委が22日、発表した。古墳で行われた祭祀を具体的に示す資料として注目される。7月8日から橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で、調査成果の写真パネルが展示される。

 前方部と後円部を結ぶ古墳西側のくびれ部分約360平方メートルを調査したところ、墳丘からせり出した祭祀の舞台「造出(つくりだし)部」を確認。その外側で、直径35〜50センチの編みかご4点が地面に置かれた形で見つかり、ヒシの実1点と桃の種2点がかごのそばにあった。

 桃は不老長寿の神や仙人の食べ物として古代から神聖視されてきた。ヒシの実も子どもの身代わりに水を司る竜に差し出したとされ、桃の節句に供えるひしもちはその名残という。これらのことから、いずれも被葬者への魔よけとして供えたものらしい。

 また、墳丘のすそとみられるふき石も一部で見つかり、古墳の全長は現状より10メートル大きい200メートルの大王墓と判明。かごなどもふき石と同じ層から出土しており、築造時の祭祀で使われたと推定される。

 同古墳は、巨大古墳が河内に築かれる「倭の五王」の時代(5世紀)の直前に築かれ、初期大和政権の王や有力豪族・葛城氏と深いかかわりがあると考えられている。また、王権内の政権交代を知る上で鍵を握るとされており、町教委は「植物製品が巨大古墳で見つかるのはまれで、王権の実態に迫る資料だ」としている。

 人類最古のビーズか?
 10万年前の穴の開いた貝殻

 イスラエルとアルジェリアの遺跡から出土した中心部分に穴の開いた3つの貝殻が、装飾品としては人類最古となる約10万年前のビーズとみられることが、英ロンドン大などの研究グループの調査で分かった。23日付の米科学誌サイエンスに掲載された。

 これまで見つかった最古の装飾品は、南アフリカのブロンボス洞窟(どうくつ)から出土した約7万5000年前の貝殻ビーズとされており、それよりさらに約2万5000年古い。

 貝殻の大きさは約1・5−2・0センチで、中心部に穴が開いている。3つのうち2つはイスラエルの遺跡で1930年代初頭に、残る1つはアルジェリアの遺跡で40年代終盤に出土し、博物館に収蔵されていた。

 種もみ貸し付け 最古の記録
 野洲、西河原宮ノ内遺跡で木簡出土

 滋賀県野洲市西河原の西河原宮ノ内遺跡で、7世紀末から8世紀初めの木簡7点が出土し、滋賀県教委が22日、発表した。このうち1点は、朝廷が農民に種もみを貸し付ける制度「出挙(すいこ)」の運用の記録とみられ、同制度に関する木簡としては国内最古という。県教委は「大宝律令前後に、文書による地方経営が行われていたことを示す重要な資料」とみている。

 出土した木簡は、1985年度の試掘調査時に見つかった1点を含み、いずれも材質はヒノキで、長さ約30センチ、幅4センチ。「辛卯(しんぼう)年」(691年)「庚子(こうし)年」(700年)「壬寅(じんいん)年」(702年)の干支(えと)表記による制作年が3点に記述されていた。

 出挙は農業の普及や農民救済を目的に利息付きで種もみを貸し付けた制度で、出土した1点に「右2人貸稲」「稲二百」などの文字があり、県教委は運用の記録とみている。別の2点にも「稲千三百五十三半把(わ)」「俵二石春稲」など稲の管理、収納に関する記述があり、これらも出挙に関連する木簡とみている。

 同遺跡は、7世紀後半から9世紀にかけて存続した公的施設とみられている。今回見つかった木簡のほとんどが大型高床式倉庫(床面積約45平方メートル)の支柱の穴から出土しており、倉庫を壊した際、半分に折って廃棄したとみられる。

 出挙に関する木簡は出土例が少なく、同市の西河原森ノ内遺跡や福岡県太宰府市の太宰府跡などで見つかった奈良時代のもの三例だけという。

 滋賀県安土町考古博物館の大橋信弥学芸課長は「日本書紀などの文献では出挙の具体的な運用が分からなかった。その解明につながる貴重な資料だ」と話し、京都橘大の増渕徹教授(古代史)は「公的施設のあった遺跡周辺での地域支配を知る手がかりとなる」と話している。

