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平城宮跡
考古学講座
こども考古学講座
http://www.kashikoken.jp/museum/
開催日時 : 8月 23日 ・8月 24日 10:00〜15:30
催事場 : 1日目奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 2日目橿原市千塚資料館
電話番号: 0744-24-1185
歴史や文化財に興味を持ちはじめる、奈良県在住の小学4年から6年生の児童を対象に体験型の学習講座を開催します。
・ 講義「古代のよろい・かぶとについて」
・ 博物館展示室見学
・ 実習「古墳時代のかぶとを作ろう」
・ 橿原市千塚の遺跡見学
* 必ず、日時を再確認のこと
2008/07/31 20:10
奈 良
塚乞手古墳
塚乞手古墳から木製埴輪出土 滋賀
滋賀県彦根市肥田町の塚乞手古墳(6世紀前半)から鳥形と笠形の木製埴輪(はにわ)が見つかり、県文化財保護協会が発表した。木製埴輪は奈良県を中心に全国で30基余りの古墳から出土しており、県内での出土は9基目。鳥形埴輪は状態が良好で、同協会は「見た目で原型が分かるのは県内で初めて」としている。
塚乞手古墳は地表に痕跡が残っておらず、弥生時代から江戸時代にかけての遺物や遺構が見つかっている肥田城遺跡の発掘調査で平成19年度に発見された。規模や種類は不明。
今回の調査では、土製の円筒埴輪とともに、長さ59センチの木製の鳥形埴輪1点と、直径27センチの笠形埴輪1点が出土した。鳥形埴輪の胴部の上部には翼を装着するためのくぼみがあり、飛翔する鳥をかたどったと推定できる。胴部の中心には支柱を通すための方形の穴があり、その支柱ではないかとみられる木製の棒も見つかっている。
木製埴輪は、5世紀前半ごろの大王墓造営時に考案され、大和から近江に伝播(でんぱ)したと考えられている。県内の過去8例は、湖南地域の古墳7基と米原市の1基から出土しており、湖東地域はこれまで空白だった。
これまで出土した木製埴輪に使われている木材は、2例(愛知県・能田旭古墳のヒノキ、福岡県・釜塚古墳のクリ)を除いて、古墳の木棺などで用いられるコウヤマキばかり。ところが、今回の2点はスギでできていた。同協会の内田保之技師は「コウヤマキを用いるという特性が、伝播の過程で変容したことがうかがえる」と話している。
今回出土した遺物は8月24日、安土町の県立安土城考古博物館で開かれる「あの遺跡は今!Part7−埋蔵文化財整理調査成果中間報告会」のなかで展示、解説される。問い合わせは同協会調査整理課((電)0748・46・4861)。
2008/07/31 17:35
滋 賀
小型肉食恐竜
小型恐竜の上あご化石発見
歯4本残るほぼ完全な形
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)は29日、同市北谷町杉山の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層で昨年8月に発掘された岩石から、小型の肉食恐竜(獣脚類)の上顎骨化石が、歯4本が残った状態で見つかったと発表した。
この岩石からはこれまでに、同一個体とみられる肋骨や足の骨など複数部位が見つかっているが、肉食恐竜の上あごのほぼ完全な形での発見は国内で初めてという。
同博物館は「あごの骨など頭部は特徴がよく分かり、種特定の手掛かりになる。さらに調査を進め、全身骨格の復元を目指したい」としている。
見つかった上顎骨部分は横9・7センチ、縦3・9センチで、歯は最大のもので長さ1・5センチ、幅0・6センチ。これらから推定される恐竜の体長は約2メートルで、二足歩行の羽毛恐竜「ドロマエオサウルス類」とみられる。
2008/07/30 18:52
其 他
巣山古墳
「喪船で航海」古事記記載
◎巣山古墳・木製品復元
