古墳・遺跡・化石・現地説明会 他
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2008/10/05 (Sun)
飛鳥京跡
2008/10/02 (Thu)
浄土屋敷遺跡
2008/10/02 (Thu)
向日市埋蔵文化財センター
2008/10/02 (Thu)
金貝遺跡
2008/10/01 (Wed)
エジプト展
2008/10/01 (Wed)
高松塚壁画
2008/09/30 (Tue)
南曽我遺跡
2008/09/30 (Tue)
箸墓古墳
2008/09/28 (Sun)
藤原宮朝堂院跡
2008/09/27 (Sat)
平城宮跡
平城宮跡東院地区
中枢部区画の回廊跡発見
天皇の離宮などが置かれた奈良市法華寺町の平城宮跡東院地区で、中枢部を区画したとみられる奈良時代後半の回廊跡が見つかり、奈良文化財研究所が30日、発表した。回廊内は未調査で、天皇の生活空間だった正殿級の建物が眠る可能性が強まった。
2007/08/31 16:48
奈 良
平城宮跡回廊跡
ベールを脱ぐ東院の謎
謎に包まれた東院地区のベールがまた一つはがされた。国の中心だった平城宮でも、回廊を伴う施設は天皇が住んだ内裏などごく一部。今回の調査で未解明だった中枢部が姿を見せ始めた。回廊より古い大型建物跡も見つかり、特別な場所として変遷を繰り返したことも明らかになった。
見つかったのは回廊の西南隅にあたり、東西、南北とも約27メートルを確認。東西の回廊には建物跡が取り付き、さらに東に延びていた。
中央を柱で区切らない単廊で、礎石のない掘っ立て柱だったことから、桧皮(ひわだ)ぶきか板ぶきとみられる。
周辺には五期にわたる建物跡が集中しており、最も大きい建物跡(奈良時代前半)は東西27メートル、南北12メートル。四方にひさしが張り出す構造で、柱の据え付け穴も1辺約2メートルと内裏正殿に匹敵する。
2007/08/31 16:47
奈 良
石見銀山遺跡
最大の坑道を公開
世界遺産に登録された島根県大田市の石見銀山遺跡で31日、600以上ある坑道のうち最大の「大久保間歩」が、登録後初めて市民に公開された。
地元の人ら20人余りが、入り口から約150メートル奥へ。深さ約25メートルの縦坑や、岩盤を削った生々しいのみ跡を間近に見て、大田市出身で千葉県習志野市の坂本忠氏さん(69)は「思ったより広くて、よくこんなに掘ったもんだとびっくりした」と話した。
大久保間歩は坑道の高さ2−5メートル、幅2−3メートル。初代石見銀山奉行大久保長安(1545−1613年)にちなんで名付けられ、江戸時代初期から明治まで採掘した。
これまで県の主催で年数回、探索ツアーを開くだけだったが、大田市が新しい見学ルートの目玉にするため、照明器具を付けるなど安全対策をし、来年4月から予約した参加者のツアー形式で一般公開する予定。
2007/08/31 16:33
其 他
石見銀山遺跡
最大の坑道を公開
世界遺産に登録された島根県大田市の石見銀山遺跡で31日、600以上ある坑道のうち最大の「大久保間歩」が、登録後初めて市民に公開された。
地元の人ら20人余りが、入り口から約150メートル奥へ。深さ約25メートルの縦坑や、岩盤を削った生々しいのみ跡を間近に見て、大田市出身で千葉県習志野市の坂本忠氏さん(69)は「思ったより広くて、よくこんなに掘ったもんだとびっくりした」と話した。
大久保間歩は坑道の高さ2−5メートル、幅2−3メートル。初代石見銀山奉行大久保長安(1545−1613年)にちなんで名付けられ、江戸時代初期から明治まで採掘した。
これまで県の主催で年数回、探索ツアーを開くだけだったが、大田市が新しい見学ルートの目玉にするため、照明器具を付けるなど安全対策をし、来年4月から予約した参加者のツアー形式で一般公開する予定。
2007/08/31 16:33
残 骸
中畑・古里遺跡
鎌倉後期の大規模溝跡が見つかる
野洲、中畑・古里遺跡
滋賀県野洲市教委は30日、同市行畑の弥生時代から室町時代の複合集落跡「中畑・古里遺跡」で鎌倉後期(13世紀後半)に掘られた幅3−4メートルの大規模な溝跡が見つかったと発表した。集落を囲う溝跡で、生活用水路や防御に使われたとみられ、「集落の形成過程を示す遺構」としている。
市の土地区画整理事業に伴い、約910平方メートルを調査した。溝跡は遺跡中央部に位置し、南北50メートル、東西50メートルのL字型で、深さ1−1・7メートル。溝から13世紀後半の黒色土器が見つかった。
これまでの調査で、周辺に掘っ立て柱建物など13世紀前半に焼けたとみられる4棟の住居跡が確認されており、市文化財保護課は、新しい集落をつくるために周囲にめぐらせた溝とみている。
溝跡から明治時代以降の木製の水利施設「川端(かばた)」の遺構や昭和初期の牛乳瓶も見つかり、溝は鎌倉後期から埋められた昭和40年代ごろまで約600年間、活用されていたと推測している。
現地説明会は1日午後1時半から。
問い合わせは同課Tel:077(589)6436。
2007/08/31 16:26
滋 賀
法隆寺境内
創建時の講堂飾る?
