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 最後の天井石も成功-高松塚古墳石室解体

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末から8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は30日、4枚の天井石のうち、最後に残った南端石の取り上げ作業を行った。石材や漆喰(しっくい)に損傷などもなく、無事に壁画修理施設へ搬送した。石材は床石を除くと5枚となった。

 南端石は幅約179センチ、長さ約97センチ、厚さ約62センチ、重さ約1.4トン。壁画はないが、漆喰は塗られている。28日の南から2番目の天井石と同様、石材を南北に貫く大きな亀裂が発生。石材を縦横四方から固定する器具「オクトパス」が使われた。

 崩落防止のため水平方向にナイロン製ベルトが巻かれた石材に器具を設置。飛鳥建設の左野勝司さんが亀裂の状態を確認しながら、徐々に力を加えて石材を固定した。

 1300年輝き保つ

 文化庁は29日、高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で取り外した南から2つ目の天井石を、報道陣に公開した。

 天文図のうち東、西、南の3方の七宿(星座)が描かれ、星を表す金箔(きんぱく)(直径9ミリ)は90近く。1300年前の輝きを保っていた。

 下地のしっくい層(厚さ3ミリ)は細かくひび割れ、黒い綿のようなカビの痕跡も。深刻な劣化の様子がうかがえた。石そのものも亀裂が入り、北東角は、はがれ落ちる寸前の状態だった。

 28日に取り外し、壁石と接していた部分などの泥やカビを除去、エタノールで消毒した。

 天井で最後に残った南端は、30日に取り外す予定。

高松塚古墳の石室解体 6石目成功で無事“折り返し”

 高松塚古墳(明日香村)の石室解体は28日、天文図が描かれた南から2枚目の天井石の搬出に成功した。大きな亀裂があるため作業の難航が心配されたが、新型治具(じぐ)「オクトパス」を初めて使うなどし、スムーズに進行。4月5日に始まった解体作業は今回で6石目で、床石4枚を除いてちょうど半分を終え、無事に折り返した。

 今回の天井石には、金箔(きんぱく)を使って星座が描かれているが、長さ30〜50センチの亀裂が5本以上確認され、作業には長時間を要するとみられてきた。

 この日は、午前8時半から作業関係者の朝礼が行われたあと、南端の天井石を保護するなどして、万全の準備を整えた。「コの字形」と「オクトパス」の2種類の治具を駆使し、無事作業スペースへと移動。午後には梱包(こんぽう)作業を経て、約500メートル離れた修復施設へと慎重に運び込んだ。

 作業後の会見で、担当者らは最難関とされた今回の作業を心配していたことを明かしたうえで、ほっとした表情を浮かべた。

 現場を指揮する左野勝司・飛鳥建設社長は「(石室解体の)折り返しになるし、亀裂も多いので特に慎重に進めたいと思っていた。少しずつ上げていく作業は手のぬくもりと勘が頼りだといつも思っている」と語った。

 また、作業責任者で奈良文化財研究所の肥塚隆保・保存修復科学研究室長は「各石材それぞれでパターンが異なるので、その場その場での判断は今後も続く。ノウハウはある程度つかんできており、最後までしっかりとやり遂げたい」と改めて気を引き締めた。

 石室解体は北端天井石から始まり、玄武が描かれた北壁、北から2枚目の天井石、「飛鳥美人」の西壁北端石、女子群像の東壁北端石の後、今回の天井石へと続いた。30日には南端天井石に着手し、その後、男子群像や青龍や白虎が描かれた東西の壁石などが搬出されることになる。

 考古学への道、歩み振り返る 同志社大名誉教授・森浩一さん個展

 考古学者で同志社大学名誉教授の森浩一さん(78)が自分の歩んだ道を振り返る「森浩一のささやかな歩み展」が、京都市東山区の「GALLERY SPACE ◯△□(まるさんかくしかく)」で開かれている。

 展示されているのは、戦時中の勤労動員の賃金(30円)で買った唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡(奈良県)の報告書、松本清張さんが新聞連載「火の回路」を始めて間もない昭和48年8月、竜王山古墳群(同)について質問するため森さんに送った手紙、司馬遼太郎さんが三内丸山遺跡(青森県)を訪れた際の感想をつづった手紙、画家の須田剋太さんからもらった「飛鳥」(絵)など約50点。

