古墳・遺跡・化石・現地説明会 他
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平城京跡
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矢田原遺跡
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2009/06/25 (Thu)
北京原人遺跡
2009/06/25 (Thu)
ホーレ・フェルス洞窟
2009/06/24 (Wed)
石器時代の井戸発見
西壁男子群像
損傷個所確認できず
高松塚の西壁男子群像
文化庁は28日、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)石室から外した男子群像を描いた西壁を、報道陣に公開した。
文化庁関係者による壁画損傷事故で、4人が並ぶ図柄のうち、左から2番目の男性の胸付近に半月状の傷(縦約5ミリ、横約7ミリ)が付いたが、事故後、損傷個所に塗った泥などのため、肉眼では確認できなかった。
文化庁によると、損傷個所には泥の下に樹脂も塗っており、乾燥して白っぽく浮き上がっているという。だが解体時に湿らせたレーヨン紙などを表面に張ったため、水分の影響で目立たなくなっている。右下の絵がない部分に付いた傷はかろうじて分かった。
損傷事故は2002年1月、文化庁担当者らが石室内を点検中、空気清浄機を誤って倒し、男子群像の右下に長さ約7センチの傷を付けた。さらに床に置いた照明灯が触れ、左から2番目の男子像を損傷したとされる。
2007/06/29 17:18
奈 良
総合工房跡
7世紀後半に銀精錬
石見の源流、飛鳥に?
飛鳥時代の総合工房跡として知られる奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で見つかった銀の粒(直径約5ミリ)などを分析、7世紀後半に純度の高い銀の精錬技術があったことが28日、奈良文化財研究所の調査で分かった。
国内の銀精錬は1533年、鉛を使う「灰吹(はいふき)法」が朝鮮半島から伝わり、石見銀山(島根県大田市)で本格的に始まったと考えられてきたが、調査した村上隆上席研究員(歴史材料科学)は「灰吹法と同じ原理。基本は800年以上前に導入されていたようだ。日本の科学技術史を見直す大きな材料」と話している。
7世紀後半の銀粒や、るつぼにしたとみられる半球状の石器など計約40点を分析。それぞれ精錬工程で混ざったとみられる鉛を検出した。
石器は内部に微小な穴が多数ある凝灰岩製。わずかな銀を含んだ鉛を熱し、酸化した鉛が溶けて石器に吸収されると、さらに加える作業を繰り返し、純度95%ほどの銀を得たらしい。
2007/06/29 17:17
奈 良
男子群像写真公開
高松塚東壁 男子群像の写真公開
明日香村、高松塚古墳(8世紀初め)の石室解体で、文化庁は27日、男子群像が描かれた東側壁の写真を公開した。
東側壁は22日に取り外しに成功し、23日に同村の修理施設内に搬入。この日は、修復技術者が壁画面を保護するレーヨン紙269枚の大半を取り外した。壁画の右端の人物の着衣を描いた緑色が目立ち、左から2人目の顔や、貴人にさしかける傘のような蓋(きぬがさ)も判別できた。
2007/06/28 16:56
京 都
「甲賀杣」
「甲賀杣」示す 初現物資料
奈文研調査、飛鳥時代に伐採・加工
滋賀県甲賀市甲南町新治で出土し、住民らによって保存されてきた杉の古木3本が、奈良文化財研究所(奈良市)の調査でいずれも飛鳥時代の木と分かった。
おのによる加工跡が残っており、古代の木材供給地「甲賀杣(そま)」の歴史を示す初めての資料という。甲賀市が正式に保存展示することも決まり、住民らは「地域の宝物として後世に伝えていきたい」と喜んでいる。
加工跡のある古木は新名神(第二名神)高速道路の関連工事現場から、2005年6月に2本、06年10月に近くで1本が見つかった。偶然現場を目撃した住民らが市に連絡するとともに工事業者に地区内の農業倉庫まで運搬を頼み、廃棄を免れたという。長さ3−7メートルで、いずれも直径1メートル前後と推定される大木。その後、同研究所の年輪年代測定法による調査で、保存状態の良かった後の1本は664年秋に伐採されたことが判明した。最初の2本も、同時出土した木が630−687年の伐採と分かり、飛鳥時代のものとみられる。