法隆寺で最大の鴟尾片
奈良県斑鳩町の法隆寺境内で、飛鳥時代中期(7世紀前半)とみられる鴟尾の破片が見つかり、奈良県教育委員会が28日、発表した。
聖徳太子が607年、創建した当時の建物遺構とされる若草伽藍跡の北東部。鴟尾で屋根を飾るのは主要な建物に限られ、県教委は「講堂などに乗せていた可能性が高い」としている。
若草伽藍跡はこれまでに、7つの鴟尾の破片がいくつか見つかっているが、どれとも違い、破片として最大という。
破片は縦30・5センチ、横28・6センチ、厚さ約3センチで、反り返った魚のような鴟尾の最頂部に近い部分。鴟尾は高さ1・3メートル程度と推定、一緒に出土した軒丸瓦から、7世紀前半と判断した。
文様を削り出す手法から、百済の工人が制作にあたった飛鳥寺の鴟尾と同系統と考えられ、飛鳥寺の鴟尾よりやや厚みがあるという。
2007/08/29 17:17
奈 良
シルクロード
シルクロードの調査成果を紹介 橿考研が特別陳列
中国やシリアなどシルクロード沿いの遺跡を発掘している県立橿原考古学研究所の調査成果を紹介する秋季特別陳列「シルクロードを行く」が、橿原市畝傍町の同研究所付属博物館で開かれている。ウズベキスタンの遺跡で出土した女神像など、日本への持ち込みが困難な現地の出土遺物をはじめ、遺跡の写真パネルなど約200点を展示。東西文化を結ぶシルクロードの魅力を伝えている。9月24日まで。
同研究所は、昭和63年に県内で開かれた奈良・シルクロード博覧会をきっかけに、平成2年からシルクロード西端に近い中東・シリアのパルミラ遺跡を調査。中国四川省などの仏教遺跡や城壁調査も手がけ、17年からは仏教の西方への伝播を探るためイランで調査を行っている。
海外の発掘調査では、出土遺物の国外への持ち出しは禁止されているが、今回は科学分析などのため、ウズベキスタンのダルヴェルジン・テパ遺跡から特別に日本に持ち込まれた出土品13点を公開。女神像には漆喰(しっくい)の上に黒や青の彩色が施されていたことが分かり、同研究所で詳しく分析している。
会場では、シルクロード沿いの5遺跡の写真パネルや、パルミラ遺跡の地下墓(紀元2世紀初め)で見つかった男性像を表現した石製レリーフのレプリカなども展示。
9月9日には講演会があり、樋口隆康所長と前園実知雄・奈良芸術短大教授がシルクロードの魅力を解説。23日は各遺跡の調査成果について担当者が説明する。いずれも午後1時から同研究所講堂で行われ、受講無料。
特別陳列の観覧料は大人400円、高校・大学生300円、小・中学生200円。休館日は9月17、24日を除く毎週月曜と18日。問い合わせは同館((電)0744・24・1185)。
2007/08/28 16:34
外 国
藤ノ木古墳
奈良芸短大など 藤ノ木古墳の副葬品「玉鬘」の復元作業公開
金銅製冠など豪華な副葬品の出土で知られる藤ノ木古墳(斑鳩町)で、ガラス玉を連ねた被葬者の装身具「玉鬘(たまかづら)」について、県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町)と奈良芸術短大(同市久米町)などが27日、復元作業を公開した。今週中の完成予定で、10月に開かれる博物館の特別展で公開される。
藤ノ木古墳は昭和63年、同研究所などが石棺内を調査し、玉鬘を発見。被葬者の後頭部から背中を覆っていたと推測されている。玉鬘は平成元年に同博物館が復元したが、その後の科学分析で、ガラス玉が絹で覆われていたことが判明し、再び復元することになった。
同短大では4月から学生たちが作業を始め、緑や赤色のガラス玉(直径3ミリ)約1万2000個、青や黄色のガラス玉(同6ミリ)約4000個を糸に通して、長さ80センチ、幅20センチの装身具に復元。作業は最終段階に入り、この日はガラス玉を覆う絹のほつれを取り除くなどの作業を行った。数日中に金属製の飾り金具なども装着して仕上げる。
2007/08/28 16:32
奈 良
源内峠遺跡