 森さんの考古学の原点や、幅広い交友ぶりを示す展示で、森さんの教えを受けた弟子たちらも訪れている。

 27日まで(午後0時半〜5時半)。無料。問い合わせは「◯△□」((電)075・525・2315)へ。

 飛鳥美人、東西再会-高松塚東壁石 報道陣に公開

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は24日、石室から取り外され、壁画修理施設に保管されている女子群像が描かれた東壁石を報道陣に公開した。壁画面に張られた約220枚のレーヨン紙などを除去。女子群像の西壁石も今月初めに取り外され、東西の「美人」たちが約2週間ぶりに対面した。

 弥生期の板状鉄斧出土
 天理の平等坊・岩室遺跡 拠点集落で使用か

 天理市の環濠(かんごう)集落跡、平等坊・岩室遺跡で、弥生時代中期後半〜後期に使用されたとみられる板状鉄斧(てっぷ)が見つかり、同市教委が25日、発表した。県内から出土した同時代の板状鉄斧では最大。同時代中期後半の大和盆地では、鉄器の存在が確認されていなかったが、拠点集落ではすでに鉄器が使用されていた可能性を示した。

 遺跡南東部にあたる同市岩室町を発掘。約70〜80センチ下にくぼみや溝、小穴数基が見つかり、同時代中期後半〜後期の土器が出土した。鉄斧は同じ地層から見つかった。

 鉄斧は長さ15センチ、幅5・5センチ、厚さ1・5センチで、近畿地方では古曽部・芝谷遺跡(大阪府高槻市)の2例、伯母野山遺跡(神戸市)1例に次いで4番目の大きさ。

 刃が両面から研がれていることから、木を伐採するために使われたとみられる。また、レントゲン撮影の結果、鉄板を折り曲げたうえで、加工された可能性が高く、刃の先端も非常にすり減っていた。一方、製作地や、素材の鉄がどこで生産されたかは、わからなかった。

 九州地方では弥生時代中期や、近畿地方でも中期後半の鉄器が出土しているが、県内では、後期以前の鉄器は見つかっておらず、出土した中では、最も古い鉄器とみられる。

 同市教委は「古墳時代に多い鉄器が、弥生時代にも見つかったことで、同遺跡が集落としての拠点性が高かったことがうかがえる」としている。

 竪穴式住居跡、初の発掘
 八幡市教委 弥生−古墳期3基

 八幡市教委は24日、京都府八幡市美濃山の宮ノ背西遺跡で、弥生時代末期から古墳時代初めとみられる竪穴式住居跡3基を発掘した、と発表した。これまで土器片などは確認していたが、住居跡の発見は初めて。市教委は「集落の様子や広がりを知る貴重な資料」としている。

 宮ノ背西遺跡は、宅地造成工事に伴い、4月から約150平方メートルを調査していた。

 今回、縦約5メートル、横約6メートルの方形の住居跡が、ほぼ完全な形で見つかり、約5メートルから7メートルの方形か多角形とみられる住居跡と5メートル以上とみられる方形の住居跡の一部も出土した。

 ほぼ完全な形で見つかった住居跡には、壁沿いに幅約60センチのベッド状の遺構があった。また、直径約60センチの赤く焼けた炉の跡や柱穴なども確認し、甕(かめ)や高杯など生活用具の土器片も多数出土した。

 現地説明会は25日午後1時から。小雨決行。問い合わせは八幡市教委社会教育課TEL075(972)2580。

 飛鳥美人の顔見えず
 高松塚東壁、カビと汚れ

 文化庁は24日、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)の石室から取り外した東壁を報道陣に公開した。

 「飛鳥美人」と称される女子群像はカビや汚れで黒くなり、女性4人のふっくらした顔はほとんど見えなくなっていた。

 右端の女性が着た緑色の服や、赤や青の顔料で描いたスカートのような衣装は確認できるが、絵の中央付近は下地のしっくい(厚さ約3ミリ)が発見当初から大きくはがれており、西壁の女子群像と比べて傷みが激しい。

 絵を保護するため表面に張ったレーヨン紙などを修復施設ではがし、先に取り外した西壁の女子群像の隣に置かれた。

 施設は室温21度、湿度55%で、博物館と同じような環境に設定。新たなカビは生えにくく、当面はしっくいの乾燥状況を観察し、その後カビの除去など本格的な修復を始める。

 天井石に複雑亀裂

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は23日、次回取り上げ予定の南から2番目の天井石の北東角に複雑な形状の亀裂が見つかったと発表した。漆喰(しっくい)で補修した跡があり、石室築造によって発生したとみられる。同石には計7カ所で亀裂があり、28日の取り上げは困難が予想される。