市歴史文化財課によると、切り出して加工中の木とみられ、おので切り込みが入り、木を割るためのくさびを打ち込んだものもあった。「のこぎりが登場する中世以前の製材技法を知る貴重な資料」といい、現在は滋賀県文化財保護協会が詳しく調べている。
甲賀はかつて良質な木材の産地で、奈良時代の正倉院文書などに東大寺大仏殿(奈良市)や石山寺(大津市)の建立に用材が使われたと記されているが、文献以外の資料はこれまでなかった。
古木出土を契機に住民らは「新治の歴史を学ぶ会」を結成した。倉庫で最初の2本を展示し、後の1本も保管している。福井芳郎会長(71)は「飛鳥時代にこんな技術があったとは驚きで、木の文化から地域の歴史を見つめ直したい」と話す。
甲賀市は
8月25日に現地説明会と専門家による講演会を開く予定
で、市甲南庁舎などでの展示を計画している。
2007/06/27 16:57
滋 賀
ハトシェプスト女王
古代女王のミイラ発見か
「ツタンカーメン級」
エジプト文化省は26日、古代エジプト第18王朝期のハトシェプスト女王のミイラを特定、27日に記者会見を行うと発表した。ロイター通信によると、ドキュメンタリー専門のテレビ「ディスカバリー・チャンネル」は「ツタンカーメン王以来の発見」としている。
同女王(在位紀元前1503年ごろ−同1482年ごろ)はファラオ(王)として先例のない権力をふるい、プント(現在のソマリア付近)やビブロス(同レバノン)、シナイ半島(同エジプト)との交易にも力を注いだ。
ロイターなどによると、専門家は、1903年にエジプト南部ルクソールの「王家の谷」で発見されたミイラ2体のうち1体が、歯や身体の一部など新たな証拠によって同女王と特定されたとしている。
2007/06/27 16:40
外 国
こうぜ古墳群
1号墳は前方後円墳-桜井・こうぜ古墳群
桜井市南部の「こうぜ古墳群」を同市教委が調査。これまで円墳と考えられてきた1号墳が、二つの大型石室を持つ前方後円墳だったことが明らかになった。同古墳は6世紀後半に造られたとみられるが、この時期の前方後円墳は珍しく、大和王権の有力者の墓だった可能性が強まった。新たに円墳も確認し、3基の古墳で構成されることも分かった。
これまで定まった名称がなく、今回の調査で「こうぜ古墳群」と命名した。山から伸びる尾根の先端部に築かれており、市教委が周辺を約320平方メートル発掘したほか、測量も行った。
1号墳は二つの円墳とみられていたが、全長約50メートルの前方後円墳と判明。斜面から削り出した堀や墳丘のすそも見つかった。
2007/06/26 16:48
奈 良
高松塚 男子群像
最後の男子群像取り外し
高松塚、10年かけ修復
国宝壁画を修復、保存するため、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で進む石室解体で、文化庁は26日、男子群像が描かれた西壁を取り外した。
国内で前例のない作業は4月に始まり、「飛鳥美人」と称される女子群像や四神図の「玄武」「青竜」「白虎」、男子群像を描いた壁石、天文図がある天井の石計11枚を石室から外し、修復施設へ運んだ。
1枚残った男子群像の搬出で、カビなどで劣化した壁画の救出はすべて完了。10年がかりで修復する。
男子群像がある西壁(幅106センチ、高さ115センチ、厚さ43センチ)は、クレーンでつり上げ梱包。午後に修復施設へ移す。
壁画がない床石4枚は7月末に運び出す予定。
2007/06/26 16:29
奈 良
巨大ペンギン化石
巨大ペンギンの化石発見
体長150センチ、ペルー南部
体長が150センチに達する約3600万年前の巨大ペンギンの化石と、これとは別種の約4200万年前のペンギンの化石を、米ノースカロライナ州立大などの研究チームがペルー南部のイカで発見し、25日付の米科学アカデミー紀要(電子版)に発表した。
発見場所は比較的低緯度の南緯14度付近。ペンギンは地球の寒冷化に伴い、約800万年前以降に南極などの高緯度地域から赤道寄りの低緯度に移動したと考えられていたが、今回の発見で移動の年代が3000万年以上もさかのぼることになる。