大津市瀬田南大萱町の源内峠遺跡から出土した七世紀後半の製鉄炉跡を復元する作業が二十二日、大詰めを迎えた。復元に取り組んで約一年半。遺跡に隣接する広場で、粘土製の復元炉をたき火で焼き固め、ほぼ完成した。
源内峠遺跡では一九九七年に四基の製鉄炉跡が確認された。粘土で出来ており、長さ三メートル、高さ一メートルのだ円形。中央部分に空けた穴に鉄鉱石を入れ、周囲から焼いて製鉄したとみられる。
二〇〇五年に国の史跡に指定されたことを記念し、地元の歴史愛好家が中心となって復元企画委員会を組織。県文化財保護課の協力を得て、〇六年三月から作業を進めてきた。六月には、わらを混ぜた粘土で、長さ三メートル、高さ五十センチのだ円形の炉を作成した。
この日は粘土製の炉に、薪を積み重ねて約六時間焼き、粘土を固めた。企画委メンバーや県職員ら五十人が汗だくになりながら、火加減を調整した。十月に開かれる記念式典でお披露目される。
企画委員会の松田文男代表(67)は「地元住民の力で完成した。式典には親子で来てもらい、子どもたちに遺跡に興味を持ってもらいたい」と復元炉を見つめていた。
2007/08/23 18:03
滋 賀
彦根城跡
江戸前期の建物跡発見
築城直後の城下町知る
彦根市金亀町の特別史跡彦根城跡で、築城まもない江戸時代前期の城下町の建物の礎石や土器などが見つかったと22日、県教委が発表した。彦根城下では、同時期の建物跡はほとんど見つかっておらず、調査にあたった県文化財保護協会は「築城直後の彦根城下の様相を知るうえで貴重な事例」としている。
見つかったのは城跡にある県立彦根東高校内。耐震改修工事に伴い、4月から校内の一部約3千平方メートルを調査している。
同協会によると、建物を支える礎石は直径40センチの1基を発見。ほかに礎石が抜き取られた痕跡が6基見つかり、直線上に並んでいることから1軒の屋敷の可能性が高いという。屋敷の広さは南北に14メートル以上、東西に16メートルほどとみられる。
また、江戸後期の2棟の建物跡が見つかった。天保7(1836)年の「御城下惣絵図」から、彦根藩の重臣、戸塚家の屋敷の一部と推定される。苦しい藩財政を克服する振興策として奨励していた特産品「湖東焼」の破片も、100点以上出土した。
現地説明会は25日午前11時、午後1時半の2回開かれる。
問い合わせは同協会(077・548・9780)へ。
2007/08/23 17:51
滋 賀
横山城遺跡
郭跡から鉄製「小札」1枚
長浜・横山城遺跡 戦国甲冑の一部
滋賀県長浜市東部の横山城遺跡を調査している長浜市教委は22日、郭(くるわ)跡から戦国時代の甲冑(かっちゅう)の一部とみられる鉄製の「小札(こざね)」1枚が見つかった、と発表した。
市教委は「武具の出土は初めてで、貴重な資料」としている。
小札は郭内の溝跡の底部で見つかった。ほぼ完全な形で、大きさは縦6・7センチ、横2・6センチ、厚さ0・2センチ。小札同士をひもなどで結びつけるため、小穴が2列に並んでいる。小札は甲冑の防御力を高めるために表面に1000枚単位で装着されるもので、出土した小札は胴体部分の一部と推定される。
同じ溝跡から16世紀後半の土師器(はじき)が見つかっており、小札も室町時代末から桃山時代にかけて使われたとみている。県内では、小谷城跡(湖北町)などに次いで3例目の出土。
横山城は、姉川の合戦(1570年)で浅井・朝倉軍を破った織田信長軍が、小谷城攻めの際に本陣を置いた城として知られる。城番を任された秀吉と浅井氏の戦いの舞台ともなり、賤ケ岳の合戦後に廃城となった。
日本の甲冑に詳しい宮崎隆旨・奈良県立美術館長は「通常は札頭が片山形になっているが、一文字に切られているのが特異だ。出土地から戦国時代の包胴用だった可能性が高い」と話している。
小札は、8月末まで長浜城歴史博物館(同市公園町)で展示している。
2007/08/23 17:27
滋 賀
元岡遺跡
ヒョウタン形の弥生式土器 福岡で出土、祭祀用か