広陵町の巣山古墳(4世紀末〜5世紀初め、特別史跡)から出土した全国初の「喪船(も・ふね)」の部材とされる木製品が28日、保存修理を終えて報道陣に公開された。見ていて、「お船入り」という言葉を思い出した。「広辞苑」には「貴人の納棺式」とある。89年に昭和天皇が亡くなった時も、「お舟入り」と呼ばれる儀式が営まれた。内容はずいぶん変わっているだろうが、船にのって黄泉(よ・み)の国へ旅立つという葬送儀礼は、古代から現代まで、脈々と受け継がれているようだ。
喪船は「古事記」の仲哀天皇の段に登場。神功皇后が皇子(後の応神天皇)と九州から大和に帰ろうとした時、皇子の異母兄の忍熊(おし・くまの)王が反旗を翻して待ち伏せする。皇后は「皇子は亡くなった」とうそを言って、用意した喪船にのせる。忍熊王は空船だと思って喪船を攻めたが、皇后側の軍が乗っていて戦いとなり、忍熊王は敗走する。
これを読む限り、喪船といっても普通の船と変わらず、あえて喪船と宣言することで忍熊王を欺いている。外洋航海もできる準構造船とわかった巣山古墳の喪船はこれと同タイプのように思える。発見の当初から準構造船と主張してきた岡林孝作・県立橿原考古学研究所総括研究員は「大阪の舟形埴輪(はに・わ)の準構造船とよく似ており、実用タイプ。喪船として使われたのなら転用したのだろう」と指摘する。
一方、「喪船」にかかわるもう一つの重要史料が中国の「隋書倭国(わ・こく)伝」だ。日本書紀が記していない最初の遣隋使(600年)の記事など、日本の内情も伝えて貴重だ。ここに日本の葬送の風習に触れた項目がある。「貴人の場合、3年間は外で殯(もがり)し、葬儀になると遺体を船上に置き、陸地で引いた。あるいは小さなみこしで行う」とある。
海でも川でもなく、陸上で船に遺体を乗せ、運んでいる。喪船とは書かれていないが、遺体を乗せるから喪船と同じである。当然、船は多数の男たちが直接担ぐか、修羅(しゅ・ら)(木製そり)に載せて引っ張るか、輿(こし)に載せて担ぐかしなければならない。
広陵町文化財保存センター所長でもある河上邦彦・神戸山手大教授はこちらの史料を重視し、修羅を想定している。では、古代豪族の雄、葛城氏の有力者が巣山古墳の被葬者とすると、今の御所、葛城市辺りから喪船を陸路で運んだことになる。船の重さが気になるが、このデータはない。
町教委は木製品の保存処理を続けている。今回は3点だけだが、次は18点の予定だ。喪船の部材だった木製品の資料が増え、喪船の全貌(ぜん・ぼう)が明らかになるのを期待したい。
/////
「喪船」を復元-古代の葬送儀礼解明の鍵 巣山古墳
広陵町三吉の前方後円墳、巣山古墳(特別史跡、4世紀末―5世紀初)の周濠(しゅうごう)から出土した木製品三点から葬送儀礼用の「喪船」を復元し、同町教育委員会が28日、報道陣に公開した。謎が多い古代の葬送儀礼を解明する上で貴重な資料となりそうだ。喪船は8月1日から9月1日まで、同町南郷の町文化財保存センターで一般公開される。
町教委の発掘調査で平成17年3月に出土した木製品を18年6月から今年3月にかけて高級アルコールなどで保存処理し、割れていた部材を合わせるなどして復元した。
喪船の部材は、前部の波切板にあたる竪板(クスノキ)が長さ約2.1メートル、幅約78センチ。下部の厚さ約25センチで、下部は約5センチ。側面に突起がつき、表面には円文様を中心に直弧文が描かれている。
側面の大きな舷側板(スギ)は長さ約3.7メートル、幅45センチ、厚さ5センチで端部が反りかえっている。上端には3カ所の切り込みがあり、下端にも長方型の小孔が並び表面には円文様と帯文様が彫刻されている。小さな舷側板(長さ約1.8メートル、幅38センチ、厚さ約5センチ)は三角形でクスノキ。
船の構造は、木をくりぬいた丸木船の上に竪板と舷側板が取り付けられた準構造船で、弥生時代から日本で使われていたとみられる。竪板は大阪府八尾市の久宝寺遺跡から出土した船と基本的構造が同じという。
舷側板の文様から出土した船の全長は八メートルを超えるとみられるが、装飾性の強い直弧文がみられたり、赤色顔料が塗られた痕跡が認められことなどから実用の船ではなく、棺を載せた儀礼用の喪船と推定されるという。遺体を古墳に運ぶために使用され、その後に解体され周壕に埋められたとみている。