 北東角の亀裂は北側面に幅約36センチ、高さ約18センチの範囲で貝殻状に発生。東側面にも下辺から上方に高さ約34センチで発生し、北側面の亀裂とつながっていた。

 北側面には奥行き約3.5センチの凹みがあり、漆喰を塗って平滑化されていた。築造時、壁石に載せるときに破損し、補修したみられる。地震の揺れで漆喰にすき間が生じ、石室内の壁画・青龍に流れた泥の侵入口になった。

 ◎6月10日必着

 奈良県明日香村の奈良文化財研究所飛鳥資料館でキトラ古墳壁画「玄武」が特別公開されているのを記念し、子どもたちの作文コンクール「玄武のふしぎ みんなで解き明かそう!」を実施しています。

 カメとヘビがからみ合った不思議な壁画「玄武」。1300年前の人はなぜこんな絵を古墳の中に描いたのでしょう? 玄武を見て感じたこと、考古学者になったつもりで想像したことなどを文章にしてお寄せ下さい。自由な発想、奇抜なアイデアも歓迎します。

 ◇募集期間 6月10日必着

 ◇対象 小学生(3〜6年)=400字程度、中学生=600字程度

 ◇賞 7月上旬の審査会(審査委員長=中西進・奈良県立万葉文化館長)で、奈良文化財研究所長賞▽奈良県教育委員会教育長賞▽明日香村長賞▽朝日新聞社賞▽朝日小学生新聞賞▽朝日中学生ウイークリー賞など優秀賞数点と佳作を決め、同下旬に発表・表彰します

 ◇あて先 住所、氏名、学校名・学年、電話番号を書き、〒530・8211(住所不要)朝日新聞大阪本社・朝日21関西スクエア「玄武作文コンクール」係(電話06・6201・8450、平日午前10時〜午後6時)

 主催 奈良文化財研究所、奈良県教育委員会、明日香村、朝日新聞社
 後援 文化庁、朝日学生新聞社

 手原遺跡は東西幅700メートル
 栗東 東端の溝跡見つかる

 滋賀県栗東市教委は23日、奈良中期から平安初期にかけての郡衙(ぐんが)(役所)の一つとみられる手原遺跡(栗東市手原1丁目)で東端の溝跡が見つかり、遺跡の東西幅は約700メートルだったことが分かった、と発表した。南北は300メートル以上と推定し、同市岡のもう一つの郡衙跡・岡遺跡より規模は大きかったとみている。

 区画整理事業に伴い昨年末から調査した。遺跡東部で幅約2・5メートルの溝跡が南北に約60メートルにわたって確認され、溝跡の西側に建物10棟分の柱穴が見つかった。

 市教委は、東側に建物跡がないことから溝跡を東端とみて、従来の調査結果とあわせて遺跡の東西は約700メートル、南北は300メートル以上と推定した。

 柱穴や溝跡からは墨で「山」「膏」「十」などの漢字を書いた土器36点が出土した。建物跡のうち4棟が高床式の「惣柱(そうばしら)」建物で、稲などの重量物を入れた倉庫群と推測されるが、文字を書いた土器の出土で、事務をする場所だったとも考えられるという。

 同じ郡(栗太郡)の役所跡と確認されている岡遺跡の規模は300メートル四方。岡に中枢機能があり手原は出先だったとする考え方や、機能分担していたという見方がある。

 市教委は「手原遺跡は岡遺跡より大きいが、寺跡や倉庫跡が含まれているためだ。両者の関係を特定するにはさらに調査が必要」としている。

 現地説明会は26日午後1時半から行われる。問い合わせは市出土文化財センターTel:077(553)3359。

 鮮やか「金箔の星」

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は22日、28日に取り上げ予定の南から2番目の天井石に描かれた星宿図の写真を公開した。

 高松塚古墳の星宿図は現在のこぐま座にあたる「天極五星と四輔四星」の周囲に、東西南北に各七宿計二十八宿を表現。今回の天井石には北方七宿を除く星宿が描かれ、星を表した直径約9ミリの金箔(きんぱく)が鮮やかさをとどめている。

 文化庁は振動による剥落(はくらく)防止のため、剥(は)がれそうになった金箔10カ所に直径約2センチのレーヨン紙などを二重に張って補強。植物繊維抽出の接着材を壁画面全体に吹きかけて、取り上げ作業に備えている。

 次回は「星宿図」-高松塚古墳解体

 明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は21日、次回取り上げ予定の南から2番目の天井石に描かれた壁画・星宿図の補強を行った。

