古墳・遺跡・化石・現地説明会 他
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平城宮跡
旦椋遺跡
奈良期の鳥形硯出土
宇治市教委は京都府宇治市大久保町の旦椋(あさくら)遺跡で進めていた発掘調査で、奈良時代のすずりのふたの一部と寺院などで使われる床材が見つかったと25日、発表した。すずりは鳥形硯(とりがたすずり)の一部とみられ、市教委は「全国的にも出土例が少なく珍しい」としている。
ふたは、須恵器で円墳の溝の地中約70センチに埋まっていた。幅約12センチ、長さ約13センチで、全長は推定20センチ前後のだ円形。葉の葉脈のような線の文様が刻まれ、羽毛を表現している。
市教委によると、鳥形硯はこれまで奈良市の平城宮跡や三重県明和町の斎宮跡で発掘されたが、生産量が少なく発見されるのはまれという。
ふたの近くから、同時期の床材も見つかった。2つの出土品は、一般集落で出土するのは少ないため、市教委は「遺跡内かその周辺に未発見の寺院跡が存在していた可能性がある」としている。
今回の調査では6月に続き、円墳1基(6世紀中期)も見つかった。古墳前期の土師(はじ)器の破片もまとまって出土したことから、同遺跡は4世紀ごろから始まったことが分かった。
旦椋遺跡は、古墳期から平安期の複合遺跡。近鉄大久保駅の南西約300メートルにあり、マンション建設に伴い4月から調査を行い、完了した。
2007/07/26 17:40
京 都
高松塚壁画
高松塚壁画一堂に
解体した12枚公開
文化庁は25日、国宝壁画修復のため、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)石室から取り外した計12枚の石を報道陣に公開した。
高松塚近くにある修復施設の作業室には「飛鳥美人」と称される女子群像や四神図の「青竜」などが描かれた壁石、天文図がある天井石などが一堂に。
室内は温度21度、湿度55%に設定。搬入後に新たなカビの発生はないが、100%近い湿度の石室から移したため、顔料やしっくいが乾燥し、全体的に白っぽくなっているという。
描線が薄れた四神図「白虎」は、間近で見ても背中のしま模様や顔の輪郭がぼんやりと確認できる程度。天文図の一部は、乾燥して網の目状の細かい亀裂ができた部分もあった。
文化庁は石ごとに壁画やしっくいの劣化状態、カビの付着個所などを記録。10年がかりとされる修復作業の基になる「カルテ」作りを進めている。
2007/07/26 17:27
奈 良
横道遺跡
大首長補佐役の円墳発見
城陽・横道遺跡 円筒埴輪と葺き石で装飾
京都府の城陽市教委は24日、古墳時代中期(5世紀)の円墳が同市平川の横道遺跡から出土した、と発表した。「埋葬者は地域の有力首長で、府南部を治めた大首長の補佐役だった」と推定している。同市での中型古墳の発見は24年ぶり。
円墳は直径52メートル。二重の濠があり、中央の墳丘部は二段式で直径27・5メートル。すき間なく並べられた円筒埴輪の列が墳丘上段を囲んでいる。濠の斜面などにこぶし大の石、墳丘上段の斜面に人頭大の石を葺(ふ)いており、600メートル北西の芭蕉塚古墳と似ている。
平川地域には、同時期に大型の芭蕉塚古墳と中型の青塚古墳がある。芭蕉塚古墳は府南部の首長たちを束ねた大首長の墓、青塚古墳は大首長を補佐した有力首長の墓と考えられており、市教委は、円墳を青塚古墳と同じ補佐役の墓と推定した。
発掘は、円墳を縦断する横4メートル、縦45メートルの狭い範囲で実施した。墳丘を中心に円筒埴輪を計56基掘り出しており、数百基の埴輪を使っていたと推定している。墳丘の最上部は後世の開発で削り取られ、埋葬施設や副葬品は残っていなかった。
墳丘の南側からは「造り出し」と呼ばれる張り出した部分が見つかり、円筒埴輪と葺き石で装飾されていた。周囲から家形などの形象埴輪の破片が見つかったことから、何らかの祭祀(さいし)が行われていたとみられる。
