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 ひび無数“神業”実感 壁画喪失と背中合わせ

 高松塚古墳で解体されたばかりの星宿(星座)の一部が描かれた天井石が報道陣に公開された27日、記者は初めて実物の壁画を目前にした。5分間、輝きを失わない金箔(きんぱく)やまっすぐ引かれた鮮やかな朱線に心を奪われた。そして、対照的に、ひびだらけの石や粉々になりそうな漆喰(しっくい)の危うさに息を飲んだ。解体作業が壁画喪失と背中合わせの“神業”だったことを実感した。(中井将一郎)

 天井石が置かれた修理施設の中は気温21度、湿度55%。この環境でカビは繁殖しにくく、防護服を着る必要はない。記者たちは呼気で漆喰などを吹き飛ばさないようマスクや紙タオルで口を覆い、天井石を囲んだ。

 壁画面を上にして置かれた南へりの部分には、直径9ミリの金箔26個が星座を表現している。そのうちの十数個がキラリと光っているのが見え、1300年の時間を感じさせない。

 漆喰は、焦げたクラッカーのように褐色で、反り返っているところもあり、今にもはく落しそう。天井石の北東角の大きな亀裂は数ミリに広がっているところもあり、側面を締める青いベルトがなければゴロンと落ちてしまうかもしれない。

 「これも見てください」と解体担当者に促され、驚いた。南西角の側壁と接していた部分に、長さ約40センチの亀裂が走り、薄い板が張り付いたような状態になっている。「これは、解体前には見えなかった部分です」と説明され、入念な事前調査を経てもなお何が潜んでいるか分からない作業だったことを知った。

 25日の解体作業では、天井石がわずか1ミリほど上がった瞬間を確認できたのは作業を担当した石工の左野勝司さんだけだったという。崩壊寸前の1・4トンの石を、まるでひびの入ったビスケットを壊さずに持ち上げるような微妙な作業。「手と目、全神経を使って判断する」という左野さんの職人技に成否が託されている。床石も含めて計16石のうち、まだ3石が終了したばかり。着実に安全に作業が進められることを心から祈りたい。

 天文図の金箔輝く

 文化庁は27日、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)の石室から25日に取り外した天井石を、報道陣に公開した。

 はく落する恐れがあった天文図は無事で、星を表す金箔(直径約9ミリ)が輝いていた。

 修復施設で室温21度、湿度55%に管理した部屋に置き、文化庁がカビを消毒するなど応急処置をしている。近く修復する部屋に運び、本格的な作業を始める。

 北から2つ目の天井石で東西幅1・8メートル、南北の長さ0・9メートル、厚さ0・6メートル。南側の幅約15センチの範囲に天文図の「北方七宿」などが描かれている。下地のしっくい層は厚さが3ミリほどしかなく、細かくひび割れたり石から遊離したりしていた。

 石は大きな亀裂が複雑に枝分かれしていたが、取り外し作業で欠け落ちることもなかった。

 広陵の2古墳で来月13日に歴史ウォーク

 古代の天皇クラスの墓とみられる広陵町の大型前方後円墳・巣山古墳(国特別史跡、4世紀末〜5世紀初め)と牧野古墳(6世紀末)を歩いて巡りながら、ごみ拾いも行うイベント「クリーン&歴史ウオーク」が、5月13日に催される。主催する実行委員会は、参加者を募集している。

 2年前から春と秋の年2回開催し、今回で5回目。毎年多くの家族連れでにぎわう。今回のコースは、香芝市真美ケ丘の商業施設「エコール・マミ」を午前9時に出発し、約5キロのコースを約3時間かけて歩く。

 牧野古墳は天皇の皇子の墓とみられ、同時代では国内最大級の横穴石室(高さ4.5メートル、幅3.3メートル、奥行き17.1メートル)が特徴。普段は一般公開されていないが、今回は内部に入って石室の大きさを体感できるという。

 一方、全長220メートルの巣山古墳は近年、周濠から水鳥形埴輪(はにわ)や舟形木製品など葬送儀礼に使用したとみられる資料が多数出土し、注目を集めている。当日は発掘担当者で広陵町教委文化財保存センターの井上義光副所長がガイドを担当する。

 また、同日午後1時からエコール・マミ内の会議室で、井上さんによる「巣山古墳発掘よもやま話」と題した講演も予定。水鳥形埴輪発掘の経緯などについて話すという。

 参加は小学生(保護者同伴)以上が対象で、無料。申し込み、問い合わせはエコール・マミ営業所((電)0745・55・7770)へ。

 手抜き工事?人間臭さも発掘

 ◆天井透き間」から泥水
 ◆しっくい塗りたくり

 石室解体が進む明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、同時に進む発掘調査から、精密な石室内の寸法とは対照的な「手抜き工事」が見つかった。丁寧な仕事ぶりが確認される一方、粗削りな作業が浮かび上がるなど、1300年前の石工たちの人間臭さが垣間見える。

