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2008/10/01 (Wed) 高松塚壁画
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2008/09/30 (Tue) 箸墓古墳
2008/09/28 (Sun) 藤原宮朝堂院跡
2008/09/27 (Sat) 平城宮跡

 関西大名誉教授

 網干善教氏(あぼし・よしのり=関西大名誉教授、考古学)29日午後9時20分、胆管がんのため奈良県生駒市の病院で死去、78歳。奈良県出身。自宅は奈良市朱雀2の1の23。葬儀・告別式は8月1日午後1時半から奈良市佐保台1の3574の4、ならやま会館で。喪主は長男善雄(よしお)氏。

 関西大助教授で奈良県立橿原考古学研究所研究員を兼務した72年、高松塚古墳(奈良県明日香村)発掘の現場責任者となり、「飛鳥美人」と評された人物群像や四神図など極彩色壁画を発見。古代史ブームを巻き起こした。壁画の劣化が発覚してからは文化庁の姿勢を厳しく追及。文化庁が計画する古墳の解体に強く反対していた。

 キトラ古墳(明日香村)の学術調査団顧問を務めるなど、飛鳥地方の古墳調査に尽力した。著書に「飛鳥の遺跡」など。

 石室を3D計測-反時計回りにねじれ

 文化庁の委託を受けた奈良文化財研究所が昨年末に実施した高松塚古墳石室内の3D計測(3次元レーザースキャナー計測)の立体画像などが27日、公開された。石室の現状を知るために実施されたもので、石室の「ゆがみ」の正確な数値などが判明。来年春に行われる解体修理前の石室の形状を記録した貴重な資料となる。

 調査は和歌山県橋本市の測量会社共和の協力で実施。レーザーを照射し反射して戻ってきた光で距離や位置関係を数値化する計測機が使われた。石室内の2カ所の基準点に計測機を置き、各約1時間ずつ計測。採取された約147万点の座標地データを分析・加工して、図面と立体画像を作成した。

 調査の結果、石室は水平・垂直を基準とすると、床面が北東隅から南西隅に向って約7センチ下がっており、天井も同様に約8センチ下降していることが判明。また、東西両壁の上端が西へ2センチ前後傾くなど、石室が反時計回りにねじれていることが分かった。本来、水平・垂直に築かれた石室。

 町衆の陶器、鮮やか
 中京で桃山時代の碗など出土

 京都市中京区で、桃山時代の碗や水差し、皿や花生けなど大量の陶器が28日までに見つかった。花や鳥をあしらった優美なものから、陶工の創造性を感じさせる斬新なデザインもあり、桃山文化の多様性をうかがわせる。

 中京区富小路三条上ルのマンション建設に伴う立ち会い調査で、江戸時代初期のごみ捨て穴(東西6メートル、南北4メートル以上)から、木製品などに交ざって出土した。周辺は過去にも同時期の陶器が大量に見つかっており、古地図の「せと物や町」などの記述から、三条通に陶器店が軒を連ねていたとみられる。調査した京都市埋蔵文化財研究所では「底を滑らかにしたり、漆接ぎをしたりするなどの痕跡があり、生活で使われていたものも多い。裕福な町衆に広く茶の湯が流行していた証しではないか」と話している。

 石室の解体、20〜30年に一度必要
 ●文化庁検討会作業部会 補強樹脂に寿命●

 高松塚古墳(明日香村)の保存対策のため石室を解体・修復している間の古墳に石室のレプリカを仮整備する案をまとめた19日の文化庁検討会の作業部会では、今回の修復を終えても20〜30年に一度は石室を解体して壁画を修復し続ける必要があると報告された。壁画補強用の樹脂に寿命があるためで、今後新たな課題として議論を呼びそうだ。

 「壁画修理の方針と手順」案のなかで、東京文化財研究所の川野辺渉・修復材料研究室長が明らかにした。川野辺室長は「補強用の樹脂の寿命から、20〜30年に一度は壁面を上向きにして壁画を強化処理しなければならない」として、「そのため将来の解体方法も考えながら、石室をもとに戻す方法を検討する必要がある」とも述べた。