また、これまで大型ペンギンの化石は南極で発見されていたため、大型化は高緯度での寒さへの適応と考えられていたが、巨大ペンギンが生きていた当時の地球は現在より暖かく、ペンギンの進化や生息域の広がりについて議論を呼びそうだ。
2007/06/26 16:23
外 国
「昌福堂」跡
平安宮「昌福堂」跡を確認
上京、大臣執務 朝堂院の配置復元
平安時代の国政の中心だった朝堂院の建物「昌福堂」の北端とみられる基壇化粧の切石列が京都市上京区の発掘調査で見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が25日、発表した。市埋文研は「これで朝堂院の建物配置がほぼ完全に復元できた」としている。
民家新築に伴い、6月上旬から約80平方メートルを調査した。
朝堂院は北側の大極殿から、南北に細長い回廊が巡り、内側には「十二堂」と呼ばれる建物が左右対称の位置に置かれた。昌福堂は十二堂の北東にあり、第一堂とされ、太政大臣や左大臣・右大臣が執務したという。
見つかった石列は基壇最下部の延石(のべいし)で、東西方向に3メートルあり、長さ1メートル、幅35センチ、厚さ15−18センチの凝灰岩の切石が連なっていた。現在は失われているが、延石の上に高さ約1メートルの基壇が造られ、建物はその上にあったとみられる。
鎌倉時代の「陽明文庫本宮城図」やこれまでの発掘調査で、各建物の東西規模や配置はおおむね分かっていたが、十二堂の北端のラインが確定できていなかった。
今回の調査で、昌福堂の南北規模が約33メートル、東西約18メートルだったことが分かったほか、大極殿との間で天皇と臣下の場所を段差で区別した東西方向の竜尾壇(りゅうびだん)の位置を、22メートル北に推定できたという。
2007/06/26 16:18
京 都
芝原南遺跡
竪穴住居跡や須恵器出土
東近江の芝原南遺跡
東近江市教委と同市埋蔵文化財センターは21日、滋賀県東近江市芝原町の芝原南遺跡で、竪穴住居跡や、形がいびつな須恵器が多数出土したと発表した。これまでに発掘された須恵器の窯跡の近くにあり、同センターは「須恵器の選別や出荷を行う集落だったのではないか」としている。
同遺跡は7世紀後半−8世紀初頭にかけての集落跡とみられている。南西に約100メートルの場所には、1985年、同時期の須恵器の窯跡2基が見つかった八日市壺焼谷遺跡がある。
今回確認された竪穴住居跡は3棟で、かまど跡と思われる焼けた土の跡も14カ所あった。また、製作の途中で割れたり変形したとみられる須恵器が多数出土した。
同埋蔵文化財センターは、須恵器専門の工人集団の集落で、近くの八日市壺焼谷遺跡の窯で焼いた須恵器を選別し、失敗作を捨てていた可能性があるという。
調査は布引運動公園の開発に伴い、今年4月から約4500平方メートルで行われていた。
現地説明会は24日午後1時半から開く。
2007/06/22 19:46
滋 賀
床石に赤い顔料
高松塚古墳床石に赤い顔料
彩色した絵師が落とす?
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、石室の床石に赤い顔料が3カ所付着しているのが見つかり、文化庁が21日、発表した。
分析の結果、顔料の「朱」の主成分である水銀を検出。「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像の唇や衣装の一部、四神図「白虎」のつめなど、石室に描かれた壁画の彩色に使った顔料と同じとみられる。
顔料は石室解体で南壁を取り外し、真下の床石の泥を取り除いたところ発見。大きいものは縦2・4センチ、横1・6センチだった。
担当した奈良文化財研究所の松村恵司室長は「絵師がパレット代わりにした皿に顔料を入れて石室に出入りするうちに、ポタポタ落としたのだろう。壁画を描く姿を想像させる」と話している。
2007/06/22 18:54
奈 良
二条家邸跡
江戸期の二条家邸跡見つかる 同女大で、数十年単位で建て替え