 石室内の大きさは、高さ4尺(1・13メートル)、南北の奥行き9尺(2・65メートル)、東西幅は3尺5寸(1・04メートル)。石室の長さに関する数字は、当時の単位「尺」「寸」に換算すると、多くがきれいにそろう。

 発掘では、床石の周囲を1寸(3センチ)削って段差をつくり、側壁を段差にそろえて置いたことが判明。東西壁が北壁と接していた面に設計段階で引かれた朱線は、内側の壁画面から7寸(21センチ)の位置にあった。

 「全体としては、精密な造りだった」。発掘担当の奈良文化財研究所、松村恵司・考古第一研究室長は指摘する。

 ところが、細部はそうはいかない。東壁の壁画、四神「青竜」の尾部分は、天井の透き間から漏れた泥水で汚れている。発掘の結果、天井石の透き間に詰めるべき接着剤用のしっくいがなかった。「施工ミス」が招いた汚染だった。

 また、石材からは、東西両側面にえぐり穴が見つかった。石を運ぶ際に棒を挿して使われたとみられる。

 しかし、この穴の形が石によって違う。北端の天井石はかまぼこ形なのに、隣の天井石は方形。それも穴の周囲の縁を、さらに斜めに削って滑らかにする丁寧さだ。

 天井石は、全体が西側にずれて置かれていた。北から2番目の天井石の西面は、下の西壁とそろってしまい、石の間に目地用しっくいを塗れなかった。このため、石工は、きれいに加工した西面をノミで砕き、しっくいを塗りたくっていた。

 「施工ミスをした人と、えぐり穴を丁寧に削った人は別人。石室全体を監督する人はいたけれど、細部まではチェックが行き届かなかったのだろう」と松村室長。

 石材へのノミの入れ方にも癖があり、石室づくりに何人の石工が参加したかも分かるかもしれないという。

 飛鳥美人救出は5月10日から
 高松塚、新たにカビ8カ所

 石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、文化庁は26日、「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像が描かれた東西の側壁のうち、西壁を5月10−11日に取り外すと発表した。東壁も5月中に取り外す見込み。

 2つの女子群像を詳細に点検した結果、カビ被害がさらに拡大していることも判明。西壁では女子像の額や服の上など4カ所、東壁では壁画のない余白部分など4カ所で新たなカビを確認した。消毒したが、完全には除去できなかったという。

 文化庁は「西壁は女子像の主要部分にカビ被害が広がっており、石材の劣化も進んでいるため先に取り外す。有名な壁画でもあり、早く搬出したい」と話している。

 高松塚の天井石取り外し
 関係者に広がる笑顔 観光客ら「次の飛鳥美人も」

 明日香村の高松塚古墳の石室解体で、25日、文化庁が取り外しに成功した天井石。事前に大きな亀裂が見つかり、〈最難関〉とみられた作業は、張りつめた緊張感の中で順調に進み、無事に鉄製フレームに固定されると、関係者に笑顔が広がった。墳丘の覆屋(おおいや)の近くには雨にもかかわらず、観光客らが次々に訪れ、「無事で良かった」「次の飛鳥美人も安全に取り外して」と期待の声を寄せた。

 この日、午後1時から覆屋内で行われたミーティングには現場担当者ら約20人が出席した。作業を指揮する石工で飛鳥建設社長の左野勝司さんはやや緊張気味にあいさつ。「全力投球でやるだけ。無事に終えて良かったと言えるよう見守って下さい」と約50人の報道陣に語りかけ、作業に取りかかった。

 取り外しの準備が整い、現場担当の肥塚隆保・奈良文化財研究所室長がゴーサインを出すと、石はわずかに浮き始め、北側へ移動。じわりと南隣の天井石から離れていく。3ミリ浮かせ、わずか3センチ動かすのに約3分の時間をかける慎重さ。ここが最も難しいとされる作業で、固定具の付け方を間違えば、石が割れ、真下にある女子群像などを傷付ける可能性もあった。

 「あかん、あかん」「もっとこっち」と左野さんの声が飛ぶ。ようやく3センチ動かした後、再び止めて、ベルトで石を補強。心配されていた漆喰(しっくい)の落下も、ほとんどないことが確認されると、また石を浮かせ、慎重に鉄製のフレームの上に置いた。

 その後、天井石はフレームごと釣り上げられると、「いけた、いけた」との声が上がり、作業スペースに移った瞬間、担当者らは一様に表情を緩めた。休憩に入った左野さんは報道陣を前に「2時間かかったが、あっという間。うまくいった」と満足そうだった。