 壁画の面が下向きになる天井については、「強化の程度やその効果持続期間の長さなどは現時点では見積もれない」などとした。

 作業部会はこのほか、当面の緊急対策として100%近い石室内の湿度を90%程度まで下げてカビの発育を遅らせる処置や、墳丘内での防護服着用などを明文化した作業マニュアルの作成を来週にも開かれる検討会に進言することにした。

 ●墳丘劣化に具体策示さず/壁画クリーニングに限界●

 19日に開かれた高松塚古墳保存対策検討会の作業部会は石室解体後のあり方が主テーマとなり、20〜30年に一度は石室解体を伴う壁画処理が必要とされた。古寺の仏堂などの場合、100年に一度の部分修理と300年に一度の解体修理が必要といわれる。高松塚はこの10分の1程度の頻度で再発掘、解体修理を繰り返さなくてはならないことになるが、石室の劣化などの問題はないのだろうか。

 部会の席上でも「石室の凝灰岩はもつのか。第一、(壁画を良好に保つには)博物館のような空調施設が必要だが、そんな環境をつくれるのか」という声があった。保存科学の専門家が「(安全な再発掘は)やり方次第」「(保存環境は)これからの議論だ」と応じたが、すっきり疑問解消とはいかなかった。

 墳丘自体の劣化の問題も考慮され、検討会で示された「仮整備基本計画案」に「墳丘、発掘区の断面など遺構保存を確実に行う必要がある」と盛り込んだが、その具体策は示されなかった。硬くたたき締められたはずの墳丘は過去の大地震で亀裂が入っていて、それが石室解体を急ぐ根拠のひとつにもなっている。劣化防止にどんな材料や技術があり、どれだけの強度をいつまで保てるのか。解体前に確認しておかなくてはならない。

 また、壁画のクリーニングに限界があることもこの部会で明らかになった。東京文化財研究所の川野辺渉室長は、カビなどの生物被害について「色が濃く時間を経た痕跡は除去できない。皆さんが想像しているようなきれいな状態にならないことは理解してほしい」と話した。

 さらに補強のため合成樹脂を塗ると壁画がつやつやした「濡(ぬ)れ色」になることや、樹脂の変化によって部分的に「濡れ色」の濃淡ができることも説明された。壁画の劣化が進んでいるのだからやむを得ないことだが、「処置後はこうなりますよ」というサンプルを示し、市民の理解を得る説明の機会も必要だろう。

 サメだと思ったら…タイ?
 弥生時代の絵画に新説

 鳥取市の青谷上寺地遺跡など、山陰地方の弥生時代の遺跡で見つかった「サメ」の絵は、実はフナやタイだった−。奈良文化財研究所の深沢芳樹上席研究員(考古学)が19日までに、こんな新説をまとめた。

 「サメ」の絵をめぐっては、因幡の白ウサギ伝説などと関連付け、「古代の山陰には独自のサメ信仰があった」とする意見もあっただけに、波紋を広げそうだ。

 深沢研究員は「特徴が実際のサメと違う。サメをよく知る山陰の人々が、こんな誤りはしない。魚を定型スタイルで表現した近畿と違い、山陰ではより躍動的に描こうと独自の工夫をしたのでは」と話している。

 サメだと思ったら…タイ?
 弥生時代の絵画に新説

 鳥取市の青谷上寺地遺跡など、山陰地方の弥生時代の遺跡で見つかった「サメ」の絵は、実はフナやタイだった−。奈良文化財研究所の深沢芳樹上席研究員(考古学)が19日までに、こんな新説をまとめた。

 「サメ」の絵をめぐっては、因幡の白ウサギ伝説などと関連付け、「古代の山陰には独自のサメ信仰があった」とする意見もあっただけに、波紋を広げそうだ。

 深沢研究員は「特徴が実際のサメと違う。サメをよく知る山陰の人々が、こんな誤りはしない。魚を定型スタイルで表現した近畿と違い、山陰ではより躍動的に描こうと独自の工夫をしたのでは」と話している。


 戦国時代の石組み井戸発見
 長岡京・開田城跡の土塁外側で

 長岡京市埋蔵文化財センターがこのほど実施した京都府長岡京市天神1丁目の発掘調査で、戦国時代に築かれたとみられる石組みの井戸が見つかった。発掘現場は開田城跡南東隅に現存する土塁から南方約50メートルの地点で、旧小字名は「城ノ内」。井戸の構造から一般庶民とは異なる有力者が所有した井戸と考えられ、同センターは「開田城に付随する区画が土塁の外側にも存在した可能性を示す貴重な資料」としている。