福岡市教育委員会は22日、福岡市西区の元岡遺跡から、ヒョウタンのような形をした弥生時代中期後半(1世紀ごろ)の弥生式土器が見つかったと発表した。
市教委によると、ヒョウタン形の弥生式土器は福岡市と長崎県壱岐市で過去に計6例出土しているが、いずれも頭部の破片のみ。全体像が復元できたのは初めてという。表面を磨いて赤い顔料を塗っていることなどから、祭祀用の土器とみられる。
土器は高さ約31・1センチ。胴部からすぼまりながら上にのびて、頭部が小さく膨らんでいる。ほぼ球形の胴部の直径は約22センチで、胴部の真ん中に直径約7・2センチの円形の穴がある。
福岡市埋蔵文化財センターで25日から9月9日まで展示予定。市の担当者は「用途が分からないこの『謎の土器』の使い道を想像してほしい」と話している。
2007/08/23 17:26
残 骸
元岡遺跡
ヒョウタン形の弥生式土器 福岡で出土、祭祀用か
福岡市教育委員会は22日、福岡市西区の元岡遺跡から、ヒョウタンのような形をした弥生時代中期後半(1世紀ごろ)の弥生式土器が見つかったと発表した。
市教委によると、ヒョウタン形の弥生式土器は福岡市と長崎県壱岐市で過去に計6例出土しているが、いずれも頭部の破片のみ。全体像が復元できたのは初めてという。表面を磨いて赤い顔料を塗っていることなどから、祭祀用の土器とみられる。
土器は高さ約31・1センチ。胴部からすぼまりながら上にのびて、頭部が小さく膨らんでいる。ほぼ球形の胴部の直径は約22センチで、胴部の真ん中に直径約7・2センチの円形の穴がある。
福岡市埋蔵文化財センターで25日から9月9日まで展示予定。市の担当者は「用途が分からないこの『謎の土器』の使い道を想像してほしい」と話している。
2007/08/23 17:26
其 他
石室解体完了
発掘から35年、夢の跡-石室の解体完了 高松塚
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業で、文化庁は21日、石室に残っていた南端と南から2枚目の床石を取り上げた。石室を構成する16枚の石材がすべて取り上げられ、4月に始まった石室解体作業が終了した。
取り上げられた南端石は長さ約90センチ、幅約160センチ、厚さ約50センチ、重さ約1140キロ。また、南から2枚目の石は長さ約89センチ、幅約162センチ、厚さ約48センチ、重さ約1000キロ。
作業は午前8時30分から朝礼のあと、南端石から開始。「Π(パイ)」型固定具で南へ数センチ動かしたあと、ゆっくりと吊(つ)り上げられた。石材の崩落を防ぐために南北方向にベルト2本を巻き、レールクレーンで断熱覆屋の外へ移動。底部に残っている土を高圧放水などで除去して、特殊装備トラックの荷台に積み込まれた。
2007/08/22 16:41
奈 良
杉の古木
甲賀で出土、飛鳥の古木の正体探る
25日に現地説明会
滋賀県甲賀市甲南町新治で出土し、飛鳥時代に伐採されたと分かった加工跡の残る杉の古木について、同市教委は25日に歴史講演会「出土木から甲賀杣(そま)の歴史を考える」と現地説明会を開催する。「出土木に秘められた古代甲賀の歴史を探りたい」と多くの参加を呼びかけている。
おのやくさびによる加工跡の残る古木は、2006年10月までに3本見つかり、住民らが保存。その後の調査で1本が664年秋の伐採と判明するなど飛鳥時代の木と分かった。古代の甲賀には木材供給地「甲賀杣」があったとされ、その歴史がうかがえる初の現物資料となった。
歴史講演会は午後1時半から、同市甲南町竜法師の「忍(しのび)の里プララ」隣の甲南公民館で開き、古木の年代測定をした奈良文化財研究所(奈良市)の光谷拓実年代学研究室長が「年輪から埋れ木の正体に迫る」と題して話す。
さらに滋賀県文化財保護協会の横田洋三技術主任が「古代の木材の使い方」、県教委文化財保護課の細川修平主任が「甲賀臣と甲賀杣」のテーマでそれぞれ話す。
また、