 作業に立ち会った文化庁美術学芸課の建石徹・古墳壁画保存対策担当官は「天井の漆喰が落ちて壁画を傷つけるのが怖かったが、大丈夫だったので安心した」と話していた。

 同古墳がある国立飛鳥歴史公園にはこの日も、歴史ファンや観光客が訪れ、天井石の取り外しが無事終了したことを喜んだ。

     ◇     ◇

 13・16 取り外し作業開始。ベルトを天井石の周囲に巻き付ける

 13・33 ベルトの巻き付け作業終了。固定具の装着を開始

 13・58 固定具の取り付け作業終了

 14・00 北から2番目の天井石と南隣の天井石の間に木製くさびを挿入

 14・01 天井石がわずかに上がる。石材のすき間の漆喰(しっくい)が石室内に落下

 14・06 かけ声をかけながら天井石を上げ始める

 14・11 東西の側壁の上に緩衝材を置く

 14・13 天井石が約15センチ浮いた状態に。アクリル板を天井石の下に挿入

 14・16 天井石を置くフレームを、石室北側から側壁の上に少し移動

 14・22 北へ30センチ移動。青いベルトが巻かれた天井石の側面があらわに

 14・24 天井石がフレームに接地

 14・38 固定具を付けた天井石をのせたフレームが持ち上がる

 14・43 天井石が作業スペースに入る

 14・44 作業スペースに置かれた角材2本の上に着地

 14・50 天井石の固定具を外す

 14・54 フレームによる梱包(こんぽう)作業始まる

 16・44 フレームごと180度回転させ、作業終了

 恐竜の「地肌」くっきりと
 国内初、福井で皮膚痕化石

 福井県立恐竜博物館は26日、同県勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、恐竜の体が地面に接触した際にできた皮膚痕の化石を発掘したと発表した。恐竜の「地肌」模様がはっきりと分かる資料で、国内では初めてという。

 二足歩行する草食恐竜のものとみられ、砂岩の表面に、直径約3−5ミリのうろこの突起跡が残る。恐竜が湿った地面に体を押し付けたところにくぼみができ、その後、積もった砂がそのまま化石になったとみられる。

 北米で白亜紀後期(約7000万年前)の地層から発掘されたエドモントサウルスなどの四肢の付け根部分に似ているという。

 昨年10月、勝山市の公園内の子供向け化石発掘体験場「どきどき恐竜発掘ランド」で施設関係者が発見。化石と確認した恐竜博物館の宮田和周研究員は「化石というと骨や歯が主で、皮膚痕は注目されてこなかった。今回の発見で、発掘現場で皮膚痕も注意深く探されるようになるだろう」と期待している。

 恐竜の「地肌」くっきりと
 国内初、福井で皮膚痕化石

 福井県立恐竜博物館は26日、同県勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、恐竜の体が地面に接触した際にできた皮膚痕の化石を発掘したと発表した。恐竜の「地肌」模様がはっきりと分かる資料で、国内では初めてという。

 二足歩行する草食恐竜のものとみられ、砂岩の表面に、直径約3−5ミリのうろこの突起跡が残る。恐竜が湿った地面に体を押し付けたところにくぼみができ、その後、積もった砂がそのまま化石になったとみられる。

 北米で白亜紀後期(約7000万年前)の地層から発掘されたエドモントサウルスなどの四肢の付け根部分に似ているという。

 昨年10月、勝山市の公園内の子供向け化石発掘体験場「どきどき恐竜発掘ランド」で施設関係者が発見。化石と確認した恐竜博物館の宮田和周研究員は「化石というと骨や歯が主で、皮膚痕は注目されてこなかった。今回の発見で、発掘現場で皮膚痕も注意深く探されるようになるだろう」と期待している。


 最難関へ準備万端-高松塚石室解体

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)の石室解体作業で、文化庁はきょう25日、3枚目の石材となる北から2番目の天井石の取り上げ作業を開始する。石材には北東角に複雑な亀裂が発生し、これまでにも増して困難な作業が予想される。同庁では新たな取り上げ方法や落下漆喰(しっくい)に対する壁画の損傷防止策などを準備し、最難関の石に挑む。

 北から2番目の天井石は幅約180センチ、長さ約93センチ、厚さ約59センチ。内側には天井星宿図の星を表す金箔(きんぱく)が一部残っている。

 北と東の側面に長さ各約53.5センチ、底面に長さ約14センチで、石材の北東角を削ぐような形の亀裂が発生。石材内部に激しい損傷があり、吊(つ)り上げ時に破片が落下する危険性がある。同庁では、ナイロン製のベルトを巻いて石材を補強するほか、できる限り石材に負担をかけない方法で取り上げる。