 石材吊(つ)り上げ時の振動による漆喰(しっくい)の剥落(はくらく)防止が目的。修理技術者3人が女子群像の東西壁石を取り除いた石室北側の開口部から作業を行った。

 漆喰の弱くなった部分に筆で植物繊維抽出の接着剤を塗って補強。星を表す金箔で剥がれそうになった10カ所では、直径約2センチのレーヨン紙などを二重に張って表打ちした。さらに、エアブラシを使って壁画面全体に接着剤を噴霧した。

 高松塚東壁搬出 安全性最優先が奏功

 高松塚古墳(明日香村平田)の石室解体で、女子群像が描かれた東壁北端石が18日、修復施設に無事搬入された。担当者は、搬入後の記者会見でほっとした表情を見せるとともに、28、30両日に行う2枚の天井石の搬出へと早くも思いをめぐらせた。いずれも大きな亀裂があるといい、担当者は、次なる難関に一層気を引き締めていた。

 東壁北端石は18日午前、専用トラックに載せられ、古墳近くの修復施設へ。前日のつり上げと同様に慎重に進められ、時速約5キロのゆっくりとした速度で運ばれた。午後には同施設の修理作業室前にある部屋から同室に搬入。壁画面に張られた保護用のレーヨン紙は来週にも取り除くという。

 会見では、現場を指揮する左野勝司・飛鳥建設社長が「今回は初めて逆L字形の治具(じぐ)を使い、さらに安全性を考えてコの字形に替えた」と作業を振り返った。さらに「(つり上げ中にワイヤがずれて石が大きく揺れた)前回のようなことは繰り返したくない。解体を完璧(かんぺき)に終えたいという信念がある」と決意を語った。

 28日には天文図が描かれた南から2枚目の天井石、30日には南端天井石のつり上げ・搬出が行われる方針が決まったが、いずれも南北方向に大きな亀裂があるという。文化庁は、安全面への考慮などから、いずれも当日中に修復施設への搬送を終えることにしている。

 ただ、作業は長時間を要する困難なものになりそうで、担当者らは「いろいろ方法を考え、対応を検討していく」。発掘担当の松村恵司・奈良文化財研究所考古第一研究室長は「作業までにしっかりと記録をとり、搬出につなげたい」と話し、周到な準備を誓った。

 キトラ、来年度中に石室内の余白すべてはぎ取りへ

 文化庁は18日、キトラ古墳(明日香村阿部山)石室の天井に描かれた天文図のはぎ取りに向け、図周辺の漆喰(しっくい)を8月ごろ試験的にはぎ取る方針を明らかにした。一方、17〜18日には、西壁南寄りの余白部分(幅約45センチ、長さ約70センチ)のはぎ取りを実施。同庁は、絵の描かれていない壁面の余白部分についても、来年度中にすべてはぎ取るとしている。

 天文図は、星を示す金箔(きんぱく)や漆喰の剥落(はくらく)の危険性が高く、はぎ取りが急がれているものの、めどが立っていない。一方で、天井石南側の余白部分を中心にカビの繁殖がひどいため、ヘラなどではぎ取ることにした。同庁は今後、天文図自体のはぎ取り方法を検討するという。

 また、南壁「朱雀」など四神壁画がすでにはぎ取られた壁面の余白については、十二支像が残っている可能性のある部分を除いて、特殊機器のダイヤモンドワイヤ・ソーを使って取り外すことにしている。

これが古代の万能ナイフ! 植物園北遺跡で出土

 京都市左京区下鴨の植物園北遺跡でこのほど、縄文前期(紀元前6000年ごろ)の万能ナイフ・石匕(せきひ)が見つかった。ほぼ完全な形で、山野を駆けめぐった縄文人の息吹を伝えている。

 石匕は横幅7センチ、高さ4センチの三角形。三辺にそれぞれ刃が刻まれ、多目的に使用された。刃は現在でも切れそうなほど鋭さを保っていた。

 遺構に伴う遺物ではないが、周辺では「落とし穴」とみられる縄文中期の遺構が過去に見つかっており、狩り場だったとみられる。

 調査した京都市埋蔵文化財研究所の担当者は「獲物の皮をはいだり、持ち帰ろうとして現地で肉を分解するために用いたのだろう。狩りの合間にでも落としたのだろうか」と話している。

 飛鳥美人すべて石室外へ

 国宝壁画を保存するため、石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、文化庁は17日午後、女子群像が描かれた東壁をつり上げ、石室から取り外した。