藤原道長・頼通の子孫で、摂政・関白を輩出した五摂家の一つ、二条家の江戸時代の屋敷跡が京都市上京区の同志社女子大今出川キャンパスで見つかり、21日、同大学と同志社大歴史資料館が発表した。17世紀から明治初期までの200年間、頻繁に建て替えられていた。
体育施設建設に伴い、3月上旬から同資料館が1500平方メートルを調査している。江戸初期の絵図などに、辺りには二条家の屋敷があったと記されている。
屋敷跡は1708(宝永5)年と1788(天明8)年の火災や、その間の洪水を境に4時期あり、それぞれの時期でも数十年単位で建て替えが行われていた。
最初の江戸前期では、南北方向の砂利敷きの道路(幅3メートル)が見つかり、東西に林立する建物の礎石が見つかった。
天明の大火以前は、南北10メートル、東西27メートル以上の雨落ち溝とみられる石組みが見つかり、東西に細長い建物があったとみられる。大火後は底をしっくいで舗装した池(南北25メートル、東西9メートル)となり、水量を調節したとみられる2個の集水升(しゅうすいます)が設置されていた。
同資料館は「大名屋敷でも、当主が代わって隠居するなど必要に応じて建て替えられているが、公家屋敷でも同じ様子がうかがえる」と話している。
2007/06/22 18:45
京 都
高松塚石室解体
男子群像を紙で補強
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は20日、東西壁石に描かれた壁画の男子群像に、白いポリエステル紙を張って補強した。
東壁石は22日に、西壁石は26日にそれぞれ予定されている取り上げ作業に向け、壁画の損傷防止などが目的。壁画修理技術者が筆とピンセットを使い、樹脂を含ませたポリエステル紙(縦5センチ、横3センチ)を、東壁石に103枚、西壁石に108枚それぞれ張った。
2007/06/21 19:31
奈 良
高松塚「白虎」
高松塚「白虎」失われた力強さ 南壁は盗掘穴くっきり
高松塚壁画のうち最も劣化が進み、石室解体決定の引き金にもなった「白虎」が18日、報道陣に公開された。頭や両目、真っ赤なつめがかろうじて見える程度で、躍動感あふれる力強さはすでに失われていた。昭和47年の壁画発見から35年間の文化庁による保存方法の問題点が、凝縮されているようだった。
公開は、修復施設・修理作業室の見学通路からガラス越しで行われた。退色がひどいため、白虎が描かれた場所さえ分からないほどだったが、文化庁担当者が指し示した場所に目をこらすと、頭部などがしだいに浮かび上がるように見えた。
解体前に石室内の白虎を撮影した文化庁の提供写真と比べると、頭部の輪郭線は、漆喰(しっくい)のでこぼこなどで立体感があるためか、肉眼の方が明瞭(めいりょう)に観察できた。ただ、全長40センチあまりの白虎は頭部以外にほとんど見えず、ほぼ同じ大きさの青龍よりずっと小さく感じられ、「子猫」のようなイメージ。白虎のすぐ下には、木棺を引きずった傷が生々しく残り、壁画より目立っていた。
南壁は、鎌倉時代の盗掘穴が大きく口を開け、盗掘者が壁石を砕いたのみの痕跡が何十カ所も残っていた。一方、鋭角にカットされた東西両壁石との接合面は、解体作業で最も破損しやすいとされていたが、石室築造当初のまま残され、作業の見事さを物語っていた。
2007/06/20 18:07
奈 良
東西壁石
次は東西男子群像-22日から取り上げへ【高松塚古墳】
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は19日、石室内に残った男子群像が描かれた東西壁石の取り上げに向けた準備作業を行った。また、古墳近くの壁画修理施設では、壁画面に発生したゲル状物質(カビとバクテリアなどの混合物)の除去に向けた試行作業を始めた。
東壁石は22日に、西壁石は26日にそれぞれ取り上げを予定。4枚ある床石を除く、壁石と天井石12枚の取り上げが完了することになる。
2007/06/20 18:00
奈 良
高松塚南壁公開
高松塚南壁公開 石角なめらか高い技術証明
漆喰、角付近に残る
明日香村、高松塚古墳(8世紀初め)の石室解体で、文化庁は18日、修理施設で、取り外しに成功した南壁を公開した。ほかの壁と組み合わさる面が平滑に仕上げられており、1300年前の石工の技術の高さが判明した。