市教委は円墳を「横道古墳」と仮称した。横道遺跡は縄文時代から奈良時代にかけての複合遺跡。発掘地では土地区画整理事業が進められており、円墳は埴輪を除いて埋め戻す。長雨で発掘調査が遅れているため現地説明会は行わない。
2007/07/25 17:50
京 都
古代エジプトの要塞
3500年前の要塞跡発見
古代エジプトで最大
エジプト考古最高評議会の調査隊は22日、スエズ運河から東約3キロのシナイ半島北部で約3500年前の軍事要塞の遺跡を発見したと発表した。古代エジプトの要塞としては最大という。中東通信が伝えた。
調査隊を率いるモハメド・アブデルマクスード博士によると、要塞は古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(王)トトメス3世(在位推定紀元前1479年−1425年)の時代に造られたとみられ、エジプトとパレスチナを結ぶ古代の軍事道路、ホルスロード上で見つかった。博士は、エジプトの東端部を守るための軍事拠点とみている。
要塞の面積は縦500メートル、横250メートルで、壁の厚さは13メートルあった。周囲には高さ20メートルほどの塔が24本建っていたとみられる。
トトメス3世はシリアやナイル川上流のヌビアを征服するなど高い軍事能力で知られ、帝国的な支配を行い「エジプト最大の王」と呼ばれている。
2007/07/24 16:51
外 国
東大寺復興
遺物が伝える往時の槌音
東大寺(奈良市)の南大門近くから、12世紀末〜13世紀前半の木の削りくずや井戸などが県立橿原考古学研究所の調査で見つかり、治承4(1180)年の平氏の南都焼き討ちによる伽藍(がらん)再建のための作業場跡だった可能性が高まった。井戸から見つかった瓦などは、21日から同研究所付属博物館(橿原市畝傍町)で始まる特別展「大和を掘る」で公開。同寺中興の祖の・重源(ちょうげん)上人による復興の槌音(つちおと)が、800年ぶりに蘇る。
「老僧や稚児、女童(わらべ)は大仏殿の中へわれ先にと逃げ込んだ。阿鼻叫喚のなかで焼け死んだ」−。平家物語にも記された治承4年12月28日の南都焼き討ち。東大寺大仏縁起(室町時代)には、大仏とともに炎に包まれる子供らの姿が生々しく描かれている。
東大寺の惨状を知った重源は、伽藍復興を願って勧進を始め、後白河法皇ら都の有力者のほか、諸国をまわって寄付を募った。
「寄付を通じて、多くの人々の思いを大仏に集結させよう」。建久6(1195)年に大仏殿が完成。同年3月の落慶供養会には、鎌倉幕府を開いた源頼朝が数万の兵を率いて参列したという。
南大門が焼き討ちで焼失したとの記録はないが、建築様式などから鎌倉時代初めに建て替えられたことは確実。菅谷文則・滋賀県立大教授(考古学)は「焼き討ちで被害を受けた可能性も十分ある。南大門近くには、現代に例えると大型トラック何百台分もの材木が運ばれ、柱などに加工された」と指摘。今回見つかった作業場跡は、その一部の可能性が高まった。
重源は、伽藍の材木を調達するため、周防国(現在の山口県東部)を訪れ、山に入って木を選び、設計図作成などに積極的に携わった現場主義者だった。今回見つかった作業場にも、足しげく通ったとも想像される。
一方で、菅谷教授は、井戸から見つかった奈良時代の瓦に注目。「創建時、南大門は大仏殿などより遅れて建てられたはず。今回の瓦と、大仏殿などの瓦を比較すれば、どれだけ年代差があったか分かるだろう。東大寺の歴史を考える上で極めて重要な成果」と話す。
「大和を掘る」は9月2日までで、月曜休館。入館料は一般400円、高校・大学生300円、小中学生200円。幼児と65歳以上は無料。7月28日、8月11、25日、9月1日には、午後1時半から同研究所で調査報告会(無料)が開かれる。
2007/07/21 17:59
奈 良
倭国大乱の跡?