 取り外しは天井石2枚、四神図「玄武」がある北壁、女子群像の西壁に続き5枚目。

 午前中に器具などを最終調整。石工集団を率い作業に当たる飛鳥建設(奈良市)の左野勝司社長は「完ぺきに取り上げることに専念し、今日が初めてという気持ちで臨みたい」と話した。

 東壁は幅約85センチ、高さ約116センチ、厚さ約45センチ。クレーンでつり上げて外し、金属フレームで梱包。18日に修復施設に運ぶ予定。レーヨン紙などを壁画の全面に張り補強、取り外し時の振動などで下地のしっくい層がはがれ落ちないようにしている。

 「飛鳥美人」と称された高松塚の女子群像は、東西に3枚ずつある側壁の北端の2枚。

 高松塚壁画の傷、1300年前に
 木棺納めた際にこする?

 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、石室東壁に描いた極彩色壁画の傷は、木棺を納めた1300年前にできた可能性が高いことが分かり、文化庁が16日、発表した。

 傷は中央の四神図「青竜」から北側の女子群像にかけて平行して10本以上あり、最長112センチ。棺でこすったようで、棺の角が当たったとみられる垂直方向の傷もあった。

 一部に棺に張っていたとみられる金箔が付着。高松塚の石室は木棺の一部が残り、底に金箔があったことが分かっているが、棺は外側全面に金箔を使っていた可能性があるという。

 傷の付き方や位置から棺の形状も推測。高さ69センチと想定されたより大きな木棺で、角を面取りしたふたをかぶせ、上端と底の周囲は帯状の飾り金具などが巻いてあったとみている。

 平安期の庭園跡発見

 宇治市教委は14日、発掘調査を進めていた宇治市街遺跡から平安期の庭園跡が見つかったと発表した。中宇治地域ではこれまでにも平安貴族の邸宅跡などが見つかっている。市教委は「中宇治に平安時代の貴族の別業(別荘)が多かったという裏付けになる」としている。

 宇治市街遺跡は、京都府宇治市宇治の市街地に広がる古墳から室町時代中心の集落遺跡。これまで平安期の邸宅や庭園跡のほか、国内最古級の4世紀後半とみられる須恵器が見つかり、注目を浴びた。

 今回の調査地は、その出土場所から100メートル北で、JR宇治駅から250メートル東。現場南端で5メートル四方にわたって発掘した場所から平安時代後期、12世紀ごろの池底の一部を確認した。

 平等院の阿字池などと同じ、小石を敷き詰める技法で作られ、深さ約1メートルの部分から小石や古墳時代から平安期とみられる土器を発見した。東側が高くなっているため、西側が池の内側とみているが、池全体の大きさは不明という。

 また、最古級の須恵器に似た「たたき」の文様がある須恵器の破片も見つかったが、市教委は「関連はわからない」としている。現地説明会は開かない。

 飛鳥美人しっとり再会
 高松塚、保護紙はがす

 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)の石室解体で、文化庁は14日、取り外した西壁から、女子群像を保護するため張ったレーヨン紙をはがした。同夕には、大半を取り終え、あでやかな「飛鳥美人」が再び姿を見せた。

 解体時の振動などで、下地の薄いしっくい層がはがれ落ちないよう、取り外し作業の前に、壁画がある面全体を約220枚のレーヨン紙で覆った。絵の部分は二重に張っていた。

 担当者は、エタノールを含ませた筆でレーヨン紙を湿らせて浮かせ、ピンセットで1枚ずつ慎重にはがし取った。絵の周辺にあった黒いカビが一部紙に付いてきたが、しっくいの損傷はないという。

 文化庁は15日に顔料やしっくいの状況を最終確認する予定。

 西壁は10日に取り外され、修復施設に運ばれた。カビの除去など応急処置をし、10年かけて修復する予定。

 薄紙越し 色白美人
 女子群像公開 記者対面5分間

 ベールの向こうに、美白の「飛鳥美人」が――。明日香村の高松塚古墳で取り外された西側壁が、報道陣に公開された12日、記者にはレーヨン紙越しの女子群像の顔は白っぽく見えた。星宿の一部のある天井石に続いて2枚目の壁画との対面。くっきりとした描線や鮮やかな衣の色もうかがえた。35年前、考古学をお茶の間に持ち込んだ美女の“素顔”を早く見たいとの思いに駆られた。(中井将一郎)

 4月27日の天井石公開と同じように、西側壁は作業室前のスペースに、ステンレス製の台の上に乗せられて、ぽつんと置かれていた。石は天井石の半分ほどと小さいが、その分、二重に紙が張られた絵の部分は、思っていたより大きく見えた。