 二つの玄武 異なる道

 ◎北壁ごと修理/キトラ公開へ

 北を守る神獣・玄武(げんぶ)。古墳石室に残る極彩色壁画の絵としては、明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)とキトラ古墳(同)にしかない。描かれた北壁が17日に解体された高松塚の玄武は、修理施設の作業室に搬入された。一方で、下地のしっくいごとはぎ取られたキトラの玄武は5月に初公開される。約1300年間、1キロしか離れていない地にいた二つの玄武は、同じように劣化に苦しみながら、異なる道を歩む。

 玄武は、朱雀(すざく)、白虎、青竜と並ぶ古代中国の四神の一つ。亀と蛇が絡み合う姿で、北の守護神とされる。

 高松塚の玄武(縦19センチ、横30・5センチ)とキトラの玄武(縦14・5センチ、横25センチ)は、構図はよく似ているが、高松塚は亀部分が人為的に削られている。鎌倉時代の盗掘で、被害にあったらしい。

 いずれの石室もカビなどによる劣化が著しい。キトラで壁画の全面はぎ取りが決まった翌年の05年、高松塚では石室解体が決定された。はぎ取りも検討されたが、「キトラより状態が悪く、絵に損傷を与える危険性が高い」として見送られた。

 先に石室を離れたのはキトラの玄武。05年11月、壁面に塗られたしっくいごとはぎ取られた。修理が進み、5月11日から明日香村の飛鳥資料館で一般公開される。

 一方で高松塚の玄武は、北壁ごと古墳の500メートル北西の修理施設に運ばれた。10年間、補強などの処理が施され、修理中に窓越しに公開される予定だ。

 “兄弟”のような二つの玄武の異なる道。両古墳を調査した猪熊兼勝・京都橘大教授(考古学)は「キトラ壁画の発見で初めて、傷ついた高松塚の玄武の元の絵が想像できた。石室内にあったものが外に出るのは複雑な気持ちだが、10年後に高松塚が修理を終えた後、キトラの玄武と改めて比較したい」と話す。

 田原本町で鳥形土器など出土 発掘速報展で展示

 田原本町内の2つの遺跡から、弥生時代末期〜古墳時代初期の鳥を模した珍しい形の土器(幅20.5センチ、厚さ9.3センチ、高さ10.2センチ)と、奈良三彩の破片(縦6.8センチ、長さ10.3センチ)がそれぞれ見つかり、同町教委が発表した。井戸の中からほぼ完全な形で発見された土器は、祭祀(さいし)に使用されたとみられる。土器と破片は、その他の出土品十数点とともに、同町阪手の「唐古・鍵考古学ミュージアム」で始まる発掘速報展で展示されている。

 土器は羽子田遺跡(同町新町)を調査した際に確認された3基の井戸の一つから出土。底に投げ入れられたような状態で見つかった。

 中央が膨らんだ紡錘形の胴部に注ぎ口がついたユニークな形が特徴。同様の土器は全国でも58基確認されており、鳥形土製品や皮袋形土器と呼ばれている。同町教委は「ほぼ完全な形で見つかるのは珍しく、祭祀に使用したとみられる良好な資料」としている。

 一方、皿の一部とみられる奈良三彩の破片は、法貴寺斎宮前遺跡(同町法貴寺)の溝から見つかった。表面に色づけされた黄、緑、茶の3色がほぼ当初のままで良好という。奈良三彩は唐三彩を模した陶器で、寺院の周辺からの出土が多く、同町教委は「遺跡近くの旧斎宮寺や法貴寺との関連が考えられ、地域史を確認する上で貴重」としている。

 速報展とともに、地元出身とされ古事記の編纂(へんさん)に携わった太安万侶ゆかりの資料を展示した春季企画展も開催される。いずれも5月27日まで。問い合わせは同ミュージアム((電)0744・34・7100)へ。

 天井石の亀裂1・2メートル
 高松塚、複雑に割れ?

 石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、25日に取り外しを始める北から2枚目の天井石は、北東角の亀裂が全長1・2メートル以上あることが分かり、文化庁が23日発表した。

 北側面から東側面へ回り込み、内部は複雑に割れているとみられる。取り外しは特殊な器具で挟み、つり上げる予定だが、亀裂がある部分はボルトで締め付けられず、文化庁は「全体のバランスや力のかけ具合に影響は出るが、支障がないよう対応を考えたい」としている。

 南隣の天井石との間は、しっくいの目地塗りが東側の下半分だけなく、5ミリすき間が空いていることも判明。東壁の四神図「青竜」が汚れたのは、ここから雨や泥が染み込んだせいらしい。発掘を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「築造時に塗り忘れた施工ミスだろう」と話した。