当初は竪板を木棺のふたとみていた河上邦彦・町文化財保存センター所長は「上と下で幅に違いのあることなどから竪板と考えた方がいい。これまで出土した木製品の中で農具のミニチュアだと思っていたのも船の櫂(かい)と見られる。今後保存処理や発掘が進むにつれ部材が多く見つかり、完全な船が復元されるのでは」と話している。
復元喪船の公開は平日の午前9時から午後5時まで。観覧無料。問い合わせは同センター、電話0745(55)1001。
2008/07/29 18:33
奈 良
余部遺跡
古墳時代の方墳1基を発見
亀岡・余部遺跡、5世紀に群集墳か
京都府の亀岡市教委は28日、同市余部町の余部遺跡で行っている第9次発掘調査で、古墳時代の方墳1基と竪穴住居跡1棟などが見つかった、と発表した。方墳は「余部二号墳」と名付けた。以前の調査で見つかった一号墳とほぼ同じ5世紀前半−半ばの築造とみられ、同市教委は「余部遺跡一帯で5世紀代に群集墳が築かれていた」と想定している。
余部遺跡は、弥生時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡として知られている。今回の調査はグンゼ亀岡工場内の550平方メートルで行われ、現在も継続中。
余部二号墳は一辺約16メートルの規模とみられ、深さ約60センチ、幅約1・5メートルの溝跡が三辺で見つかった。墳丘は削られ、ひつぎなど埋葬者の解明につながる資料は発見されなかったが、同市教委は「この辺りを治めた有力な首長が葬られたと考えられる」としている。
調査ではこのほか、弥生時代中期と推定される竪穴住居跡2棟と方形周溝墓2基も見つかった。
30日午前11時から現地説明会を開く。
2008/07/29 18:26
京 都
キトラ古墳
キトラ古墳天文図にカビ
文化庁は25日、明日香村のキトラ古墳の天文図(石室天井)南側の星座「翼宿」と「星宿」の朱線上計2カ所に黒い粒状のカビらしきもの(直径約5ミリ)を確認したと発表した。蒸留水を含ませた筆で除去、エタノールで消毒した。
2008/07/26 19:51
奈 良
塚乞手古墳
鳥形と笠形の木製埴輪2点出土
滋賀県文化財保護協会は25日、滋賀県彦根市肥田町の6世紀前半ごろとみられる塚乞手(つかごって)古墳の周濠(しゅうごう)跡から、鳥形と笠(かさ)形の木製埴輪2点が出土した、と発表した。木製埴輪が出土した古墳は県内9基目で、計40点となった。鳥形はほぼ原形をとどめており、同協会は「全体の姿が分かるものとしては、県内唯一」としている。
同古墳は肥田城遺跡と重なっているが、規模や形状は不明。周濠跡は水田で見つかった。鳥形の埴輪は、飛行する鳥の姿を表し、長さ59センチ、胴部最大幅20・5センチ、頭部最大幅13センチ。膨らみのある胴部には、支柱を挿す穴のほか、上面に翼の装着面とみられる深さ1・5センチのくぼみを施している。笠形は円形で直径27センチ、高さ8センチ。貴人の傘をかたどっている。このほか、支柱とみられる長さ97センチの木材や土製埴輪の破片も出土した。
木製埴輪の樹種は、大半が古墳時代にひつぎに用いられたコウヤマキだが、出土した2点はスギ製だった。同協会は「コウヤマキを入手できなかったか、使用木材の知識がなかった可能性もある」と話している。
木製埴輪は8月24日、安土城考古博物館(安土町)で開かれる埋蔵文化財整理調査成果中間報告会で展示、解説もある。
■王権中枢と関係
立命館大の和田晴吾教授(考古学)の話 古墳に木の埴輪を立て並べることは、ヤマト王権中枢で共有された習慣と考えられる。塚乞手古墳の被葬者が王権中枢と深い関係を持っていたと言える。
■木製埴輪 5世紀前半に河内(大阪)の大王墓造営に伴い考案された樹立物とされる。大和(奈良)から近江(滋賀)を経て、尾張(愛知)などへ広まったとみられる。国内では37基の古墳から出土、滋賀県は奈良県の21基に次いで多い。
2008/07/26 19:36
滋 賀
中飯降遺跡
西日本最大の竪穴建物跡
和歌山、ムラの集会所か
和歌山県かつらぎ町の中飯降(なかいぶり)遺跡で、縄文時代後期前半(約4000年前)の大型竪穴建物跡が見つかり、県文化財センターが23日、発表した。縄文時代の竪穴式の建物跡としては西日本最大という。
祭祀用の遺物は出土しておらず、同センターは集落の人々が集会や作業で使った建物の可能性が高いとみている。