亀岡で竪穴住居出土
亀岡市千歳町の出雲遺跡で弥生時代後期(2世紀後半)の六角形の竪穴住居跡が見つかり、府教委が19日、発表した。邪馬台国が日本国内を統一する直前の「倭国の大乱」の時期にあたり、住居の中には使える状態の土器がそのまま残されていた。府教委は動乱の中、敵が迫ったたため、住民が何も持たずに逃げ出した可能性もあるとみている。
この竪穴住居跡は広さ約50平方メートル。全体の形は六角形で、一辺は4〜5メートル。住居跡の中からは甕や壺など土器計15点が確認された。いずれもほぼ完全な形で残されており、散らばった状態の米も数多く見つかった。米はすでに炭化していたが、脱穀されていた。
こうしたことから府教委は、住居は住民がいなくなって、そのまま放棄されたと判断。しかし、まだ使用できる貴重な甕や壺をそのままにして住まいを放棄するのは、当時としては異例で、これまでの発掘調査でも火災を受けていないケースはほとんど確認されていないという。
「魏志倭人伝」などによれば、邪馬台国の女王、卑弥呼が倭国を統一する前、日本国内は100国以上に分裂、戦いを繰り広げていた。発掘調査で見つかるこの時期の竪穴住居には、戦闘で火災に遭い焼け落ちた状態のものもあるが、今回の遺構には火災の跡はなかった。
この住居跡は盆地を見下ろす山の中腹につくられていた。府内ではこれまでに計12例の多角形住居が確認されている。
府教委は
21日午前10時から現地説明会を開催。
この後、古墳時代の住居跡が確認された亀岡市教委の発掘現場(同遺跡内)でも現地説明会が開催される。
2007/07/21 17:54
京 都
法隆寺文書
最古級の法隆寺文書確認
大阪・枚方、旧家が所蔵
大阪府枚方市の旧家が市に寄贈した古文書の中から、平安時代(929年)の法隆寺文書が見つかり、同市教育委員会が20日、発表した。
市教委によると、東大寺などは古代の文書が多数伝わっているが、法隆寺は散逸。12世紀以前だと66点しかない。8世紀の文書もあるが傷みがひどく、判読できる文書では最古という。
鑑定した梅村喬大阪大教授(日本古代史)は「法隆寺が国家の保護を受けられなくなった平安時代以降、どう寺を運営したか一端がうかがえ、貴重な史料」としている。
法隆寺に近くの土地を売った証文「売券」で縦約30センチ、横約70センチ。誦師麿という人物が、母親の墓地を買うため売却したとあり、平群郡(奈良県西部)役所の印があった。面積や価格の記録部分は欠落している。
法隆寺は飛鳥時代に聖徳太子が建立。朝廷の手厚い保護を受けたが、律令体制が崩れ、土地の私有化が進んだ平安時代以降、財政的に苦しんだとされる。
2007/07/21 17:29
奈 良
ダハシュール北遺跡
エジプトで人形木棺発見
埋葬当時のままは世界初
早稲田大古代エジプト調査隊の吉村作治隊長らは20日、東京都内で記者会見し、カイロ郊外にある「ダハシュール北遺跡」の未盗掘墓で発見された木棺の中から、さらに人の形をした木棺が見つかったと発表した。中にはミイラがあるとみられ、人形木棺が埋葬当時の状態で見つかった例は世界でも報告がないという。
早稲田大エジプト学研究所の近藤二郎所長は「埋葬方法の変遷を知る上で、非常に重要な発見」と話している。
吉村隊長らによると、人形木棺は左側を下にし、正面を東に向け木棺に納められていた。表面はしっくいの上に人の顔や左右非対称の模様を描き、ビーズ装飾を施した上で布を巻いていた。
木棺に書かれた文字から、中には約3800年前に埋葬された「セベクハト」という名前の男性のミイラがあるとみられる。同じ墓で見つかった「セネトイトエス」という名の妻用の木棺には、マスクをかぶせたミイラが納められているのが確認された。
2007/07/21 17:27
外 国
高松塚 搬出
床石厚さは南北20センチの差
高松塚、8月後半搬出に
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)は、石室の床石4枚が、南から北へいくほど薄くなり、厚さは最大で20センチの差があることが分かり、文化庁が20日、発表した。
床石は、平らに整地して据えたと想定されていたが、下が階段状になっている可能性があるという。発掘を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「予想外だ。基礎工事や、床石の据え付け方法を考え直す必要がある」と話している。
文化庁は、発掘調査に時間がかかるため、床石の運び出しが8月後半になると発表。高松塚の石室解体は、当初7月中に終了の予定だったが約1カ月延びる。
床石は、南端の1枚が厚さ50センチ、2枚目は46・5センチ、3枚目が44・3センチ、北端は30センチ。周囲の盛り土の一部を溝状に掘り下げ確認したため、底が平らになっているかどうかは不明。これから全面的に掘って調べる。
石と石の接ぎ目は一部を重ねる「相欠き」加工をしており、南側から順に組んだと判明した。
2007/07/21 17:25
京 都
十里遺跡
弥生期の破鏡出土 装飾品に利用?