南壁は中央部に大きな盗掘穴があけられており、幅137センチ、高さ115センチ、厚さ49センチ。この日、側面の泥やカビが落とされ、施設内の修理作業室に搬入された。
天井石や床石と接する角、側壁と合わさる角は、それぞれ面取りされている。削られた面はノミ跡などがなくなめらか。一方、盗掘による穴は、ノミのような鋭い道具で削られていた。
四神の一つ「朱雀」が描かれていた可能性のある中央部分には、全く漆喰(しっくい)が残っていなかった。側壁と接する角付近には漆喰面が残っており、同庁は「漆喰を塗った方法などを解明する手がかりになるかもしれない」としている。
2007/06/19 16:50
奈 良
十条大路跡
考古学ファン殺到
◎十条大路跡現地説明会
平城京の十条大路跡(8世紀初め)が見つかった大和郡山市の下三橋(しもみつはし)遺跡で16日、現地説明会が開かれた。午前10時の開始1時間半前から考古学ファンがつめかけ、予定より1時間早く始まった。正午までの参加者は約千人だった。
十条大路跡では、調査を担当した同市教委の山川均主任が説明した。「今後の課題は、右京(京の西半分)にも同じ十条部分があるかどうかと、十条大路にかかる交差点がT字か十字か。T字ならば十条大路が京の南端と確定するし、十字なら京がさらに南へ広がる可能性が出てくる」と話すと、メモをとりながらうなずく人も多かった。
同時に調査が実施された、北側の十条条間北小路の交差点部分では、元興寺文化財研究所の佐藤亜聖研究員が道路の設計について「約133メートル間隔で、優れた測量技術がうかがえる」と話した。
2007/06/18 17:03
奈 良
貴族宅の池跡
泉に伏流水、優雅に
下京 平安前期、貴族宅の池跡確認
京都市下京区の国道9号拡幅に伴う発掘調査で、泉を備えた平安前期の池跡が18日までに見つかった。泉は、池に水を供給するため、地下の伏流水をわき出させており、自然条件を上手に利用した平安貴族の優雅な生活がうかがえる。
池跡は9世紀半ばで、東西約8メートル、南北約2メートル以上を確認した。東西、南北ともさらに広がるとみられる。岸は直径50センチ程度の景石で護岸が施されていた。
泉は直径約80センチ、深さ約40センチ。直径50センチ程度の河原石が円形に積まれ、池底の粘土層を貫き、下の砂れき層から水が噴出する仕組みになっていた。9世紀末には泉は埋められ、中島を持つより小さな池に造り替えられていた。
市埋文研の担当者は「平安京の右京は、何本もの自然の川の上に造営された水の都。中期以降は廃されたが、前期の貴族は、水を上手に管理し、池を主役に建物を配置したのだろう」と話している。
2007/06/18 16:57
京 都
高松塚解体
南壁も取り外す
高松塚解体、10枚目
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)の石室解体で、文化庁は15日、石室の南壁を取り外した。
解体は10枚目。作業による損傷はないという。午後に修復施設へ運ぶ。
クレーンで南に約20センチ動かしてからつり上げ、すぐ北側に残っている男子群像を描いた東西の壁を越えて運び出した。
南壁は四神図の「朱雀」が描かれたが、鎌倉時代に盗掘者が壁の上部に大きな穴(縦38センチ、横76センチ)を開け、しっくいごとはがれ落ちたとみられる。
幅137センチ、高さ113センチ、厚さ51−45センチ。東側上部に複雑なひびが入っていた。
壁画がある石は、男子群像の壁2枚に。東壁を22日、西壁を26日に外す予定。
2007/06/15 16:35
奈 良
四神図
四神図すべて修復施設へ
壁画のルーツ解明も期待
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)の石室解体で文化庁は14日、四神図「白虎」が描かれた西壁を修復施設へ運び、1300年間、被葬者を守り続けた四神図がすべて石室を離れた。
これからは修復とともに調査が本格化。石室では難しかった顔料や技法の科学分析、キトラ古墳(明日香村)からはぎ取った四神図と比較することも可能になる。奈良文化財研究所飛鳥資料館の加藤真二主任研究員は「材料や技術的な面から、日本へ伝来したルートなども解明されるのではないか」と期待する。