 真っ先に目に焼き付いたのは、右から2番目の像の顔の白さ。目をこらすと、切れ長の目、後れ毛、ふくよかな顔の輪郭が見て取れる。衣に目をやると、赤や黄色の鮮やかさ、なめらかなしわの描線も浮かびあがる。ぼんやりと、楚々(そそ)と寄り添い合う4人の立ち姿が確認できた。「紙越しなんて何も見えないだろう」とあきらめていただけに、にわかに胸の鼓動が高まった。

 「実は顔は、肌色と薄いピンク色で表現されているんですよ」。絵画担当の増記隆介・文化庁美術学芸課技官が説明してくれた。紙の下には、古代の絵師のどんな美技が隠れているのだろうか。公開はわずか5分間。「もっと見たい」という気持ちが抑えられなかった。

 しかし、傷みも所々に見えた。紙越しではカビの跡までは確認できなかったが、壁画面を水平の位置から見ると、漆喰(しっくい)がクレーターのようにでこぼこし、めくれて石材があらわになっている所も少なくない。石の底部は、綿のように石材自体がもろくなっている所もあった。

 今後10年間で、修理が進められるという。修理保存は最優先だが、この感動を多くの人と分かちあいたいと思った。公開にも意を配ってほしいと願う。

 「飛鳥美人」を無事救出
 奈良・高松塚

 国宝壁画の修復、保存のため奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で進む石室解体で、文化庁は10日、取り外した西壁をクレーンでつり上げ、石室から運び出した。

 西壁に描かれた女子群像は「飛鳥美人」と称され、1300年前の風俗を鮮やかに伝えた。しかし発掘後の35年間で壁画が劣化。カビも広がっており、“救出”成功に関係者はほっとした表情を見せた。修復施設に移し、10年がかりで修復する予定。

 午後1時すぎから取り外しを開始。下に入れたジャッキで8ミリほど浮かせ、底面と床石の間に金属棒数本とステンレス版板を挿入。「ころ」にして北へやや斜めに動かした。

 1時間余りかけ、隣の壁石から約40センチ離したところでつり上げ、金属フレームで梱包。石室から運び出した。

 11日に、修復施設へ運ぶ。カビなどを除去、壁画を保護するため表面に張ったレーヨン紙をはがした上で、修復作業に入る。

 西本願寺に未知の池跡
 御影堂と阿弥陀堂間

 京都市下京区の西本願寺境内で、御影堂と阿弥陀堂の間から安土桃山−江戸前期の池跡が見つかり、浄土真宗本願寺派が10日、発表した。記録でも存在が確認されていなかった未知の池跡で、1617(元和3)年に両堂を焼き尽くした火災以前の同寺の姿を知る手がかりとして注目される。

 事務所の建て替えに伴い、京都市埋蔵文化財研究所が3月始めから約240平方メートルを調査した。

 池跡は火災前後の新旧2時期のものがあった。古い池は東西9メートル以上のみぎわの南側に、南北8メートル以上、深さ約50センチの池底があった。池に咲いていたとみられるハスの種も見つかった。新しい池は方形とみられ、焼け瓦を含む火災処理土で東半分を埋め立て、池底をさらに30センチ掘りくぼめていた。また橋脚らしい南北方向の二列の柱列も確認された。

 火災以前の建物配置については史料がほとんどなく、現在南北に並ぶ両堂の位置が逆だったとする説や、東西に並んでいたとする説があるが、不明な点が多い。

 本願寺の建築に詳しい桜井敏雄・近畿大教授(日本建築史)は「一般的に本堂の横に池があるのは不自然。近くに書院造りの建物があったはず」と分析。焼失の翌年に本尊を仮置きする仮御堂建設の記録があることなどから、「仮御堂が書院造りで、橋が架けられた軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)な建物だったのでは。火災以前の池も、御影堂などの造営に伴う仮御堂を伴っていた可能性がある」と話す。

 一方、庭園に詳しい鈴木久男・京都産業大教授(考古学)は「書院造りに伴う池なら、景石や洲浜など観賞用の意匠が施してあるはずだが、今回の池にはそれがない。仏事に直接関係する池だったとすれば、両堂に伴う池だった可能性も否定できない」と話している。

 ◇待ち時間に村内観光を 奈良交通は周遊バス運行

 明日香村の特別史跡キトラ古墳の壁画「玄武」の一般公開が11日から奈良文化財研究所飛鳥資料館(同村)で始まる。期間は27日までの17日間で、休日には4千〜6千人が訪れると予想される。地元は「待ち時間に村内ツアーを」と呼び掛ける。