 6月1日から7月13日まで調査を行った。見つかった井戸は直径約70センチ、残存する深さは約1・2メートル。底には石などの沈下を防ぐために長さ約1メートルの木を四角に組み、人頭大からそれ以上の石を円形に組み上げて築いている。

 築造年代を明確に示す遺物は井戸内から出土しなかったが、同センターは「室町時代中ごろ以降にみられる構造で、乙訓地域では勝龍寺城跡から同様の井戸が見つかっている。開田城の中心部と近接するほか、地名や工法などから同城にかかわる有力者が所有した井戸と推定できる」と説明している。

 開田城は、戦国時代(15世紀後半−16世紀)に活躍した開田村の土豪・中小路氏の居館。これまでの調査で、一辺約70メートルの方形の周囲に幅約6・5メートル、高さ約2メートルの土塁と、幅約8メートル、深さ約1メートルの堀が巡らされていたことが分かっている。奈良の僧が書いた『大乗院寺社雑事記』の1470年の記事には、応仁の乱の際に山名是豊と丹波勢が開田城と勝龍寺城を攻めた、との記載もある。

 池の沢庭園遺跡で新たな遺構確認
 高島 造営時期、さかのぼる可能性も

 高島市教育委員会はこのほど、滋賀県内最古級の庭園遺跡とされる同市朽木村井の「池の沢庭園遺跡」で、鎌倉前期の池の遺構の下層で、新たに古い時代の池の遺構を確認した。後代に改修されたとみられ、さらに造営時期がさかのぼる可能性が出てきた、としている。

 同遺跡は、安曇川左岸沿いの約9000平方メートルに、池が湿地として残る。県教委が1980年に、池の中央付近で、「中島」や池の底に敷き詰めた玉石などを発見し、同時に出土した中国製青磁器の破片から鎌倉前期の遺構と判断した。

 市教委は現在、遺跡の3カ所を試掘しており、いずれの場所でも前回調査の遺構を確認した。このうち、最も北側の「中島」を含む試掘地で、池の縁を約50センチ掘り下げたところ、上部と同じ傾斜で、黄色がかった粘土と直径10−20センチの川原石を張り付けた「州浜」が出土した。「中島」の下層からも、かさ上げするために石を積み上げたとみられる跡が見つかったという。

 市教委文化財課は「池の造営当初の遺構とみられる。まだ時代は特定できないが、上部の鎌倉前期より時代がさかのぼるのは確実だ。ほかの試掘地でも、下層に遺構がないか、確認したい」と話している。

 市教委は15日午後1時半から、同遺跡の周辺で開く「ふるさと歴史ウオーク」の中で、今回の成果を説明する。

 新羅土器片など51点
古市桜谷遺跡で見つかった装飾土器

 2005年度に奈良市内の3か所で行われた発掘調査の成果を紹介する速報展示が10日、同市大安寺西の市埋蔵文化財調査センターで始まった。平城京のはずれで出土した珍しい朝鮮半島の「新羅土器」の破片や、同京内に築かれた平安時代初期の墓、新たに見つかった古墳時代後期の集落などの遺物計51点を展示している。8月31日まで。

 新羅土器は東九条町の平城京跡の側溝で出土し、縦約9・5センチ、横約12・5センチ。壺(つぼ)の破片とみられ、表面に花のような文様がびっしりと施されている。

 文様の形などから、新羅土器としては新しい8世紀後半〜9世紀初めに作られたとみられ、日本と新羅の交流を示す貴重な資料。そのほか、漆が入っていた土器も見つかっており、近くに漆工房があった可能性もあるという。

 出土地の周辺は平城京左京の南端部「九条三坊」で、下級役人の居住区域にあたるにもかかわらず、新羅土器のような舶来品が見つかったことに、市教委は「側溝の北側は遺構のあり方が周辺と少し違っており、特別な使われ方をした場所だったのかもしれない」と推測している。