建物跡は直径約14メートルの円形で、内側に深さ約1・1メートルの柱穴が少なくとも3つあり、柱穴には柱を固定する石や土器片が詰められていた。土器や石器も見つかり、建物の中心には赤く焼けた炉の跡もあった。
柱の直径は30−40センチとみられ、建物は推定で45坪(約150平方メートル)の広さという。
立命館大の矢野健一教授(考古学)は「円形の竪穴建物としては日本最大規模。太い柱が石で支えられており、屋根のしっかりした共同の集会所のような建物ではないか」と話している。
2008/07/24 18:40
其 他
東大寺旧境内
焼けた瓦、大量出土-宝永の大火裏付け
奈良市の東大寺旧境内で、焼けた瓦(かわら)や壁土を大量に投棄した江戸時代のごみ捨て穴が、県立橿原考古学研究所の調査で見つかった。一緒に出土した陶磁器の組み合わせから、押上町一帯を全焼した宝永元(1704)年の大火を裏付ける資料として注目されている。
駐車場の造成に伴い、国道369号に面した約110平方メートルを調査した。瓦や壁土の入った穴は2基見つかり、現状の深さは60―70センチ。熱でオレンジ色に変色したり、すすの付着した瓦が大量に投棄されていた。
江戸時代の文人、村井古道が記した「奈良坊目拙解」によると、宝永元年4月に大火があり、現在の県庁東側から「焼け門」交差点付近まで、国道369号沿いの約600メートルは一物も残さず焼け落ちたという。
2008/07/22 17:29
奈 良
橿考研博物館
県内の発掘成果一堂に-昨年度出土の600点
昨年度に県内の遺跡発掘調査で出土した考古資料を集めた、発掘調査速報展「大和を掘る26」が19日、橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所付属博物館で始まった。9月7日まで。
同研究所や県内市町村の教育委員会などが調査を行った35遺跡から、遺物約600点と写真パネル約50枚を展示。
奈良市教委が調査した大安寺旧境内(奈良市東九条町)の西塔跡では、塔を飾った金銅製品が多数出土した。高さ約30センチの風鐸(ふうたく)のほか、相輪の上部を飾る水煙の破片などで、いずれも銅地に金めっきされている。
2008/07/22 17:29
奈 良
恐竜の歯
国内最大の肉食恐竜の歯
石川、会社員が化石発見
石川県白山市で、肉食恐竜の歯の化石(長さ8・2センチ)がこのほど、見つかった。国立科学博物館(東京都)によると、これまで最大の標本は熊本県の「ミフネリュウ」の歯(7・5センチ)で、今回の化石が国内最大とみられる。
6月に金沢市の会社員宇都宮聡さん(38)が、白山市白峰の手取川の河原で発見。日本古生物学会特別会員の谷本正浩さんと「白山恐竜パーク白峰」(白山市)の元館長の松浦信臣さんが鑑定を進めていた。
谷本さんらによると、本体の種類は特定できないが、体長は約9メートル。ティラノサウルスに代表される獣脚類のものと推定される。歯を含んだ石は、恐竜化石の宝庫である地層「手取層群」の赤岩層(白亜紀前期、約1億3000万年前)から流れ出たとみられている。
宇都宮さんは「見つけた時は手が震えた。このぐらい大型の肉食恐竜なら、食料とした草食恐竜の化石の発見も期待できる」と話している。
2008/07/22 17:15
其 他
犬島諸島
日本最古級の貝塚出土
岡山・犬島諸島
瀬戸内海の犬島諸島(岡山市)にある無人島で、西日本最古級とみられる縄文時代早期(9600−9800年前)の貝塚が見つかり、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の遠部慎研究員らのグループが20日、岡山市内で開かれた講演会で報告した。
ほとんどが淡水と海水が混じる汽水域に生息するヤマトシジミの貝殻。温暖化による海面上昇で、犬島諸島の周囲が完全に海になる前の遺構とみられる。現在の瀬戸内海ができた過程を知る貴重な史料となりそうだ。
貝塚は1980年、岡山市の考古学愛好家が地竹ノ子島のがけで発見。長い間、研究者の目に留まらなかった。2004年ごろから台風で地盤の崩落が始まり、昨年末、研究グループが保存に向けた調査を開始した。