 入館の際、平日は午前10時から、土・日曜は同9時からをめどに、希望者に整理券を配る。行列をかわして約3時間後の入館を保証するもので、この待ち時間を村内の観光スポット巡りに使える。

 奈良交通は期間中、最寄り駅の近鉄吉野線・橿原神宮前駅と飛鳥資料館、石舞台古墳、飛鳥駅の4カ所を結ぶ周遊バスを運行する。

 漫画家の里中満智子さん作「天上の虹」の複製原画などを展示する万葉文化館や酒船石、甘樫丘(あま・かしの・おか)、川原寺跡、高松塚古墳などに立ち寄れる。問い合わせは同社テレホンセンター(0742・20・3100)。

 近鉄(06・6771・3105)も、入館券やバス周遊券のついた企画乗車券を主要駅で発売している。橿原神宮前駅の東口からは、資料館直通バスを不定期で運行。レンタル自転車ショップも駅前などにある。

 ◇

 「玄武」公開に合わせて11日午前、明日香村などが「飛鳥路クリーンウオーク」を開催する。飛鳥駅から飛鳥資料館まで、ごみを拾いながら歩く。五つのコースがあり、いずれも5〜7キロ。問い合わせは、朝日新聞奈良・三重朝日会(0742・23・2650)

 「飛鳥美人」を取り外し
 高松塚古墳

 国宝壁画を修復、保存するため奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で進む石室解体で、文化庁は10日、「飛鳥美人」と称される女子群像を描いた西壁を取り外した。

 西壁の女子群像は1972年の発見時、色鮮やかな姿が研究者を驚かせ、考古学ブームを引き起こした高松塚を代表する極彩色壁画。記念切手の図柄にもなったが、劣化が進み、カビが顔の上まで広がった。文化庁は“救出”を急いでいた。

 床石に乗っていない部分の下へジャッキを入れて1センチほど浮かせ、底面と床石の間に差し込んだステンレス板と丸い金属棒を「ころ」にして、北へやや斜めに移動、隣の壁石から離した。金属フレームに入れ、クレーンでつり上げて運び出す。

 西壁は高さ115センチ、幅75センチ、厚さ37センチで推定約700キロ。

 隣の壁石と離すため、間のしっくいを除去、レーヨン紙で壁画の表面を保護した。大きな亀裂は見つからなかった。

 しっくいが飛鳥美人守る
 高松塚西壁、10日取り外す

 石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、女子群像を描いた西壁と天井石の間は、すき間なく塗られたしっくいが、ほぼ完全な状態で残っていたことが分かり、文化庁が9日、発表した。西壁は10日に取り外す予定。

 石室の東西にある色鮮やかな女子群像は「飛鳥美人」と呼ばれ、中でも西壁は1972年の発見当初、最も状態が良かった壁画。しっくいが雨水や泥の流入を防ぎ、絵を守ったようだ。

 これに対し東西壁の男子群像や四神図「青竜」は茶色く汚れている。過去に繰り返し起きた巨大地震の影響で、接ぎ目のしっくいがはがれ、天井石の下にできたすき間から、泥水などが垂れたとみられる。

 発掘を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「古代人は壁画を守ろうと石の接ぎ目に丁寧にしっくいを塗ったが、地震ではがれた。飛鳥美人は幸運に恵まれたのだろう」と話している。

「想定外」に臨機応変

 ◆亀裂・石の形・カビ…

 ○現場“知恵と工夫”で対応○

 明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の石室解体が始まって1カ月が過ぎた。石室をつくる16枚の石材のうち、天井石2枚と北壁の計3枚が取り外された。05年の解体決定後、綿密に練られた計画だったが、本番に入ると「想定外」の事態が続出。亀裂、石の形、そしてカビ……。そのたびに現場は新たな対策で乗り切った。解体序盤を振り返った。

 ◎1カ月振り返る

 ■長さ1.2メートル

 「非常に危険な石。最も困難な作業だった」

 4月25日。解体3石目となる北から2番目の天井石の取り外し直後、奈良文化財研究所の肥塚隆保(こえづかたかやす)室長(57)は、厳しい表情で語った。

 北東角の亀裂は、予想以上の規模だった。1石目の天井石を取り外した同月5日、初めて亀裂が長さ1.21メートル以上にわたることが判明した。石材の強度もまばらで、コンクリートの6分の1しかない部分も確認された。特に角は力の加え方が難しく、対策は直前まで練られた。