 25、26日に3枚目取り上げ

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は20日、北から2番目の天井石の取り上げ作業を25、26日の2日間で行う、と発表した。5日の天井北端石、17日の北壁石に続く3枚目の石材。

 3枚目の天井石は幅約180センチ、長さ約92センチ、厚さ約59センチ。内側には天井星宿図の星を表す金箔(きんぱく)が一部残っている。

 石材の角など複数の亀裂があることが判明。同庁では石材を挟む力を分散させるため、「オクトパス」と呼ばれる縦横四方向から挟む固定器具を使用する。

 縦方向の器具を差し込むため、従来の「Π(パイ)」型の器具を使い石材を北へ数十センチ移動。その後、オクトパスで固定して、レールクレーンで吊(つ)り上げて作業スペースで梱包する予定。

 飛鳥資料館で20日から「玄武」展

 キトラ古墳(明日香村阿部山)の石室からはぎ取られた壁画「玄武」の一般公開を前に、奈良文化財研究所・飛鳥資料館(同村奥山)の特別展「キトラ古墳壁画 四神玄武」が、20日から開かれる。死者の魂を守る玄武が浮き彫りされた墓誌(ぼし)の蓋(ふた)や、キトラ壁画のルーツとされる北朝鮮・高句麗時代の古墳に描かれた玄武の模写など、ゆかりの約50点を展示。古代中国から日本に伝わった「四神」の一つ、玄武の歴史的変遷を紹介する。6月24日まで。

 展示品のうち、石製の墓誌の蓋は、西暦529年の中国・北魏の高級官僚「爾朱紹(じしゅしょう)」の墓に納められたもの。被葬者の名前とともに、玄武や朱雀などが浮き彫りされている。

 また、石室解体作業が進む高松塚古墳の玄武の模写なども並んでいる。

 キトラ古墳の玄武の実物は、5月11〜27日に一般公開される。入館料は一般260円(キトラの玄武公開中は500円)、高校・大学生130円(同300円)。問い合わせは同館((電)0744・54・3561)へ。

 オカリナ形の土器 田原本の羽子田遺跡 あすから速報展で展示

 田原本町新町の羽子田(はごた)遺跡で、紡錘形のオカリナのような形をした3世紀前半の土器が完全な形で出土し、町教委が19日発表した。同様の土器は、全国で58点出土しているが、水の注ぎ口がない珍しい形状で、町教委は「祭祀(さいし)に使われた特別な土器ではないか」とみている。

 土器(長さ約20センチ、高さ約10センチ)は集落跡の井戸の底で見つかった。同様の土器は形状から「鳥形土製品」と「皮袋形土器」の2種類あり、それぞれを折衷したような珍しい形だった。

 また、同町法貴寺の法貴寺斎宮前遺跡では、奈良時代に作られた陶器「奈良三彩」の破片(長さ約10センチ、幅約7センチ)が出土。復元すると、直径約18センチと大型品で、黄や緑などの釉薬(ゆうやく)がよく残っている。同遺跡の約300メートル北に、聖徳太子が創建した法貴寺があったとされ、町教委は「遺跡一帯が寺の境内だった可能性もある」としている。

 これらの遺物は、同町阪手の唐古・鍵考古学ミュージアムで、21日〜5月27日に開かれる発掘速報展で展示される。同時に企画展「太安万侶のふるさと」も開催。月曜休館。開館は午前9時〜午後5時。

 目印の朱線、3センチの段差
 高松塚、随所に古代の技

 国宝壁画保存のため石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、石室の壁石に朱線が見つかり、文化庁が20日、発表した。石室を組み立てる際、細部を加工するため付けた目印とみられる。

 床石は、壁石が載る周囲の部分が3センチ低くなるよう段差を付けていたことも判明。石室の内寸をあらかじめ決め、段差に沿って壁石をぴったり組み合わせ、精巧な石室を作る工夫をしていた。

 発掘を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「綿密な設計計画を基に、石室を組み立てている。古代の職人の高度な技術があちこちに見える」と話している。

 朱線は北壁を取り外した東西側壁の側面で見つかり、東壁は長さ15センチが残っていた。西壁は消えかかった部分があるが計16センチぐらい。竹べらに朱墨を付け、定規を当てて引いたとみられ、この線に沿ってサイズなどを調整したようだ。

 高松塚カビ公表 文化庁の姿勢に疑問

 高松塚古墳の壁画をめぐり、文化庁は18日、東西の女子群像に黒いカビが繁殖していたことを正式に明らかにした。同庁は、北壁の搬出が行われた17日に異変に気づきながら、同日の記者会見では“だんまり”を決め込んでいた形。対応は後手に回り、昨年4月に発覚した壁画損傷事故以来、隠蔽(いんぺい)体質からの脱却と再生を誓い、情報公開に努めていたはずの同庁の姿勢が再び問われている。