これまでに、島の2カ所でそれぞれ幅約11メートルと約9メートルの貝塚を確認、縄文時代早期の山形押型文土器も出土した。
2008/07/20 22:02
其 他
東方官衙地区
平城宮の東方官衙地区調査 数万点の木簡出土
◇役所の役割示す文字も
平城宮跡(奈良市)の東部に、奈良時代に役所が集まっていた「東方官衙(かんが)地区」と呼ばれる地区がある。役所の配置など、まだ不明な点の多いこの地区を、奈良文化財研究所が昨年から発掘調査している。07年に続き今年1月から2回目の調査が始まった。3月には、奈良時代の米倉と見られる2棟の大型礎石建物跡が見つかったことなどが発表された。その後、調査で見つかった穴に、大量の木簡が埋まっていることが判明。その数は数万点に上ると見られ、これまでにない大規模な発見になりそうだ。
3月中旬ごろ、同研究所の渡辺晃宏・史料研究室長が調査地域を掘っていると、木簡が埋まっているのに気づいた。ほとんどが削りくずだったが、最高約40センチの厚さで、間に土が入らないほどびっしりと堆積(たいせき)していた。「これはちょっと普通ではないな、と感じた」とその瞬間を振り返る。
木簡が見つかったのは直径約6メートルのごみ捨て用と見られる穴だった。これまでに木簡を取り上げた面積は、穴全体の約1割程度。そのまたわずかな分だけを洗っただけで、すでに約3500点の木簡を確認した。渡辺室長は「このペースで穴全体から木簡が見つかれば、平城宮内で過去に見つかった木簡の総数(約5万点)を一気に超える可能性が高い」と話す。
「慌てて掘るよりも、しっかり体制を立て直してから」という判断で、調査区域から外れていた部分については、保存のための万全の対策を取った上で未発掘のまま埋め戻した。「宝物です。すぐに取り上げたい気持ちもありましたが、ぐっとこらえました」と渡辺室長。次は、今年の秋から冬にかけて発掘調査する予定だ。
取り上げた木簡に書かれていた文字からも、いくつか重要なことが分かってきた。「宝亀」(770〜781年)という年号が書かれたものがあり、奈良時代末期に役所の建て替えなどの際に捨てられたものと見られる。
「近衛」や「兵衛」など、天皇を守る軍隊にかかわると見られる文字も目立ち、その場所にあった役所の役割を表している可能性が浮上している。
穴からは木簡以外に土器も見つかっており、奈良時代末期の土器を知る上でも、貴重な発見になるのは間違いないという。
内容も含めた木簡の全容が明らかになるのは数年後になりそうだ。渡辺室長は「これまでも、木簡から重要なことが発見されてきた。今回は何が見つかるか、わくわくします」と期待している。
調査の結果は、平城宮跡資料館の特設コーナーで来月31日まで開かれている発掘速報展で展示されている。問い合わせは同研究所文化財情報課(0742・30・6753)。
2008/07/19 17:42
奈 良
「宝永の大火」跡か
江戸期の奈良町「宝永の大火」跡か 東大寺西側で焼け焦げた壁土
奈良市押上町の東大寺西側で、江戸時代の焼け焦げた瓦や壁土が多数見つかっていたことが18日、分かった。この地域は江戸時代以降の古いたたずまいをのこす当時の奈良町の一角で、調査した県立橿原考古学研究所によると、宝永元(1704)年4月に1800戸が焼失したとされる「宝永の大火」に関連する可能性が高く、文献でしか知られていない大火の様子が初めて裏付けられた形。出土した壁土や瓦は、19日から同研究所付属博物館(橿原市畝傍町)で始まる平成19年度発掘調査速報展「大和を掘る26」で展示される。
江戸時代当時の奈良町は、現在観光スポットになっている近鉄奈良駅南の元興寺周辺だけでなく、同駅前から北東側にも広がっていた。押上町一帯は、京都へ向かう街道沿いに旅籠(はたご)などが立ち並び、現在も旧家が残っている。
発掘現場は東大寺大仏殿の南西約500メートルで、江戸時代の穴から、火災で赤く変色したりすすけた大量の瓦や、高熱で固まった壁土の破片が出土した。