 国内最大の鉄製人形
 長岡京跡・大路交差点跡で出土

 京都府向日市埋蔵文化財センターが同市鶏冠井町馬司の長岡京跡で行った発掘調査で見つかった鉄製人形(ひとがた)(残存長26・7センチ)が、出土した金属製の人形としては国内最大であることが、同センターの調べでこのほど分かった。出土地点は人の往来が激しい都の中心部の交差点の溝跡で、けがれをはらう国家的祭祀(さいし)に使われたとみられる。同センターは「鉄製人形は通常、小形で、短冊状のものが一般的」としており、古代都城における祭祀のあり方や人形の系譜を考える上で貴重な資料となりそうだ。

 長岡京跡で金属製の人形が出土したのは初めて。見つかった人形は最大幅7・7センチ、厚さ4−5ミリ、重さ123グラム。円形の頭部にいかり肩を持ち、鏨(たがね)を使って手や足を表現している。さびがひどく、顔の表現などは不明。片腕は欠損している。

 2002年に同センターが行った調査で、天皇が住んだ内裏から東に延びる二条条間大路と、左京の南北のメーンストリートの一つである東二坊大路の交差点の溝跡から出土した。東二坊大路は、桓武天皇が平安京遷都直前に仮の内裏とした東院跡にも通じており、同センターは「離宮や役所も集中するなど、都にとって非常に重要な地点。大きな鉄製人形を祭祀に使った理由が、こうした土地柄とかかわる可能性もある」とみている。

 同センターによると、これまでは平城京跡で出土した残存長25・7センチ、幅約1センチの短冊状の鉄製人形が国内最大の金属製人形とされていた。

 見つかった鉄製人形は7月15日から30日まで、向日市文化資料館で展示する。問い合わせは同センターTel:075(931)3841。

 ■大きな行事で使う?

 金子裕之・奈良女子大特任教授(古代都城史)の話大祓(はら)えなど大きな行事で桓武天皇や皇后クラスの身のけがれをはらったのではないか。

 大谷古墳出土品など200点
 京丹後市の新指定文化財展

 京都府京丹後市丹後町宮の丹後古代の里資料館で、女王の墓として知られる大谷古墳の石棺(大宮町谷内)など、新たに市指定文化財に加えられた3件の出土遺物を紹介する「平成17年度指定文化財展」が開かれている。丹後の古代史にスポットを当てた特別企画で、考古学ファンの関心を集めている。

 3件は大谷古墳(古墳時代中期)のほか、平遺跡(丹後町平、縄文時代−古墳時代)の出土遺物と、鎌倉時代の作とされる大宮神社(弥栄町野中)の神像4体。

 大谷古墳は、捩(ねじり)文鏡や鉄剣、ヒスイの勾玉(まがたま)などの副葬品を展示。女性人骨が見つかった箱形石棺など出土状況もパネル写真で見せる。

 平遺跡は、漁網の重りに使われた石錘や大小の土師器(はじき)、須恵器のほか、海水から塩をつくる道具の製塩土器などがそろう。また、大宮神社の女神、男神、僧形神、如来の4座像もパネル写真で紹介。3件合わせて約200点を並べている。

 7月30日まで(火曜休館)。大人300円、小中学生150円。問い合わせは同館TEL0772(75)2431。

 右京区の平安京跡 弥生中期―後期の方形周溝墓7墓

 京都市埋蔵文化財研究所は、平安京の右京五条三坊十四町跡(右京区西院日照町)で弥生時代中期から後期(1〜3世紀半ば)の方形周溝墓が7基見つかったと発表した。同研究所では「当時、これだけ長期にわたって墓域とされていたのはまれなのでは」としている。現地説明会は10日午前10時に開く。
 方形周溝墓は、約300年間にわたって作られたと見られる4〜19メートル四方のものが7基隣り合うように並んでおり、うち1基は市内の出土例の中では最大級。集落の長の様な存在が埋葬された墓と見られる。