 18日午前11時ごろ、同庁は2枚の写真を公開した。黒いカビにむしばまれた西壁の状況と、担当者がカビの標本を採取する様子を撮影したもの。いずれも17日午後2時ごろに撮影されたという。

 同日昼に北壁が取り外され、これまで南壁の盗掘穴からしか見えなかった石室内の壁画は、北側からの調査も可能になった。担当者たちはさっそく内部を観察し、女子群像の描かれた東西両壁の一部が黒っぽくなっているのに気づき、標本採取などを行ったという。

 しかし、同日午後3時過ぎ、「女子群像に変化はあったのか」との取材に対し、同庁職員は「軽率なことは言えない」とピリピリ。同4時から開かれた記者会見では、北壁解体の成功などが報告されたが、「取り外された北壁のすき間から、壁画の状況を確認したのか」という質問に対し、同庁職員はいっさい発言しなかった。

 これまでの会見では、不明なことは担当者に確認して改めて報道陣に回答することがしばしばあったが、この時ばかりは、調査したかどうかを別の担当者に確かめることもなかった。

 こうした経緯について、同庁職員は18日、「北壁の解体作業や石室の点検、発掘作業などが同時並行的に行われ、会見の時点で文化庁として情報整理ができていなかった。隠そうとしたのではない」と釈明した。

 確かに、壁画のカビについては、前回調査時との比較や種類の特定など詳細な分析が必要で、すぐに正確な情報を発表するのは困難だ。しかし、女子群像の描かれた東西両壁に異変を認め、微生物の専門家が標本採取などを行っている以上、調査をしたという事実さえ説明しなかった同庁の姿勢は理解に苦しむ。

 同庁は、新聞報道後の18日になって、「北壁を取り出したため、壁石の壁画が多少観察できた。今回は速報ということで理解してほしい」と話し、ようやく東西両壁の最新の写真を公開し、カビの場所も明示するなど、一転して詳細な説明を行った。

 一連の対応について、同庁担当者は「北壁搬出の会見(17日午後4時)の後、情報が整理できた段階で夜にでも再び会見する方法があったかもしれない」とも振り返った。文化庁はこれまで、カビについて懸命な防止措置を行っており、繁殖について管理責任を一方的に問うことはできないが、説明責任から逃れることはできない。

 石室解体事業は、国民の理解が欠かせないことは、同庁自らが肝に銘じているはず。今後解体される東西両壁の女子像は剥落(はくらく)の危険も伴うだけに、同庁には事実を迅速に伝える努力が求められる。

 平安セレブの輝き
 下京で石帯の飾り具出土

 京都市下京区の国道9号拡幅に伴う発掘調査で、平安前期の貴族の腰を飾った石帯(ベルト)の飾り具が19日までに出土した。高位の貴族が使用したとみられ、1200年前のものとは思えぬ光沢を放っている。

 飾り具は青みがかった乳白色で縦2.6センチ、横3.5センチのかまぼこ形。表面は滑らかに磨かれ、白く流れるような模様が所有者のセンスを感じさせる。裏側には金具を取り付けたとみられる小さな穴が4カ所に開けられていた。

 平安時代、白色の帯飾りは三位以上の上級貴族と法令で規定されたが、白い飾り具は比較的多く見つかっており、厳密に守られなかった可能性も指摘されている。

 市埋文研は、飾り具の出来栄えや、調査地が一町規模の大きな宅地だったとみられることから、「実際に高貴な人物が身につけたものだろう」と話している。

 平安時代の出勤簿?
 島根、道路工事で点呼か

 島根県出雲市の山持遺跡で、奈良時代から平安時代の道路跡から、「男丸」「倉兄」など少なくとも10数人の名前を書き連ねた9世紀前半(平安時代前半)の木簡が見つかり、同県文化財課が18日、発表した。

 いずれも男性名とみられ、役所が道路工事などをした際、作業する人々の出欠を取るために使った名簿や出勤簿だった可能性があるという。

 木簡は長さ約38センチ、幅約8センチ。リーダーらしい「部領倉長殿」「馬道部殿」という2人の役職や名前が記され、その後に2人が率いたとみられる「福丸」「男丸」「定吉」「倉兄」などの人名が並んでいた。名前からみて、役人ではなく一般の人々と推測される。

 古代の出勤簿は7世紀後半から各地で見つかっており、今回の木簡は荒田目条里遺跡(福島県いわき市)で発掘された9世紀前半の田植えの出勤簿と人名の並び方などがよく似ているという。