滋賀県文化財保護協会(大津市)は、栗東市の十里遺跡から弥生時代の破鏡が出土した、と発表した。摩耗痕がある穴があることなどから、ペンダントのような装飾品として利用していたとみている。
破鏡は、青銅鏡を意図的に割り、加工して再利用した破片で、県内での出土は3例目。今回見つかったのは、紀元後1世紀の後漢時代に中国で生産された内行花文(ないこうかもん)鏡の外周の破片(長さ5センチ、幅2・8センチ、厚さ4ミリ)。非常に磨き込まれ、上端部分に直径4ミリの摩耗した穴が2つ空いていた。集落の南部にある河川跡から発見された。
内行花文鏡は北部九州に多く分布している。また同遺跡からは、関東地方などに多い帯状銅釧(どうくしろ)片も見つかっており、破鏡は「東西交流の拠点だった近江南部の重要性を示す資料」(同協会)という。
同遺跡の発掘は県道整備事業に伴い、県教委などからの委託で2005年度から2年間行われた。発見された破鏡は21日から大津市瀬田南大萱町の県埋蔵文化財センターで開く「レトロ・レトロの展覧会2007」で公開される。入場無料。
2007/07/20 18:42
滋 賀
出雲遺跡
六角形の竪穴住居跡
亀岡・出雲遺跡で発掘
京都府亀岡市千歳町の出雲遺跡の発掘調査をしている府教育委員会は19日、弥生時代後期(2世紀後半)の六角形の竪穴住居跡が見つかったと発表した。竪穴住居は円形か四角形が大半で六角形は珍しく、丹波地方で4例目。府教委は「有力者の住居か集会所のような建物で、集落の中心的な施設」と推測している。
国営ほ場整備事業に伴い、5月から調査を始めた。六角形の住居跡は対角線の長さが7・8−8メートル、一辺が4−5メートルで、広さ約50平方メートル。平地から約50メートルの高さの丘陵斜面にあり、当時主流の水田耕作を中心とする生活には不向きだった。
弥生時代後期は魏志倭人伝などに記された「倭国大乱」の時期にあたることから、府教委は「防御性の高い土地に住むことを強いられた状況がうかがえる」としている。
屋内の一段高い部分で、かめやつぼなど土器が15点見つかり、炭化した米粒も散在。家を移る際にわざと残したとみられ、府教委は「攻められたか、洪水に遭ったか、まじないか。土器類が残された理由から、この時期の社会や風習を知る手がかりになる」という。
亀岡市教委も同日、同遺跡で古墳時代中期(5世紀前半)の竪穴住居跡3棟分が見つかったと発表した。最大の住居跡が約7メートル四方。約500メートル西に、地域の支配者の墓などとして5世紀後半から築かれた時塚古墳群(同市馬路町)があり、市教委は「古墳の造営と周辺集落の関係を知る上で貴重な成果」としている。
現地説明会は府教委が21日午前10時から、市教委が同日午前11時から。
問い合わせは府教委Tel:075(414)5903、市教委Tel:0771(25)5054。
2007/07/20 18:29
京 都
比曽寺跡
大淀・比曽寺跡で出土 瓦文様西大寺と一致
大淀町の国史跡・比曽寺跡で出土した鎌倉後期〜南北朝期(13世紀末〜14世紀前半)の瓦の文様が、高僧・叡尊(えいそん)によって再興された西大寺(奈良市)で使われた瓦と同じだったことが、町教委の発掘調査でわかった。比曽寺も叡尊が再興したとされ、当時の寺格の高さを裏付ける発見となる。
回廊の床面部分から多数の瓦片に混じり、「蓮華(れんげ)唐草文」の入った、ほぼ半分に割れた軒平瓦片(縦約6センチ、横約15センチ、奥行き約15センチ)が1点、見つかった。
寺伝などによると、同寺は聖徳太子の建立とされ、奈良時代には著名な僧の修行の場となっていた。
2007/07/19 17:49
奈 良
東大寺境内
南大門の木材を加工-鎌倉復興期の作業場
奈良市水門町の東大寺境内から、勧進僧の重源(1121―1206年)が行った鎌倉復興(12世紀後半―13世紀初)の木材加工作業場跡とみられる遺構が見つかった。南大門から北西約50メートルと近く、同門再建の作業場だった可能性が強い。当時の木材加工作業場の出土は初めて。
県立橿原考古学研究所が昨年8月から10月まで、旧東大寺学園校内約430平方メートルを調査。平安時代末から鎌倉時代前期の井戸2基、掘立柱建物1棟や塀17条の柱穴列などが出土した。
井戸はいずれも深さ約2メートル、上層が直径約2メートルの円形で、下層が1辺1メートルの方形。奈良時代の瓦を大量投棄したあと、鎌倉時代の土釜7個などとともに一気に埋められていた。
2007/07/18 18:17
奈 良
高松塚古墳
床の土から顔料や金箔
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)石室の床で赤や青、緑の顔料片と、木棺に張ったとみられる金箔など遺物計約100点が見つかり、文化庁が13日、発表した。