 また、六条町の西の京丘陵では、平安時代初めの墓が5基出土。うち4基は、遺体を納めた木のひつぎを埋めた「木棺墓」だった。残る1基は、火葬した遺骨を木櫃(ひつ)(長さ約70センチ、幅約36センチ)に納めて埋葬したとみられる「木櫃墓」で、木櫃の周囲には木炭が敷き詰められ、723年に死亡した古事記の編さん者・太安万侶の墓(此瀬町)に似ているという。

 いずれにも骨は残っておらず、古代の貨幣「神功開宝」(765年鋳造)1枚や帯金具1点、壺などの副葬品が少量見つかった。奈良時代に同京内に墓を造ることは禁じられており、奈良から都が移った直後の墓の例として注目される。

 そのほか、古市町では古墳時代後期(6世紀前半)の集落遺跡「古市桜谷遺跡」(仮称)を発見。近くの馬垣内古墳などとの関連が考えられるといい、会場では装飾土器などの出土遺物を並べている。

 入場無料。午前9時〜午後5時。土、日曜、祝日は休館。問い合わせは同センター(0742・33・1821)へ。

 奈良で最古級の馬具出土
 朝鮮半島からの輸入品?

 奈良県平群町の剣上塚古墳(直径23メートル、円墳)で、5世紀後半とみられる馬具の飾り金具が見つかったことが7日、分かった。朝鮮半島からの輸入品とみられ、日本で出土した馬具としては最古級。発掘した同町教育委員会は「有力氏族・平群氏の武人を葬ったのだろう」と話している。

 飾り金具は「剣菱形杏葉(けんびしがたぎょうよう)」3点で、いずれも長さ約11センチ、最大幅約6センチ。鉄板に金銅板をかぶせ、びょうで留めていた。全体的にさびているが残りは良く、似たタイプが朝鮮半島南部で発掘されているという。町教委が今年3月、竪穴式石室からよろいの一部などとともに発掘した。

 古墳時代後期の水晶工房跡発見 埼玉の反町古墳

 埼玉県東松山市高坂の反町遺跡から、古墳時代前期(4世紀)とみられる水晶の玉造り工房跡が見つかったと、県埋蔵文化財調査事業団が4日発表した。玉は装飾や副葬品用で、水晶の工房跡としては、島根県や京都府などで弥生時代のものが見つかっているが、関東では初めてという。

 反町遺跡は都幾川のほとりにあり、弥生時代から室町時代までの遺構などが出土している。工房跡は4.1メートル×3.8メートル、深さ0.41メートルの竪穴遺構で、床面に多数の水晶や碧玉(へきぎょく)の破片が散乱。角柱状の水晶の原石(長さ約3センチ)が3個並んだ状態で見つかり、砥石(といし)(40センチ×10センチ)も出土した。工房跡から10メートルほど離れた溝からも水晶や碧玉の破片が見つかった。

 同事業団によると、水晶の破片などとともに古墳時代前期の五領式土器が出土したことから時代を特定。出土した水晶は山梨県甲州市で産出される「草入り水晶」と特徴が似ているという。

 同事業団調査部の赤熊浩一主査は「独自に工房を持つほどの権勢を持つ首長がこの地にいたことの証明になる」と話している。

 古墳時代後期の水晶工房跡発見 埼玉の反町古墳

 埼玉県東松山市高坂の反町遺跡から、古墳時代前期(4世紀)とみられる水晶の玉造り工房跡が見つかったと、県埋蔵文化財調査事業団が4日発表した。玉は装飾や副葬品用で、水晶の工房跡としては、島根県や京都府などで弥生時代のものが見つかっているが、関東では初めてという。

 反町遺跡は都幾川のほとりにあり、弥生時代から室町時代までの遺構などが出土している。工房跡は4.1メートル×3.8メートル、深さ0.41メートルの竪穴遺構で、床面に多数の水晶や碧玉(へきぎょく)の破片が散乱。角柱状の水晶の原石(長さ約3センチ)が3個並んだ状態で見つかり、砥石(といし)(40センチ×10センチ)も出土した。工房跡から10メートルほど離れた溝からも水晶や碧玉の破片が見つかった。

 同事業団によると、水晶の破片などとともに古墳時代前期の五領式土器が出土したことから時代を特定。出土した水晶は山梨県甲州市で産出される「草入り水晶」と特徴が似ているという。