 木簡は4月21日から5月6日まで、出雲市の県立古代出雲歴史博物館で一般公開される。

 平安時代の出勤簿?
 島根、道路工事で点呼か

 島根県出雲市の山持遺跡で、奈良時代から平安時代の道路跡から、「男丸」「倉兄」など少なくとも10数人の名前を書き連ねた9世紀前半(平安時代前半)の木簡が見つかり、同県文化財課が18日、発表した。

 いずれも男性名とみられ、役所が道路工事などをした際、作業する人々の出欠を取るために使った名簿や出勤簿だった可能性があるという。

 木簡は長さ約38センチ、幅約8センチ。リーダーらしい「部領倉長殿」「馬道部殿」という2人の役職や名前が記され、その後に2人が率いたとみられる「福丸」「男丸」「定吉」「倉兄」などの人名が並んでいた。名前からみて、役人ではなく一般の人々と推測される。

 古代の出勤簿は7世紀後半から各地で見つかっており、今回の木簡は荒田目条里遺跡(福島県いわき市)で発掘された9世紀前半の田植えの出勤簿と人名の並び方などがよく似ているという。

 木簡は4月21日から5月6日まで、出雲市の県立古代出雲歴史博物館で一般公開される。


 「玄武」取り上げ成功-高松塚石室解体

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は17日、4神図「玄武」が描かれた北壁石の取り上げに成功した。天井北端石に続く2枚目の石材で、壁画が描かれた壁石では初めて。16枚の石材を取り上げる解体作業は序盤の山場を越えた。

 北壁石は最大で幅約150センチ、高さ約116センチ、厚さ約50センチ、重さ約1.2トン。吊(つ)り上げ時に落下の恐れがあった石材の亀裂や漆喰(しっくい)5カ所は、あらかじめ取り外した。

 午前10時20分ごろ、横208センチ、縦134センチ、奥行き21センチの「Π(ぱい)」型器具を石材に装着。チェーン滑車などを使って石材を少し浮かして北へ数十センチ移動させ、金属製梱包フレームの底辺部に固定。壁画面を透明のアクリル板で保護し、縦180センチ、横147センチ、幅80センチのフレームを組み立てた。フレームに包まれた石材は壁画面を上に水平にして静かに持ち上げられた。

 「飛鳥美人」に新たなカビ
 奈良・高松塚、被害拡大か

 国宝壁画保存のため石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、「飛鳥美人」で知られる女子群像上に新たな黒いカビが発生していることが分かり、文化庁が18日、発表した。

 カビは西側の側壁に描かれた女子群像上の1カ所と、絵の近くの2カ所で確認された。文化庁によると、石室内に残っている他の壁画にもカビ被害が拡大している可能性があるという。

 高松塚では石室解体に向けて昨秋から墳丘の発掘が進行。盛り土の大部分が除去され石室倒壊の恐れが出てきたため、文化庁は昨年12月以降、石室内の詳しい調査をしていなかった。17日に四神図「玄武」が描かれた北壁を取り外し、内部がよく見えるようになりカビ拡大が判明した。

 平城京の十条大路 推定調査始まる-大和郡山

 平城京の十条大路が通ると推定されている大和郡山市下三橋町で16日、市教委による発掘調査が始まった。平城京の南北規模をめぐる論争に決着をつける成果が期待されている。

 平城京の南端は九条大路と考えられてきたが、一昨年、店舗の建設予定地を市教委が発掘したところ、さらに南側で京内と同じ条坊道路が見つかった。十条大路の一本北側まで道路跡が確認されており、十条大路の存在は確実とみられている。

 今回は南北に長く調査区を設定し、3カ所に分けて約3000平方メートルを発掘する。条坊道路が十条大路の南側にも広がる可能性があり、一本南側の十一条条間北小路まで調査区に含めた。調査期間は3カ月程度を予定している。

 初めて壁画が外へ

 国宝壁画を修復、保存するため、石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で文化庁は17日、4神図「玄武」が描かれた北壁をつり上げ、取り外した。

 高松塚の石室解体は3日に始まり、まず壁画のない北端の天井石を取り外した。極彩色壁画がある石が石室を出るのは北壁が初めて。

 午前10時20分すぎ、幅約1・5メートル、高さ約1・1メートル、厚さ約0・5メートルの北壁をクレーンで少しつり上げ、いったん角材の上に載せて壁画の状態をチェック。問題ないと判断し、さらにゆっくり数10センチ動かして金属製フレームに載せた。

 そのままフレームを組み立て梱包(こんぽう)。玄武がある面を保護、上になるよう回転し、トラックに積んで修復施設へ運ぶ。

 17日に「玄武」取り外し
 高松塚の石室解体

 国宝壁画を修復、保存するため石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、文化庁は16日、四神図の「玄武」が描かれた北壁をクレーンで北へ約3センチずらした。