顔料片は、いずれも直径1ミリ以下で約40点。壁画からはがれ落ちたか、描く際にこぼれたとみられる。
金箔は35点を確認した。ほかに木棺の破片もあり、顔料の朱が付着した黒い漆膜(長さ2・8センチ、幅1・2センチ)が残っていた。
石室解体で天井や壁の石を取り外し、床を詳細に調査。盗掘穴から流入、部分的に薄く堆積した土の中で遺物を見つけた。顔料は1972年に壁画を発見した時の調査でも数点見つかっている。
床石の表面に塗ったしっくいは、直径0・5−1・5センチの黒い斑点が多数あり、内部がペースト状に劣化していることも判明。調査を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「微生物の被害かもしれない。予想外に深刻な状態」と話した。
2007/07/14 16:27
奈 良
長岡京
土師器が完形のまま出土
長岡京の古墳時代末期遺跡
京都府長岡京市今里の市道建設予定地で行われていた発掘調査で、このほど、元の形を完全にとどめた土師(はじ)器が見つかった。土中に埋もれているうちに土の圧力で割れることも多いだけに、長岡京市埋蔵文化財センターの職員らは「何に使ったのか想像が膨らんで楽しい」と話題にしている。
古墳時代末期の6世紀後半から7世紀ごろの遺跡で、今年3月から4月にかけて調査が行われた。見つかった土師器は、高さ約16センチで開口部の直径は約12センチ。土石流に押し流されてきた可能性があるといい、センター職員の原秀樹さんは「数カ所にひびが入っただけの状態で見つかって幸運」と喜ぶ。
普段は目にする機会の少ない土器の底部もきれいに残っており、丸みを帯びた形がよく分かる。火に掛けた焦げ跡もなく水気のあるものの保存にも不向きなことから、原さんは「そのままでは据わりが悪いので、土の中に埋めて木の実や米などの保存食を入れていたのかも」と想像する。また出来の良くない部分もあり、「ベテラン職人が作ったとは思えない」と笑う。
土器は、同市奥海印寺の同センターTEL(955)3622に申し込めば見学できる。
2007/07/13 17:50
京 都
大型草食恐竜
大型草食恐竜の前脚化石
国内最大級、福井で発見
福井県立恐竜博物館は11日、同県勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、大型草食恐竜とみられる前脚の骨の化石を見つけたと発表した。
ブラキオサウルスなどに代表される「竜脚類」の骨に似ており、前脚部分では国内最大級とされる。
恐竜博物館によると、化石は前脚の上腕骨と呼ばれる部分で、まだ岩石にはまったままの状態。長さ約90センチ、幅約25センチと推定される。
今月4日に発掘作業の事前調査の段階で、岩石から骨の化石が露出しているのを博物館の柴田正輝技師が発見。14日から本格的な発掘作業が始まり、骨の輪郭をはっきりさせ、鑑定作業を進める。これまでの発掘では周辺で竜脚類の歯の化石が多数見つかっている。
発見者の柴田技師は「大きな骨の化石で、見つけた時は感動した」と話した。
2007/07/12 16:31
其 他
大型草食恐竜
大型草食恐竜の前脚化石
国内最大級、福井で発見
福井県立恐竜博物館は11日、同県勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、大型草食恐竜とみられる前脚の骨の化石を見つけたと発表した。
ブラキオサウルスなどに代表される「竜脚類」の骨に似ており、前脚部分では国内最大級とされる。
恐竜博物館によると、化石は前脚の上腕骨と呼ばれる部分で、まだ岩石にはまったままの状態。長さ約90センチ、幅約25センチと推定される。
今月4日に発掘作業の事前調査の段階で、岩石から骨の化石が露出しているのを博物館の柴田正輝技師が発見。14日から本格的な発掘作業が始まり、骨の輪郭をはっきりさせ、鑑定作業を進める。これまでの発掘では周辺で竜脚類の歯の化石が多数見つかっている。
発見者の柴田技師は「大きな骨の化石で、見つけた時は感動した」と話した。
2007/07/12 16:31
残 骸
高松塚壁画
国民が見られるように
高松塚壁画で文化庁長官
文化庁の青木保長官は11日、石室解体が進む奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)を視察。記者会見し、国宝壁画の保存法について「どういう形になるか分からないが、国民が直接見られるようにするのが良いのではないか」と述べた。
文化庁は修復した壁画と石を古墳に戻す方針だが「すぐに戻すのは難しい。保存科学などの分析を踏まえて最良の方法をとるべきだ」とした。
青木長官はこの日、高松塚近くにある修復施設で、石室から運び出した壁画を見学。担当者から壁画やしっくいの状況の説明を受けた。その後、墳丘で床石だけ残った石室を視察した。