同日午前10時半からは同市甲南町新治の新治草の根ハウスで現地説明会を開催する。
総合地球環境学研究所(京都市北区)の村上由美子研究員が「楔(くさび)を使う古代の製材技術」のテーマで講演し、くさびを使った製材法の実演もある。
いずれも入場無料。歴史講演会は定員先着100人。
問い合わせは甲賀市教委歴史文化財課TEL0748(86)8026。
2007/08/21 18:51
滋 賀
金箔瓦
豪華、安土桃山の片りん
上京で金箔瓦大量出土
安土桃山時代の大名屋敷の屋根を飾ったとみられる金箔(きんぱく)瓦が、京都市上京区中立売通室町西入ルの発掘調査で大量に出土した。
瓦は井戸跡(直径1メートル、深さ2メートル)から600点余り出土した。ほかに遺物や土はほとんどなく、瓦だけがびっしり詰まっていた。
金箔瓦は軒瓦や屋根の上の部分を飾ったとみられる飾り瓦があった。ヘビか竜の尾を絡ませたような図柄に、きらびやかな金箔が良好に残っていた。鬼瓦は目や角、口などが明瞭(めいりょう)に残り、恐ろしげな形相を見せている。
調査地は内裏と聚楽第(じゅらくだい)を結ぶ正親町小路沿い。市文化財保護課は「天皇の行幸路にあたり、1588年の聚楽第行幸に合わせてきらびやかに飾ったのだろう。1595年の聚楽第破却で、大名屋敷も一気に壊されたのかもしれない」と話している。
マンション建設に伴い、2月下旬から民間調査会社が460平方メートルを調査した。
2007/08/21 18:49
京 都
石室解体終了
高松塚の石室解体終了
壁画修復には10年
極彩色の国宝壁画を修復、保存するため、奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で進んだ石室解体は21日、最後の床石2枚を修復施設へ運び、すべての作業を終えた。カビなどで劣化した壁画は10年かけて修復される。
この日取り外したのは南端の床石と、北から2枚目の床石。午後3時ごろから、トラックで施設に運んだ。
高松塚の石室解体は4月に始まり、計16枚の石をすべて外した。このうち壁と天井の石計9枚に「飛鳥美人」と称される女子群像や男子群像、四神図の「玄武」、天文図などの壁画が描かれている。
絵がない床石4枚の取り外しは20日から再開していた。
2007/08/21 18:44
奈 良
高松塚古墳
きょうから床石取り上げ
明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末から8世紀初)の石室解体作業で、文化庁はきょう20日から、石室に残った床石4枚の取り上げ作業を始める。作業は数日かかる見込みで、16枚あったすべての石材の取り上げが終了する。
作業はこれまで取り上げられた壁石や天井石と同様に、特殊な石材固定具を使ってレールクレーンでつり上げ、金属製フレームで梱包(こんぽう)。振動を抑える特殊装備のトラックで古墳から約1キロ離れた壁画修理施設に搬送される。
2007/08/20 16:45
奈 良
草津歴史資料コレクション展
草津市役所で歴史資料コレクション展
出土した遺物など100点
草津市内の埋蔵文化財や同市に関係する浮世絵などを紹介する「草津歴史資料コレクション展」が、同市草津3丁目の市役所内で開かれている。縄文時代の石器や奈良時代の軒丸瓦など、古くから草津で人の営みがあったことを伝えている。
市教委が主催。同市の発掘調査で出土した遺物や郷土史家の故中神良太氏が収集した浮世絵など約100点を展示している。
展示では、同市野路町の遺跡で発掘され、製鉄所があったと考えられる鉄鉱石や草津名物「姥ケ餅(うばがもち)」をのせた餅皿のほか、江戸後期に活躍した同市出身の文人画家らの屏風(びょうぶ)などがある。期間中、浮世絵刷り体験や夏休み宿題相談会も随時、開いている。29日まで。無料。
2007/08/20 16:39
滋 賀
関津遺跡
県内初角錐状石器が出土