 同事業団調査部の赤熊浩一主査は「独自に工房を持つほどの権勢を持つ首長がこの地にいたことの証明になる」と話している。


 日本最古級の横櫛が出土
 愛知県の彼岸田遺跡

 愛知県安城市の彼岸田遺跡で、4世紀末から5世紀前半につくられたとみられる日本最古級の木製横櫛(よこぐし)が出土したことが5日、分かった。

 同市教育委員会によると、横櫛は縦5・5センチ、横7・7センチ、歯数19本。朝鮮半島から渡来した鉄のこぎりで歯を削り出し、作られたと考えられる。材質とみられるイスノキは当時西日本に分布しており、横櫛は地域交流によって持ち込まれた可能性もあるという。

 大阪府八尾市の小阪合遺跡でも同様の形態の横櫛が出土しており、日本最古級としては2例目。

 同市教委は「この時代の渡来系技術の系譜を読み解く上で、重要な史料になる」と話している。


 日本最古級の横櫛が出土
 愛知県の彼岸田遺跡

 愛知県安城市の彼岸田遺跡で、4世紀末から5世紀前半につくられたとみられる日本最古級の木製横櫛(よこぐし)が出土したことが5日、分かった。

 同市教育委員会によると、横櫛は縦5・5センチ、横7・7センチ、歯数19本。朝鮮半島から渡来した鉄のこぎりで歯を削り出し、作られたと考えられる。材質とみられるイスノキは当時西日本に分布しており、横櫛は地域交流によって持ち込まれた可能性もあるという。

 大阪府八尾市の小阪合遺跡でも同様の形態の横櫛が出土しており、日本最古級としては2例目。

 同市教委は「この時代の渡来系技術の系譜を読み解く上で、重要な史料になる」と話している。

 葛城氏ゆかりの人物葬る?
 奈良・一本松古墳に陪塚

 古代の大豪族・葛城氏やその一族に仕えた有力首長の墓とみられる奈良県河合町佐味田の前方後円墳、一本松古墳(全長約130メートル、4世紀後半)で、墳丘そばに造られた同時期の方墳が見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が4日発表した。

 一本松古墳の被葬者の近親者か従者を葬った陪塚(ばいちょう)の可能性が高く、4−5世紀ごろ、天皇に匹敵する勢力を誇ったとされる葛城氏の実態を考える資料になりそうだ。

 同研究所によると、方墳はほぼ正方形で一辺約12−14メートル。一本松古墳の後円部南東側に寄り添うように築かれていた。墳丘外側に幅約4・5メートルの周濠(しゅうごう)があったが奈良時代に埋められ、埋葬施設も破壊されたらしい。



 一本松古墳に陪塚 馬見古墳群

 ◇円筒棺・埴輪棺も出土◇

 有力豪族の葛城氏の墓とみられる巣山古墳など多くの前方後円墳が点在する馬見(うまみ)古墳群内にある河合町佐味田の一本松古墳から、円筒棺と円筒埴輪(はにわ)を棺(ひつぎ)にして埋葬した4世紀後半(古墳時代前期末〜中期初め)の方墳が見つかった。県立橿原考古学研究所が4日、発表した。方墳は「一本松2号墳」と命名された。同研究所は、古墳時代の身分階級を分かりやすく表す例として注目している。

 ◇「古墳時代の身分差表す墓」/橿原考古学研究所◇

 馬見丘陵公園内の280平方メートルを調査したところ、一本松古墳(前方後円墳、全長130メートル)の後円部の南東側の外堤に接して、一辺が12〜14メートルの方墳(2号墳)の一部が見つかった。一本松古墳と同時期に築造された陪塚とみられる。

 両古墳の間の直径10メートルの範囲から、三つの土製の棺が見つかった。2号墳の周濠(しゅうごう)の底には棺専用の円筒棺(長さ1・6メートル、直径50センチ)、近くの斜面と一本松古墳の外堤上からは、円筒埴輪を転用した埴輪棺(長さ1メートル、直径25〜35センチ)が、それぞれ出土した。