 周辺には、弥生時代から古墳時代にかけての西京極遺跡や西院遺跡もあり、同研究所は「一帯に大規模な集落が広がっていた可能性が高くなった」としている。

 オオヤマト古墳群考える
 17日に天理大で公開フォーラム

 天理市のオオヤマト古墳群の保護などについて話し合う、公開フォーラム「オオヤマトの古墳群と地域を考える」が17日、同市杣之内町の天理大学杣之内キャンパスふるさと会館で開かれる。

 同古墳群は天理市南部から桜井市北部にかけて、3〜6世紀の古墳約50基が点在し、古代国家の形成過程を研究する上で重要な古墳群とされる。が、古墳群の一部を貫くバイパス道路が建設されるなど、破壊の危機が叫ばれている…

 ◎問い合わせは、天理大学文学部考古学・民俗学研究室、電話0743(63)9035。

 奈良時代の溝跡見つかる
 八幡市、月夜田遺跡 山陽道の可能性

 京都府八幡市八幡の月夜田遺跡を調査している同市教委は1日、人工的に造られたとみられる奈良時代の溝跡が見つかったと発表した。調査場所は、都と九州・大宰府を結んだ官道「山陽道」のルート上とされる地点で、市教委は「溝跡は、これまで言われている山陽道の向きと同じであることから、この溝に沿って山陽道が走っていた可能性もある」としている。

 見つかったのは、幅2・7メートル、深さ1メートルの溝状の遺構。北西から南東方向に流れ、調査した長さは約4・5メートル。自然河川を粘土などで埋めて造っており、出土した瓦や土器類から8世紀前半の奈良時代に造られたとみられる。

 山陽道は、現在の京田辺市三山木付近から北西に山すそに沿ってはしり、八幡市を抜けて樟葉へ抜けたとされる。調査地周辺の土地や道路が、北西−南東方向に斜めに走ることから山陽道説が唱えられていたが、今回、奈良時代の溝が同じ方向で出土したため、市教委社会教育課文化財保護係の大洞真白さんは「山陽道がこの近くを通っていたとの説に一歩近づく発見」と話している。

 現地説明会は4日午後2時から行う。問い合わせはふるさと学習館Tel:075(972)2580。

 装飾古墳をドームで保存
 全国初、永安寺西古墳

 熊本県玉名市玉名の国史跡・永安寺西古墳(6世紀後半)を保存のため丸ごと覆うドームを、同市が国と県の補助事業で完成させた。装飾古墳の保存方法として、全国初の実験的な試み。3日に内部が一般公開される。

 玉名市教育委員会は「ドーム保存は、石室にじかに入って見学できるのがメリット。ただし前例がなく、環境の変化を予測できない面もある」としている。

 ドームは直径約19メートル。鉄骨トラス構造で、硬質発泡スチロールの上に土とコンクリート系の材料を混ぜて吹き付け、色は景観に配慮して、周辺の土と同じ薄い褐色にした。2重の出入り口で、直接外気に触れるのを避け、高湿度を保ち温度の変動を抑える。


 装飾古墳をドームで保存
 全国初、永安寺西古墳

 熊本県玉名市玉名の国史跡・永安寺西古墳(6世紀後半)を保存のため丸ごと覆うドームを、同市が国と県の補助事業で完成させた。装飾古墳の保存方法として、全国初の実験的な試み。3日に内部が一般公開される。

 玉名市教育委員会は「ドーム保存は、石室にじかに入って見学できるのがメリット。ただし前例がなく、環境の変化を予測できない面もある」としている。

 ドームは直径約19メートル。鉄骨トラス構造で、硬質発泡スチロールの上に土とコンクリート系の材料を混ぜて吹き付け、色は景観に配慮して、周辺の土と同じ薄い褐色にした。2重の出入り口で、直接外気に触れるのを避け、高湿度を保ち温度の変動を抑える。


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