県文化財保護協会は、大津市関津の関津遺跡から、後期旧石器時代(約2万〜1万5000年前)の角錐(かくすい)状石器が、県内で初めて出土したと発表した。同協会は「関津遺跡で、後期旧石器時代から現代まで2万年にわたる生活の跡をたどれることがわかった」としている。
石器は、長さ約7センチ、最大幅約1・5センチ、厚さ約0・8センチ、重さ8・4グラム。石材はサヌカイトで、台形になっており、先端は鋭くとがっている。木の棒にくくりつけ、狩猟道具として使ったと考えられる。
これまでに県内で見つかった後期旧石器時代の9点は、縄文時代以降の遺構に混入した状態などで出土している。今回は、縄文時代以降の地層より約70センチ下の層から出土していることなどから、旧石器時代に同遺跡とその周辺で、人が活動していたことが明らかとなった。
松藤和人・同志社大学教授(旧石器考古学)は「後期旧石器時代の地層から出土したことに大きな意義がある。今後の県内での調査に期待したい」と話している。
石器は、19日に県立安土城考古博物館(安土町)で開かれる埋蔵文化財整理調査成果の中間報告会「あの遺跡は今!」で展示される。午後1時と同3時には、調査員の解説もある。問い合わせは同協会(0748・46・4861)。
2007/08/17 17:57
滋 賀
農業用水路跡
室町期、農業用水路に
西堀川小路 平安京の築地と側溝
京都市下京区と右京区の発掘調査で、平安時代には西堀川小路の築地跡や側溝だった南北のラインが、室町後期には農地に水を引く水路として再利用されていたことが15日までに分かった。平安京右京は中期以降荒廃したと言われるが、500年後の農民らが平安京の条坊を意識して、農地を再開発していた可能性が出てきた。
国道9号の拡幅に伴い、市埋蔵文化財研究所が3月下旬から1330平方メートルを調査している。
水路跡は、幅40−80センチの4本が見つかり、約80センチ間隔でくい跡が残り、板で護岸されていたらしい。室町後期から近代まで続いており、若干のずれはあるものの、西堀川小路の築地跡と側溝跡に重なる約3メートルの幅に収まっていた。
一帯は室町後期に農地として再開発されており、なだらかな斜面を平たんにするために、40センチ程度の段差が設けられていた。水路の東端のくい跡は段差とほぼ重なり、さらに、平安時代の築地の中心線とも重なる位置だった。
市埋文研の調査員は「平安中期以降荒れ地になり、室町後期には側溝も埋まっていたとみられるが、まだ認識できる状態で残っていたか、荘園の農地として土地の区画がしっかり管理されていた可能性もあるのではないか」と話している。
2007/08/16 16:58
京 都
平城京跡
平城京跡から唐三彩破片8世紀前半?全国3例目
奈良市西大寺南町の平城京跡で、8世紀前半とみられる中国・唐代の陶器「唐三彩(とうさんさい)」の破片1点が見つかり、市埋蔵文化財調査センターが10日、発表した。色鮮やかな花の文様が張り付けられているものは、全国で3例目の発見という。
同センターが5月から、土地区画整理のため、発掘調査。唐三彩の破片は、平城京を東西に走る一条南大路の側溝で、土器や瓦などと一緒に見つかった。
破片の大きさは、縦5センチ、横7・5センチ、厚さ0・7センチで緑、茶、白で鮮やかに彩色されている。香炉の一部と推定され、文様や素地、製法から唐が最も栄えた8世紀前半ごろに中国・河南省の黄冶(こうや)窯で作られた高級品とみられる。
瓦や土製の仏像と出土し、発掘場所も西大寺の旧境内に隣接していることから、西大寺の所蔵品が壊れて捨てられた可能性もあるとみている。
奈良文化財研究所の巽淳一郎・都城発掘調査部長は「唐三彩は高級品だが、当時の中国では市場で売られており、遣唐使が日本に持ち帰ったか、朝鮮半島などから二次的に輸入された可能性もある」と話している。
唐三彩は、13〜31日まで同センターで展示される。
2007/08/11 17:44
奈 良
夏見城遺跡
国内最古、真鍮製の毛抜き発見
湖南・夏見城遺跡 武将が愛用?