 円筒棺は一方を半球形のふたで、もう一方を粘土で密閉。埴輪棺は、二つの円筒埴輪をつなげて両端を埴輪片でふさいだもので、円筒棺より簡易な造りになっている。

 同研究所の小栗明彦主任研究員は「被葬者は、一本松古墳は首長級、2号墳はその下位の者。円筒棺、埴輪棺は、彼らに従った者ではないか。古墳時代の身分階層の秩序が分かりやすく表れている」と話している。

 現地説明会は8日午後1時半からの1回で、公開は3時まで。近鉄五位堂駅からバスで馬見北3丁目バス停下車、徒歩15分。小雨決行。

 ○東屋施設の建設 県が計画を中止

 今回の調査地では、県が、昨年9月に香芝市の北今市古墳群で見つかった2基の家形石棺の展示を含む東屋施設を建設する計画だったが、一本松2号墳の発見で計画は中止となった。

 県高田土木事務所公園課は「調査地の周辺ではまた似た古墳が見つかる可能性がある。石棺は馬見丘陵公園内で展示したいが、計画は未定」としている。

 ○「巣山」築造前の階層構造を反映

 白石太一郎・奈良大教授(考古学)の話 一本松古墳と2号墳の造営時期は、葛城氏が勢力を持ち始めた時期と重なる。古墳や埴輪棺は、巨大な巣山古墳(4世紀末〜5世紀初め)の築造以前の有力一族の階層構造が反映されており、興味深い。

 ○他に小さな古墳見つかる可能性

 石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)の話 一本松古墳、2号墳、埴輪棺は、それぞれ親、子、孫のような墓で、身分階層が分かって興味深い。一本松古墳の周囲では同じような小さな古墳が他にも見つかる可能性があり、今後も計画的に調査してほしい。

若草伽藍解明へ一歩 伝統工法の変遷示す 

 斑鳩町の法隆寺境内で先月、飛鳥時代(7世紀前半)の壁画片などが2004年に続いて大量に確認されたことで、謎の多い創建当初の「若草伽藍(がらん)」の様相が少しずつ見えてきた。壁画の解明にまた一歩近づいただけでなく、見つかった壁の厚さを示す壁土や壁材などから、「日本の伝統工法の流れがわかる」と評価する専門家もいる

 今回の調査は、境内のマンホール設置に伴い、4平方メートルを発掘しただけだったが、東西に走る溝(幅2メートル以上、深さ約70センチ)が出土、中から飛鳥時代の焼けた瓦片と、約270点の壁材などが見つかった。町教委も「わずか1坪ほどの調査区から、これだけの遺物が出てくるとは驚きだ」と話す。

 水野正好・奈良大名誉教授(考古学)は今回の出土状況について「若草伽藍は焼失後、ある程度片づけられてからはほとんどそのままの状態にされ、聖徳太子ゆかりの神聖な場所として保全されていたのでは」との見方を示す。

 壁材のうち、彩色跡が残る壁画片は約80点で、大きさは数ミリ〜7センチ程度。絵の内容は不明だが、新たに樹木のような文様を確認したほか、前回調査で見つかったしま模様の壁画片も出土。一部にはへら書きのような線刻もあった。

 蛍光エックス線分析によると、白土(白)やベンガラ(赤)、黄土(黄色)などの顔料が使われていたと推定される。

 百橋明穂・神戸大教授(美術史)は「壁画の全容に近づく成果だ。若草伽藍の壁画は、法隆寺金堂壁画のような浄土図とは違い、経典の場面などを描いた細かいものではないか。今後の発掘で出土点数が増えれば、図柄もわかってくる」と期待を寄せる。

 また、出土した厚さ約5・5センチの壁土には、壁の下地となった木材を藤づるで編んでいたことを示すような痕跡もあった。

 鈴木嘉吉・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「壁に藤づるを使っているのは法隆寺の金堂だけ。壁の構造がわかる最古の例で、伝統工法の流れをたどる意味で、非常に面白い発見」と評価する。

 さらに、壁画片には壁の端っことみられるものが6点あり、うち4点はへりが曲がっていた。壁画が丸柱にくっついた状態で、建物内部の柱間に描かれていた可能性が高いという。

 このほか、屋根の丸瓦を据え付ける際に用いたとみられる、かまぼこ型の「ふき土」も出土している。


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