四神は古代中国で各方位を守るとされた神獣。日本で極彩色の古墳壁画は高松塚とキトラしか見つかっていないが、古代の中国、朝鮮半島に多く残る。
東は「青竜」、西は「白虎」、北は「玄武」。高松塚は残っていないが南が「朱雀」。死者の魂を鎮め、邪悪なものの侵入を防ごうと描いたようだ。
2007/06/15 16:24
京 都
西大寺食堂院跡
西大寺食堂院跡 木簡「8世紀末」に修正
奈良文化財研究所(奈良市)は、昨年11月に発表した同市の西大寺食堂(じきどう)院跡で見つかった木簡の年代を10世紀末から、8世紀末に修正した。木簡には「正暦二年」(991年)と書いていたが、その後の調査で「延暦」と読める木簡が新たに5点確認されたためで、同研究所は「状況から正暦は延暦を意図して書いたと解釈するのが穏当」とし、書き間違えたとの見方を示している。
木簡は同院の井戸跡から約60点が発見され、寺の米や酒、野菜の出し入れなどを記した内容。発表時は、年号が読み取れるのが「正暦二年」と書かれた木簡だけで、井戸周辺では10世紀の土器が見つかった。
だが、井戸があった場所から出土した土器は8世紀で、その後、「延暦」と読める木簡を次々に発見。井戸跡から見つかった木簡は、今年1月時点で約360点にのぼり、最終的には1000点を超える見込み。
食堂院は僧が食事をする施設で、見つかった木簡は、食材の献上、保管、支給関係の3種類に分けられる。遺物が増加した段階でも10世紀末に下る遺物はなく、基本的に8世紀の範囲内で収まっているという。
2007/06/14 16:53
奈 良
下三橋遺跡
平城京の十条大路か
奈良・下三橋遺跡で遺構発見
奈良県大和郡山市の下三橋遺跡で、平城京(710−784年)の十条大路とみられる東西の道路遺構が見つかり、大和郡山市教育委員会と元興寺文化財研究所が13日、発表した。
南限とされた九条大路より約530メートル南で、平城京の「条坊」(碁盤目状の区画)と方角、規模が一致した。約20年で埋め立て廃棄されたらしいが、南北九条とする明治時代以来の平城京像は見直しがほぼ確実。
市教委は「当初は十条で設計、施工したことが明確になった。わずか20年で廃棄、都の一部ではなくなったのは、政治や外交などよほどの理由があったのだろう」としている。
見つかった遺構は長さ9・5メートル、幅約14メートルで三条大路や六条大路とほぼ同規模。両側に幅1・5−2メートル、深さ約40センチの側溝があった。周辺の状況から730年ごろ埋め立てたと判断した。
2007/06/14 16:29
奈 良
高松塚西壁石
1日早め、きょうから-西壁石「白虎」取り上げへ
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初)の石室解体作業で、文化庁はきょう13日から、「白虎」が描かれた西壁石の取り上げ作業を始める。
当初は14日に白虎の西壁石、15日に南壁石をそれぞれ取り上げる予定だった。だが、壁画修理施設への搬入手順を考慮し、日程を1日繰り上げて13日夜から石室からの取り外し作業を開始。翌14日にレールクレーンで断熱覆屋から取り出され、壁画修理施設に運ばれる。
2007/06/13 18:00
奈 良
南壁石「えぐり穴」
南壁石に「えぐり穴」-高松塚構築過程解明へ前進
文化庁は12日、高松塚古墳の南壁石背面の床石と接する中央底辺部から、棒を入れて「てこ」の原理で石材を動かした「えぐり穴」が5個見つかったと、発表した。穴を掘ったのみの痕跡が床石にもあり、石室を組み立てた後で穴を開けられていた。組み立てた石室から一度、南壁石を取り外した跡とみられ、古墳の構築過程を知るための貴重な資料といえる。
えぐり穴は南壁石と床石の接点にあった漆喰(しっくい)を取り外して確認。下辺中央部の約78センチの範囲に、横8〜10センチ、縦と奥行きがともに6〜7センチの穴がのこぎり状に集中していた。斜めに入ったのみ痕が床石にも達しており、石材を組み立て後で穴を開けたことが分かった。
高松塚古墳は、石室を組み立て、周りに土を突き固めた墳丘を構築▽墓道を掘り南壁石を開けて壁画を描く▽納棺して南壁石を閉める―との手順で作られたとする説が有力だった。
2007/06/13 17:58
京 都
南朝の伝承...