キトラ古墳(明日香村)の石室も見学。しっくいが細かくひび割れ、はぎ取り作業が難航している石室天井の天文図について「取り扱いが難しいが、最善を尽くす」と語った。
2007/07/12 16:29
奈 良
キトラ古墳石室
天井しっくい粉状や粒状に
◆文化庁/小片ではぎ取りも想定
劣化が進むキトラ古墳(明日香村、7世紀末〜8世紀初め)の石室天井で、初めてはぎ取られたしっくいが非常にもろくなっていることが分かった。粘着力が弱まって粉状になり、場所によっては粒状にひび割れ、一体的に取り外すのは困難な状態だ。文化庁は今後、ミリ単位の小片で取り外す事態も想定し、はぎ取ったしっくい片の正確な位置情報を把握する方法を検討していく。
天井のしっくいを初めてはぎ取ったのは5日。無地部分(東西32センチ、南北15センチ)を、南壁の朱雀図(縦15センチ、横40センチ)のはぎ取りで威力を発揮したダイヤモンドワイヤ・ソー(電動糸のこ装置)で切り取った。ほぼ同じ面積のはぎ取りだが、朱雀が1時間かかったのに対し、天井はわずか1分で終わった。
理由は、しっくいの劣化だ。ワイヤ・ソーはしっくいと石材の間に鉄線(直径0・3ミリ)を高速に走らせてしっくいを切り取るが、朱雀の時はしっくいの粘着力で鉄線がU字形にたわんだ。しかし今回は、「ソーがバサーッと一気に進んでしまった。石としっくいの間は粉状になっていて、とても脆弱だった」と東京文化財研究所保存修復科学センターの川野辺渉・副センター長は言う。
一方、6日にはぎ取った天文図の北北西側のしっくい(東西13ミリ、南北7ミリ)は、厚さは1ミリもない。「細かくひび割れ、透き間だらけ。スカスカだった」(川野辺氏)という。
周囲のしっくいも小さな粒状になっており、一体的に取り外すのは難しい。はぎ取ったしっくいが数ミリ単位の細かい小片になり、天井のどの位置にあったか分からなくなる事態も出てきた。
このため、文化庁は、1〜2カ月かけて、しっくいを保管する透明な容器の底に天井の同寸の写真を張って、はぎ取ったらすぐに配置するようにするなど、正確な位置を確認しながら保管する方法を検討するという。天井のはぎ取りは今秋をめどに再開させる予定だ。
2007/07/11 18:45
奈 良
恐竜博物館
恐竜の骨化石見つかる 大型の草食恐竜か 福井
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)は11日、北陸一帯に分布する白亜紀前期の地層「手取層群」上部の「北谷層」(約1億2000万年前、同市北谷町杉山)から恐竜の骨化石1点が見つかった、と発表した。形状から、大型草食恐竜の前脚の上腕骨の一部とみられるという。14日から本格的な化石発掘調査に入り、他の部位などの発見をめざす。
骨化石は4日に、直径約2メートルの岩石の表面から見つかった。一部が長さ約20センチ、幅約25センチにわたり露出しており、同館は、岩石内の部分も含め全体の長さは約90センチと推定している。恐竜の上腕骨としては、96年に三重県鳥羽市で発見された草食恐竜の骨化石(長さ約1.15メートル)が国内最大級とされ、これに次ぐ大きさの可能性があるという。
長い首や尾を持つ草食性で四足歩行の竜脚類の一種と考えられるという。同館の柴田正輝研究員は「北谷層からは過去にも竜脚類の歯の化石約20点が見つかっている。今回、大きな骨化石が見つかったことで、他の部位の発見などに向けて可能性が広がった」と話している。発見された骨化石は8月の1カ月間、同館で一般公開する。
2007/07/11 18:36
残 骸
恐竜博物館
恐竜の骨化石見つかる 大型の草食恐竜か 福井
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)は11日、北陸一帯に分布する白亜紀前期の地層「手取層群」上部の「北谷層」(約1億2000万年前、同市北谷町杉山)から恐竜の骨化石1点が見つかった、と発表した。形状から、大型草食恐竜の前脚の上腕骨の一部とみられるという。14日から本格的な化石発掘調査に入り、他の部位などの発見をめざす。
骨化石は4日に、直径約2メートルの岩石の表面から見つかった。一部が長さ約20センチ、幅約25センチにわたり露出しており、同館は、岩石内の部分も含め全体の長さは約90センチと推定している。恐竜の上腕骨としては、96年に三重県鳥羽市で発見された草食恐竜の骨化石(長さ約1.15メートル)が国内最大級とされ、これに次ぐ大きさの可能性があるという。
長い首や尾を持つ草食性で四足歩行の竜脚類の一種と考えられるという。同館の柴田正輝研究員は「北谷層からは過去にも竜脚類の歯の化石約20点が見つかっている。今回、大きな骨化石が見つかったことで、他の部位の発見などに向けて可能性が広がった」と話している。発見された骨化石は8月の1カ月間、同館で一般公開する。