 東西の壁石とのかみ合わせを外し、築造時にくさびとして詰め込まれた小石も除去。不安定になった石が倒れないよう木製のくさびを入れ、17日の取り外しに向けた準備を終えた。

 1枚目に取り外した北端の天井石は壁画がなく、極彩色壁画がある石は北壁が初めて。

 17日は幅約1・5メートル、高さ約1・1メートル、厚さ約0・5メートルの北壁をクレーンで少しだけつり上げ、数十センチ北側へ移動。金属製フレームに載せ梱包し、修復施設へ運ぶ。

 縦約20センチ、横約30センチの玄武図は下地のしっくい層が2−5ミリと薄く、文化庁はこれまでに、固定効果がある溶液を吹き付け補強した。

 高松塚壁画発見 日誌や直筆短歌

 明日香村の高松塚古墳壁画を発見し、昨年7月に78歳で亡くなった網干善教・関西大名誉教授の業績を紹介する追悼展「飛鳥を翔(か)けぬけたとき」(同村教委主催)が14日、同村飛鳥の村埋蔵文化財展示室で始まった。訪れた歴史ファンが壁画発見時の日誌や直筆の短歌などに見入り、網干さんをしのんだ。5月27日まで。

 没後初めて開かれた追悼展で、会場は網干さんが教師時代、教壇に立った飛鳥中学の旧校舎。僧籍を持っていた網干さんが仏教の聖地、インド・祇園精舎跡(サヘート遺跡)の発掘調査中にしたためた短歌や愛用のコートなど121点が並ぶほか、講演する姿を映したビデオも上映されている。

 会場に飾られた遺影に手を合わせる来場者の姿も見られた。奈良市帝塚山、会社員林田泰輝さん(47)は「高松塚では、石室解体が進んでいるが、壁画を後世にきちんと残してほしい」といい、関西大OBという五條市今井町、楳図良雄さん(64)は「仏教が生まれた日本の古里の飛鳥を研究し、世に知らしめた網干さんの功績は大きい」と話した。

 無料。期間中無休。午前9時〜午後4時半。

 高松塚北壁、17日取り外し
 「玄武」搬出に向け準備

 国宝壁画保存のため、石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、文化庁は13日、4神図「玄武」が描かれた北壁の取り外し作業に向け、石をつかむ特殊器具を墳丘に搬入した。

 文化庁は北壁を17日に取り外すことを決定。それまでに器具の調整など慎重に準備を進める。

 石室を構成する16枚の石のうち、取り外すのは壁画のない北端の天井石に次ぎ2枚目。壁画が描かれた石としては初めてになる。

 文化庁は13日午前11時ごろ、Π形の器具(縦約1・3メートル、横約2・1メートル)をクレーンでつり上げ、石室を包む覆屋に運び入れた。

 最近の発掘調査で、北壁はこれまでの想定より幅が広く、幅約1・5メートル、高さ約1・1メートルと判明。文化庁は急きょ、北壁のサイズに合わせて器具を改良していた。

全長110メートル以上と判明 纒向の東田大塚古墳

 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向遺跡内にある東田大塚古墳(3世紀後半、前方後円墳)が、これまで推測されていたより約14メートル大きく全長約110メートル以上だったことが分かり、同市教育委員会が12日、発表した。

 墳丘の前方部に当たる5カ所を試掘調査。前方部に高さ約0・7メートルの盛り土が残っているのを初めて確認した。前方部は予想より長く、さらに調査区の外へと延びている可能性があるという。

 東田大塚古墳は、弥生時代の墳丘墓が、定型化した前方後円墳に移行する過渡期に築造された纒向型前方後円墳の1つ。このタイプは後円部に比べ、前方部が著しく小さいため後世に残りにくく、墳丘の全体像が分からないことが多い。

 東田大塚古墳も、前方部が削られてほとんど確認できず、多くの纒向型前方後円墳と同様に後円部と前方部の比率を2対1と仮定。全長約96メートルと推算されていた。

 黒いカビの痕跡-高松塚石室北壁石外側

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)の石室解体で、文化庁は11日、内側に四神図「玄武」が描かれた北壁石の外側全面に黒いカビの痕跡が見つかったと発表した。北壁石と埋土の間に数ミリのすき間があり、カビの温床となっていたと推定。取り外された天井北端石との間にもすき間が生じており、石室内に大量発生したカビとの関連性が注目される。

 今月中旬に予定される吊(つ)り上げ作業に向けて周囲の土を取り除いたところ、幅約150センチ、高さ113.4センチ強の外側壁が、墨で塗ったように一面真っ黒になっていた。また、天井北端石と接していた上面にも幅約20センチの帯状に黒いカビの痕跡があった。カビとバクテリアの混合物で、一部で生きていると考えられものもあった。