滋賀県湖南市の夏見城遺跡から、室町後期の真鍮(しんちゅう)製の毛抜きが見つかった、と滋賀県文化財保護協会が10日、発表した。精巧な文様が施された完形品で、真鍮製品としては国内最古とみられる。同協会は「美術工芸品として優れ、真鍮が伝えられた時期や使用実態を知る上でも貴重」としている。
毛抜きは、現在でも一般的な撥(ばち)形で、長さ8センチ、はさみ部1・5センチ、重さ15・6グラム。表面に羽を広げたツルと、水生植物のオモダカが彫り込まれている。
夏見城遺跡の北側部分の溝跡から見つけた。同じ溝からは、ほかに15世紀後期から16世紀ごろの遺物である信楽窯産の甕(かめ)や、中国・韓国製の茶わんが出土しており、同時代の製品と判断した。
これまで真鍮製品は17世紀に中国大陸から伝来した合金とされていたが、この発見で16世紀までさかのぼることになった。
オモダカの文様は、葉の形から「勝ち草」と呼ばれ、その意匠が戦国武将に好まれた。また中国産の天目茶碗の破片も出土し、入手しにくい真鍮製品を使っていたことから、県文化財保護協会では「裕福で文化人としての顔を持ったしゃれ者の武将がいたのではないか」と話している。
毛抜きは11日から17日まで大津市の琵琶湖文化館で、19日から9月9日まで安土町の県立安土城考古博物館で展示する。いずれも有料。
2007/08/11 08:41
滋 賀
高松塚古墳
高松塚石室に棺台の痕跡
厳かさ演出、防湿効果も
奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、石室の床石に木棺を載せた棺台の痕跡が見つかり、文化庁が10日、発表した。過去の調査では、高松塚は棺台がなく、金箔を張った木棺を床石の上に直接置いたとみられていた。
発掘を担当する奈良文化財研究所の松村恵司室長は「厳かに見えると考え、棺台を置いたのではないか。木棺の防湿効果もあったのだろう」と話している。
床石全面に塗られたしっくいに厚みの違う所があるほか、石室中央部で長方形に黒く変色した部分を確認。1972年の調査で見つかった木棺の底板よりもひと回り大きいことから、棺台と判断した。
棺台の大きさは、長さ217・5センチ、幅67・5センチと推定、側壁に付いた傷跡から高さは17センチとした。床石にしっくいを粗塗りした後、棺台を置き、周囲にしっくいを丁寧に塗って仕上げたらしい。
2007/08/11 08:40
奈 良
高松塚壁画
「戻すか否か決定を」-日本考古学協会が現地視察
日本考古学協会の高松塚・キトラ古墳問題検討小委員会(委員長、菅谷文則・滋賀県立大学教授)のメンバーらが9日、明日香村平田の高松塚古墳(7世紀末―8世紀初)の石室解体作業現場などを視察した。
委員長の菅谷教授をはじめ、協会副会長の木下正史・東京学芸大学特任教授や佐古和枝・関西外国語大学教授ら5人が参加した。
菅谷教授らは天井石や壁石が取り除かれ床石4枚だけとなった石室を視察。今月下旬に予定される床石取り上げに向けた発掘調査について、調査担当者から説明を受けた。また、古墳近くの壁画修理施設では、これまでに取り上げられた12枚の石材も見学した。
2007/08/10 17:26
奈 良
関津遺跡
「角錐状石器」が出土 旧石器人の活動裏付け
大津市の関津遺跡で、後期旧石器時代の「角錐(すい)状石器」を発見したと、県文化財保護協会が8日発表した。県内では初の出土で、「関津遺跡周辺が旧石器人の活動地域であることを裏付ける資料」としている。
見つかった石器は、サヌカイトの剥片(はくへん)の表側両側部分を剥離させ、先端をとがらしている。長さ7・04センチ、最大幅1・46センチ、厚さ0・75センチ、重さ8・4グラム。遺跡中央部の縄文時代以前の地層から出土した。
関津遺跡近辺ではこれまで、同市石山寺、田上里、月輪などの地域で、旧石器時代のナイフ形石器が、いずれも縄文時代以降の地層から見つかってる。今回、縄文時代以前の地層から角錐状石器が発見されたことで、2万年前から1万5000年前の後期旧石器時代に石器人の関津周辺で活動していたことを裏付けた。また近くに旧石器時代の地層が残っている可能性も高まった、という。
関津遺跡の発掘調査は県が行う国道422号の整備工事に伴い、2005年に行った。
発見された石器は19日に県立安土城考古博物館で開催の整理調査成果報告会「あの遺跡は今!」で展示、午後1時と3時から解説を行う。
2007/08/09 22:25
滋 賀