2007/07/11 18:36
其 他
海獣葡萄鏡
東大寺・海獣葡萄鏡と天理や愛知で出土の鏡、同一工房で製作か
東大寺の法華堂(8世紀中ごろ)に伝わる中型の「海獣葡萄(かいじゅうぶどう)鏡」と、天理市内の火葬墓や愛知県豊川市の古墳で出土した鏡が、錫(すず)をほとんど含まない共通した特徴を持ち、国内の同じ工房で作られた可能性が高いことが、奈良文化財研究所飛鳥資料館の成分分析で確認された。法華堂の鏡は、同寺の前身寺院に付属する工房で製作されたとも推定されており、当時の鏡の流通状況もうかがえるという。
法華堂の海獣葡萄鏡は、直径約13.5センチ、厚さ約1.2センチで、海獣や葡萄唐草、鳥の文様が浮き彫りされている。もとは、法華堂の仏像上を装飾する覆い「天蓋(てんがい)」に装着されていたという。
一方、天理市のクレタカ山火葬墓から出土した鏡や、豊川市の森月1号墳で見つかった鏡も文様が似ており、国内産とみられていたが、これまで科学分析は行われていなかった。
同資料館が成分分析ししたところ、法華堂の鏡は銅約87%、ヒ素約5%、鉛約6%で、錫はほとんど含まれていなかった。天理と豊川の2面も、一般的な国内産のものより錫は少なかった。こうした組成から、3面は国内の同じ工房で作られたらしいことが裏付けられたという。
同資料館の杉山洋・学芸室長は「3面は、特徴的な組成からまとめて考えることができ、興味深い。現在の法華堂周辺で作られたものだとすると、当時の流通面についてもうかがえる」と話している。
2007/07/10 18:10
奈 良
キトラ古墳
天文図一部剥ぎ取る-漆喰表面垂れ下がり
明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初)の壁画保存修復で、文化庁は6日、天井天文図の外規朱線の一部を剥(は)ぎ取った。天文図の漆喰(しっくい)の剥ぎ取りは初めて。
外軌は天文図の外側に描かれた円。剥ぎ取った漆喰は縦約0.7センチ、横約1.5センチ、厚さ1ミリ以下。天文図北西の外規上で長さ約1センチ、幅約1ミリの朱線を含む。表面が反り返り、垂れ下がった状態になっていた。壁画修理技術者3人が樹脂を含ませた紙で表打ちしたあと、ヘラなどで剥ぎ取った。
2007/07/09 17:11
奈 良
高松塚
水平度測る知恵判明-床石周囲に柱穴
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は6日、床石の周囲で、水平度を測るために用いたとみられる柱の穴が計九個見つかった、と発表した。水槽の水で水平度を測って柱の間に細縄を張り、床石を加工したという。古代の水準測量技術が遺構として確認されたのは初めて。
柱穴は床石上面と同じ面で、東西に各4個、北に1個確認。直径は約7―8センチ。東西の穴は左右対称。北の穴も昭和49年の調査で、現在の保存施設の場所で見つかった穴と南北対称関係にあった。
2007/07/09 17:04
奈 良
西京極遺跡
奈良期、校倉造りの井戸跡が出土
右京・西京極遺跡、役所跡か
京都市右京区清水町の西京極遺跡で8日までに、奈良時代(8世紀後半)の井戸跡が見つかった。同時代の井戸としては珍しい校倉造りで、「南」と書かれた墨書土器も出土し、平安京造営直前の役所に関連する施設の可能性が高い。
昨年12月中旬から2月始めまで、京都市埋蔵文化財研究所が約450平方メートルを調査した。弥生時代の竪穴住居跡が多数見つかっている。
井戸跡は一辺1・1メートルの正方形で深さ約3メートル。正倉院と同じ校倉造りで、丸太の両端にほぞ穴を開け、クギを使わず井げたに組み上げていた。当時の井戸は、板を並べて角材で固定する「方形縦(横)板組み」が一般的で、校倉造りは非常に珍しいという。
井戸の周囲には覆い屋と見られる柱穴があり、北と西にも一辺3−4メートルの掘っ立て柱建物跡が見つかり、井戸の四方を建物が囲んでいたらしい。
墨書土器は直径19センチの皿で、底の裏側に「南」と記されていた。文字より下は失われているが、皿の中心部にあることから一字だけだったとみられる。井戸からは、役所でよく使われた円形の硯(すずり)も見つかった。
調査した柏田有香・調査研究技師は「墨書土器の文字は、使用された場所を示すケースが多く、北側に中心的な建物があったと考えられる。調査地の北西で過去に大規模な掘っ立て柱建物跡が見つかっており、平安京以前の京の中心地だった葛野郡の役所に関連する可能性もある」と話している。
2007/07/09 16:34
京 都
久津川古墳群
6世紀の久津川古墳群探る
山城郷土資料館、7日から企画展