 当初は2方向で側面を挟むΠ(バイ)形鉄枠で動かして透き間を作り、四方から挟む鉄枠に替えてつり上げる予定だった。だが、新たな力が石に加わることを懸念。本番前日にΠ形だけで通すことに決まった。

 つり上げ中には、天井石が傾きかけた。石材の動きは、チェーンブロック(滑車や鎖で持ち上げる装置)4本で微調整していた。作業途中に急きょさらに1本を加え、水平に戻した。現場を指揮する飛鳥建設社長の石工、左野勝司さん(64)のとっさの判断だった。

 ■鉄枠合わぬ

 北端天井石と北壁は、石材の形が問題だった。当初用意していた鉄枠は幅が合わず、改良品が完成したのは本番直前だった。

 高松市のクレーンメーカー、タダノが05年に開発を始めたが、実際に石材の形が分かったのは今年3月。北端天井石は、幅が想定より20センチ狭い1.6メートル、北壁は逆に40センチ広い1.5メートルだった。

 鉄枠の幅を広げるのは物理的に不可能なため、北壁の対応は特に難しかった。

 「間に合わないかもしれない。でも、造ってみよう」。タダノの技術者、山本耕治さん(55)は、新品なら1カ月かかるところを、元の鉄枠を切断して間に鉄棒を挟む改良型にして2週間で完成。本番2日前に高松塚に着いた。山本さんは「周囲の部品工場が最優先で協力してくれたおかげ」と胸をなで下ろした。

 ■深刻な課題

 解体された3枚の石材は、いずれも隠れていた面に黒いカビが大量に見つかった。

 石材は、解体した日に、本格修理を施す修理施設の作業室に搬入する予定だった。しかし、カビの胞子の飛散を防ぐため、作業室手前の小部屋で数日間保管することになった。

 石室内でも「飛鳥美人」として有名な東西両壁の女子群像やその周辺に黒いカビが拡大。東京文化財研究所保存修復科学センターの川野辺渉副センター長(51)は「最近発生したカビの大半は除去できた」と話す。ただ、カビが、高松塚壁画の深刻な課題であることを改めて印象づけた。

 次の解体は10、11日。「飛鳥美人」の描かれた西壁に取りかかる。厚さが37.5センチと薄い上、床石に密着するなど新たな難題がのしかかる。

 ヘロデ王の墓を発見
 エルサレム近郊の遺跡で

 イスラエルのヘブライ大学考古学研究所は8日、イエス・キリストの誕生を知り男児虐殺を命じたと新約聖書で伝えられる古代ユダヤのヘロデ王(在位紀元前37−同4年)の墓を、エルサレムの南約15キロにあるヨルダン川西岸の宮殿遺跡ヘロディウムの丘陵内部で発見したと発表した。

 見つかったのは花の模様の装飾を施した石灰岩の棺、骨つぼ、墓室の土台の破片など。墓を明示する文字は刻まれていなかったが、入念な装飾などから、発掘に当たった同大学のネツェル教授は記者会見で「ヘロデ王の埋葬場所であることは疑いない」と述べた。

 墓は盗掘され、石棺は数百の破片に激しく破壊されていた。ヘロデ王に「ローマ人のかいらい支配者」と敵意を抱いていたユダヤ人が、紀元70年前後に起こした反乱の際、破壊したと推定されるという。

 飛鳥資料館に「玄武」を搬送-今月11日から一般公開へ

 地元での一般公開に向け、明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初)から剥(は)ぎ取られた壁画「玄武」が7日、同村奥山の奈良文化財研究所飛鳥資料館に搬送された。キトラ古墳の壁画が公開されるのは、昨年の「白虎」に続き2回目。5月11日から27日まで、同資料館で特別展示される。

 4神図・玄武は平成17年11月に石室の北壁から3分割で剥ぎ取りに成功。絵の本体は横約25センチ、縦約14.5センチ。周辺余白の漆喰(しっくい)を加えた計14片をつなぎ合わせ、横41.5センチ、縦32.8センチの大きさに修復された。

 美術品専用のトラックに積まれた玄武は、約1時間15分かけて飛鳥資料館に到着。時速約35キロでゆっくりと走り、途中に事故などに遭わないよう前後を先導車と県警のパトカーに守られるという厳戒態勢で運ばれた。

 到着後、慎重にトラックから運び出され、1.5メートル四方、高さ約50センチの展示用ガラスケース内に移動。ケース内は壁画への影響を抑えるため、常時温度20度、湿度60%に保たれる。玄武が無事にケースに納められると関係者も安堵の表情を見せていた。