恐竜博物館
今度は大型恐竜の尺骨化石
福井県勝山市の白亜紀地層
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)は9日、同市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、大型草食恐竜の左前脚の尺骨とみられる化石を発掘したと発表した。
この地層からは7月4日に今回の現場のすぐ近くで、竜脚類の前脚の別部位とみられる化石も見つかっており、東洋一副館長は「2つは同一個体のものの可能性が高い。他にも出れば、種類の特定や全身骨格の復元ができる」と期待している。
今回見つかった化石は長さ約45センチで、幅は最大12センチ。形状などからマメンチサウルスやティタノサウルスといった竜脚類の尺骨と判断された。竜脚類の尺骨化石の発見は国内初という。
同化石は10日から31日まで同博物館で一般公開の後、周囲の岩石から取り出して詳しく鑑定する予定。
2007/08/09 22:24
残 骸
恐竜博物館
今度は大型恐竜の尺骨化石
福井県勝山市の白亜紀地層
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)は9日、同市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から、大型草食恐竜の左前脚の尺骨とみられる化石を発掘したと発表した。
この地層からは7月4日に今回の現場のすぐ近くで、竜脚類の前脚の別部位とみられる化石も見つかっており、東洋一副館長は「2つは同一個体のものの可能性が高い。他にも出れば、種類の特定や全身骨格の復元ができる」と期待している。
今回見つかった化石は長さ約45センチで、幅は最大12センチ。形状などからマメンチサウルスやティタノサウルスといった竜脚類の尺骨と判断された。竜脚類の尺骨化石の発見は国内初という。
同化石は10日から31日まで同博物館で一般公開の後、周囲の岩石から取り出して詳しく鑑定する予定。
2007/08/09 22:24
其 他
人類祖先の化石
2つの人類祖先、同時期に
ケニアで定説覆す化石発見
ケニア北東部で、いずれも約150万年前のものとみられる2種類の人類祖先の化石を発見したと、英米などの国際チームが9日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
2種類のうち一方は猿人と原人の特徴を併せ持つホモハビリス、もう一方は原人ホモエレクトスとみられる。現在、人類はこの200万年の間に、ホモハビリスからホモエレクトスに進化、さらに現代人のホモサピエンスになったと考えられている。今回の発見で、ホモハビリスとホモエレクトスは同時期にほぼ同じ地域で暮らしていたことになり、定説の見直しが迫られるという。
チームは2000年、トゥルカナ湖東岸で上あごと頭骨の化石を発掘。上あごには6本の歯があり、犬歯や臼歯の形状からホモハビリスと判断した。地層の火山灰から144万年前のものとされ、これまで165万年前までとされていたホモハビリスの存在時期を20万年以上更新した。
2007/08/09 22:23
外 国
発掘遺跡速報展
土器や瓦などずらり 桜井で発掘遺跡速報展
桜井市内で昨年度に発掘調査された遺跡を紹介する速報展が、同市芝の市立埋蔵文化財センターで開かれている。古代豪族・阿倍氏の寺とされる安倍寺跡で出土した「寺」と記された土器や瓦など、13遺跡の遺物約300点が並んでいる。
同市には、弥生時代の王国、邪馬台(やまたい)国があったといわれ、遺跡が豊富な地域として知られる。昨年度は市内17遺跡が発掘され、矢塚古墳や東田大塚古墳では周濠(しゅうごう)や土器が出土。全長100メートル前後の最古級の前方後円墳であることが分かり、邪馬台国論争との関連で注目された。
今回は、両古墳出土の土器や発掘状況を示す写真パネルを展示。また、6世紀後半に築造された高田寺谷1号墳(直径13〜15メートル、円墳)から見つかった金属製の耳飾りや土器なども公開されている。
9月30日までで、月・火曜(月曜が祝日の場合は火・水曜)休館。入館料は一般200円、小・中学生100円。今月26日には午後1時半から記念講演会があり、矢塚古墳、東田大塚古墳、安倍寺遺跡の調査担当者が解説する。問い合わせは同センター((電)0744・42・6005)へ。
2007/08/08 18:38
奈 良