南朝の伝承・遺跡 検証
◆「長慶天皇の墓」視察も/天川村のグループ
天川村のグループが、村内に多く残る南朝にまつわる伝承を現地調査で検証することに取り組んでいる。南北朝時代(1336〜1392年)に劣勢だった南朝方は吉野の山中に逃げ込むことが多く、断片的な歴史しか伝わっていない。メンバーは「歴史書に残らなかった、日本の陰の歴史を発掘し、後世に伝えたい」と張りきっている。
グループは、2年前に結成された「天川を学ぶ会」(大西房次会長)。20歳代から80歳代まで約50人が会員で、月1、2回のペースで視察会や勉強会を開いている。広い村内は集落ごとに様々な伝承があり、情報交換を兼ねて会員が交代で講師を務め、自分で文献などを探し出して発表する。
5月末にあった視察会の講師は民宿を営む堀口善昭さん(76)。テーマは「南朝3代目の長慶天皇の伝承」。堀口さんは「昭和20年代まで、長慶天皇の命日に御廟所で地元の旧家が祭っていた記憶がある」と言う。この日は、約15人が山中の廟所を訪ねた後、長慶天皇(皇位1368〜83年)が自害したとされる「めぐり石」を回った。
長慶天皇(没時は法皇)は南北朝が合一した後の1394年に52歳で亡くなったとされるが、堀口さんによると、北朝方との戦いに敗れ、山中に隠れるように御所を構え、北朝方に追われて自害したという。
山中深くの廟所は、墓石らしい丸い石が二つと外構の石数個があるだけ。「昔は4畳半程度の広さがあり、木のさくで囲まれていたんだが」と堀口さん。祭っていた旧家が村外に転出し、廟所は荒れ放題だ。
だが、墓石に刻まれた文字は「後醍醐帝」と読める。「天川では、南朝皇族の足跡はなぜかすべて後醍醐天皇の伝承ということになっている」と会員の一人が解説した。
こうした伝承に根拠が無いわけではない。村内には、南朝の仮御所跡とされる河合寺(かごうじ)跡からは北朝方の攻撃で焼けたと見られる刀などが発見され、長慶天皇の「寺を再建せよ」という綸旨(りんじ)も村に残る。村内から下流の十津川村にかけて長慶天皇を祭った国王神社が数カ所点在している。
「学ぶ会」の事務局のある同村地域政策課は「伝承、遺跡、文献を点と線で結ぶことで、『正史』には現れない、このままでは消え去ってゆく歴史の語り部になりたい」と話している。
2007/06/11 18:18
京 都
中国最古の木俑
中国最古の木製人形発見か
陝西省、兵馬俑の5百年前
10日付の上海紙、文匯報は中国陝西省の考古学専門家の話として、同省韓城市にある西周時代(紀元前1050年ごろ−同771年)から春秋戦国時代(同770年−同221年)にかけての古墳群で、中国最古の木俑(木の人形)4体が発見されたと報じた。
木俑は高さ約80センチで墓室の四隅にあった。御者のような格好をしており、もともと赤色の彩色が施されていたという。
発掘に携わっている専門家は同紙に対し、4体の木俑は、同省内にある秦(紀元前221年−同206年)の始皇帝陵を守護する「軍団」とみられている等身大の兵馬俑よりも500年余り前につくられたもので、これまで発見された木俑の中で最も古いとの見方を示した。
同紙によると、韓城市の古墳群では、これまでに895の墳墓と64の車馬坑が発見され、青銅器や玉製品、陶器など多くの副葬品も発掘されている。
2007/06/11 18:02
外 国
中京区発掘調査
都造営の公的作業場か
中京で出土の平安前期木簡
京都市中京区の発掘調査で昨秋見つかった平安前期の木簡が、労働者に支給された食料や賃金を記したとみられることが9日までに分かった。遺構は見つかっていないが、平安京造営期に当時のメーンストリート・朱雀大路周辺に公的な作業場があった可能性が出てきた。
JR山陰線の高架化に伴い、市埋蔵文化財研究所が昨年8−12月、南北450メートルにわたって調査した。仏光寺通と高辻通の間の9世紀後半とみられる池跡から、木簡2枚が出土した。
1枚は長さ20センチ、幅4センチ。表面には、木製品の見本を示すとみられる「様(ためし)」の文字や「米一斛(こく)八斗(と)四升(しょう)」の文字があった。裏面には米が1人当たり二升、醴(こさけ)(安価な甘酒)が1人当たり六合支給されたことなどが記されていた。いずれも1日分で、計算上30人の労働者が働いていたとみられる。賃金は奈良時代と比べると高額で、インフレが頻発した社会情勢がうかがえるという。
もう1枚は長さ15センチ、幅3センチ。ナシの1種「續梨」と記され、調査地付近で消費されたか、栽培されていたとみられる。