京都府城陽市を中心とする久津川古墳群の古墳時代後期(6世紀)に焦点をあてた企画展「それからの久津川古墳群」が、木津川市山城町の府立山城郷土資料館で7日から始まる。展示されるのは古墳の紹介パネルや出土品約70点。山城地域の支配勢力の移り変わりを探る。8月26日まで。
同古墳群には、山城最大の久津川車塚古墳(前方後円墳、全長280メートル)など古墳時代中期(5世紀)に次々と築かれた大規模な古墳があり、この地域を治めた一大勢力が存在したことを示すとされる。
一方、同後期には中央集権化を図った大和政権による直接支配がこの地域にも及んで、同古墳群の勢力は次第に力を失ったとされ、古墳の規模も小さくなる。企画展では長池古墳や上大谷12号墳(いずれも城陽市)、坊主山1、2号墳(宇治市)を取り上げて築造などの特徴を解説しているほか、刀や玉類、耳に装着した金環や須恵器などの出土品が並ぶ。
同館で展示解説などにあたるボランティア「いずみの会」を対象にした内覧会が6日あり、会員約10人が職員の説明を熱心に聞いていた。
入館料は一般200円、小中学生50円。月曜休館(ただし祝日は開館し翌火曜休館)。問い合わせは同資料館TEL(86)5199。
2007/07/07 21:49
京 都
凍結マンモス
凍結マンモス、ロシアで発見
保存状態は過去最高 日本で検査へ
北極海に近いロシア・西シベリア北部ユリベイ川の近くで、生後約半年の雌と推定されるほぼ無傷の凍結マンモスが見つかった。複数の専門家によると「これまでで最高の保存状態」。
近くのサレハルドで5日に開かれた専門家会合で、組織分析のためマンモスを日本に輸送してCTスキャンの検査を実施する方針が決まった。
ロシア科学アカデミー動物学研究所のアレクセイ・チホノフ副所長らが共同通信に明らかにした。輸送は今年12月以降になる見通しで、東京慈恵会医大の鈴木直樹教授が受け入れ先になるという。オランダに組織の検体を送り、死亡時期を調べる方針も決まった。
副所長はマンモスについて「尾が食いちぎられている以外は損傷がなく、保存状態という点で世界で最も貴重な発見」と説明。CTスキャンで詳細な分析結果が得られると期待されている。
重さは推定50キロ、体長約120センチ。凍結状態で見つかる。
2007/07/07 21:28
外 国
海獣葡萄鏡
高松塚の葡萄鏡中国製
奈文研飛鳥資料館成分分析で裏付け 東大寺所蔵品は国産
奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)は、飛鳥、奈良時代の代表的な銅鏡「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」の成分分析を行い、高松塚古墳(同村)の出土品(重文)は中国製、東大寺法華堂(奈良市)の所蔵品は国産であるとの見解をまとめた。科学的根拠で、従来の説を裏付ける結果となった。
二つの鏡とそれぞれの鏡と原型が同じとみられる同型鏡の計10点を蛍光エックス線分析装置で測定し、元素の含有率を比較した。
その結果、高松塚古墳の鏡の成分は、正倉院(奈良市)に保管される中国鏡などとほぼ同じ比率となる銅71%、錫(すず)22〜24%、鉛3〜4%と判明。中国・西安市で698年に造営された墓の出土鏡と同じ鋳型の中国鏡とする、これまでの見解を後押しする結果となった。
一方、東大寺所蔵の海獣葡萄鏡「東大寺法華堂天蓋(てんがい)鏡」は銅87%、ヒ素5%、鉛6%。ヒ素を含む一方、錫をほとんど含まない特徴が、石上神宮(天理市)など国内で所蔵する伝世品などの同型鏡5点と共通し、国内の同じ工房で作られた可能性が高いとした。
2007/07/06 17:57
奈 良
キトラ天文図
はく落の危険、数十カ所に
極彩色壁画を保存するため、はぎ取りが進む奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末−8世紀初め)で、文化庁は5日、石室天井の中央に描かれた天文図を点検。しっくいが浮き上がるなど数十カ所がはがれ落ちそうになっていることが分かった。
このうち天文図の「赤道」を示す朱線を含む1センチ四方は、緊急処置として6日にはぎ取る。
文化庁によると、はく落の危険がある数十カ所は、ほとんどが3ミリ四方ほどの大きさ。星を表す金箔部分はないという。細かく取り外すと復元が難しくなるため、樹脂で補強するなどしてまとめて取る方法も検討する。
文化庁は5日、天井南寄りの余白部分を長さ32センチ、幅15センチの範囲ではぎ取った。天井のしっくいのはぎ取りは初めて。厚さは厚いところで2ミリ、薄いところは1ミリ以下。微生物被害でしっくいが内側から溶け始めており、表面以外は粉状になっていたという。
2007/07/06 17:25
奈 良
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