調査地は朱雀大路に面した西側の区画に当たり、100メートルほど西では過去に「細工所」と記された木簡が出土している。
市埋文研は「朱雀大路周辺は、天皇の離宮や鴻盧館(こうろかん)など公的な建物が並んでおり、都の造営に関係する公的な細工所があったのだろう。調度品や小物を作っていたのではないか。労働者の人数など細工所の実態を示す貴重な史料だ」と話している。
■特別な邸宅、施設か
西山良平・京都大人間・環境学研究科教授(日本古代・中世史)の話 続梨は天皇のための果樹園に100株植えられていたとの記述が延喜式にあり、特別なナシの可能性が考えられる。朱雀大路に面した宅地という立地からみても、細工所などを備えた非常に高貴な人物の邸宅か公的な施設が近くにあったのではないか。
2007/06/10 20:18
京 都
サークル 両槻会
平成の飛鳥人へ 歴史に文化・・計100問
◎「両槻会」あす検定実施
県内外に住む「明日香村ファン」でつくるサークル「両槻会」が、明日香村の歴史や文化などについての知識を試す手作りの試験問題を作った。ご当地検定ブームにあやかって「飛鳥検定」と名付け、9日に第1回検定を開催することにしている。
同会は今年2月、橿原市の会社員牧尾茂夫さん(55)らが中心になって結成。これまでに大学教授を招いた講演会のほか、同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で5月27日まで17日間一般公開されたキトラ古墳壁画「玄武」の見学会などを開いてきた。
検定は「飛鳥美人など高松塚古墳の人物群像は、全部で何人?」「石舞台古墳に使われている石で一番重いのは何トン?」など計100問で、制限時間60分。正解数によって、飛鳥時代に推古天皇が定めた位階制度「冠位十二階」にちなんだ12段階の「飛鳥人冠位」を授与する。
約5万2千人が訪れた玄武公開中、飛鳥資料館などに受検者募集のチラシを置いていた。今月7日までに県内外から15人の応募があり、うち半数は玄武を見学に訪れた人だったという。会員たちは「遠方から村へやって来た人も明日香ファンになってくれればうれしい」と期待を寄せる。
要予約。受検料300円に会場の橘寺の入山料なども必要。詳細と申し込みはホームページ(
http://asuka.huuryuu.com/
)から。8日午後8時まで受け付ける。
2007/06/08 16:42
奈 良
高松塚古墳 東壁
「青竜」の東壁取り外し
高松塚解体
国宝壁画を修復、保存するため石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で文化庁は7日、四神図「青竜」が描かれた東壁を石室から取り外した。
解体は8枚目。残りは四神図「白虎」がある西壁、男子群像を描いた東西の壁と南壁、壁画がない床石4枚になった。
青竜がある東壁は幅91センチ、高さ115センチ、厚さ40センチ。ジャッキで石をわずかに浮かし、金属棒の「ころ」で北側に動かした。石の底面は水分を含みもろくなっており、慎重に作業。8日に修復施設へ運ぶ。
青竜図は大きく開いた口から赤い舌を出し、緑色の胴体が鮮やか。しかし尾の一部が泥で覆われ、周辺に広がるカビでくすんでいる。
文化庁はこれまでに天井石4枚、四神図「玄武」がある北壁、女子群像を描いた東西の側壁を取り外した。白虎図の西壁は14日、南壁は15日に着手する予定。
2007/06/08 16:25
奈 良
高松塚古墳
地震被害は12世紀以降-盗掘後の亀裂に「ずれ」天井南端石
先月30日に取り上げられた高松塚古墳の天井南端石上面に残る盗掘跡の亀裂の「ずれ」から、盗掘のあった12世紀末以降に発生した地震が高松塚古墳に被害を与えたことがわかり、文化庁が6日、発表した。飛鳥地域で大きな被害があった1361年の南海・東南海地震の可能性が高い。盗掘の影響で石材の亀裂が発生した可能性もあるという。
天井南端石上面の盗掘跡は石材の中央部にあり、墳丘の上部から掘り進んだ盗掘者が石を割ろうとしたとみられる。亀裂は地震が原因で発生し、盗掘跡を通って石材を南北に貫いている。盗掘跡のへこみに工具で石を削った痕があり、地震の亀裂で「ずれ」が発生。石材が盗掘の後に地震被害を受けたことがわかった。
2007/06/07 17:06
奈 良
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