当時の町名や寺社の由緒などを記した地誌「奈良坊目拙解(ぼうもくせっかい)」などによると、宝永元年4月11日、芝辻村(現在の奈良市芝辻町)から出火し、東方に燃え広がって押上町まで延焼。約1800戸が焼け、死者は13人にのぼったと記録されている。今回見つかった壁土などは、この時の火災で焼失した家屋の残骸(ざんがい)が捨てられた可能性が高いことが分かった。
速報展ではこのほか、法隆寺で見つかった創建当初とみられる7世紀前半の鴟(しび)の破片など35遺跡の遺物も紹介している。会期は9月7日までで、休館日は毎週月曜。今月21日は開館し、22日が休館となる。入館料は一般400円、高校・大学生300円、小・中学生200円。今月26日と8月9、30日、9月6日の午後1時半から、同研究所講堂で発掘担当者による報告会(無料)が開かれる。問い合わせは同館((電)0744・24・1185)へ。
2008/07/19 17:31
奈 良
高松塚
地表面 34年ぶりに姿 高松塚の旧保存施設周辺
文化庁は18日、石室が解体された高松塚古墳(8世紀初め、明日香村)で、今月7日から行われている発掘調査の現場を公開した。1974年に旧保存施設を建設した際の盛り土を除去し、周囲の築造当初の地表面が34年ぶりに姿を現し始めた。
旧保存施設は、墳丘南側に取り付けており、約510立方メートルの土で埋められている。古墳本来の形状を確認するため、頂上から3メートルほど掘り下げ、約2割の土を除去。墳丘南西側などでこげ茶色の築造当初の地表面が現れ、約50度の急な傾斜がついていた。旧保存施設の壁に張り付けている断熱材やゴムシートも出土。一部は竹の根などが入り込んで破れていた。盛り土の除去が終われば、周溝などの確認を進める。
2008/07/19 17:25
奈 良
バーミヤン遺跡
バーミヤンの大仏跡に光
開発会議前にライトアップ
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産、アフガニスタン中部バーミヤン遺跡で18日夜、2001年に旧政権タリバンが破壊した東西大仏立像のうち、西大仏跡がライトアップされた。高さ約55メートルあった大仏は現在は跡形もなく、大仏が彫られていた岩壁の空洞が幻想的に浮かび上がった。
バーミヤン州政府は24日から、文化と自然遺産を中心に州内の開発を進める目的で、各国大使らを招いて開発会議を開催。ライトアップは会議の特別企画で、18日は予行演習として行われた。同遺跡のライトアップは初めてという。
国際治安支援部隊(ISAF)の協力で投光器を使用。6世紀ごろとされる建立当初、金色に装飾されていたと伝えられる大仏跡は、建立当時を思わせる荘厳な雰囲気に包まれた。会議本番では高さ約38メートルの東大仏跡にも光が当てられる。
2008/07/19 17:17
外 国
長岡宮跡
南北面で階段の位置異なる
長岡宮跡・朝堂院西第4堂
京都府の向日市埋蔵文化財センターは18日、同市鶏冠井町で行っていた国の史跡「長岡宮跡」の発掘調査結果を発表した。中枢施設・朝堂院の西第4堂では、階段の位置が南面と北面で異なることが分かり、「朝堂院での政務や儀式の変容を示す資料」(同センター)としている。
調査では、建物の基壇を覆う地覆石(じふくいし)の据え付け跡や石敷などを確認。柱礎石の根石も東西方向に4基見つかった。これらの分布から南面の階段は2カ所で、位置は建物の南西隅から東に三間目と八間目に当たることが判明した。北面の階段はこれまでの調査で六間目にあったことが確定しており、南面と北面で階段の位置が異なっていた。
朝堂院は国家の重要儀式を行う場所で、長岡宮では東西に4堂ずつ計8堂が配置されていた。階段の位置は本来、対称のはずだが、西第4堂は朝堂院の南面回廊などと接近しているため、階段の位置が変更された可能性があるという。同センターの國下多美樹事務局長は「長岡京では朝堂院の機能が低下し始めていたことがうかがえる」としている。
現地説明会は、同市鶏冠井町山畑で20日午後1時半から行われる。
問い合わせは市埋蔵文化財センターTel:075(931)3841。
2008/07/19 17:11
京 都
「坊城の地」
朱雀大路沿いに大型建物跡
京都市中央卸売市場 大邸宅か役所の可能性
京都市下京区中堂寺南町の市中央卸売市場で、平安前期の大型建物跡が17日までに見つかった。平安京のメーンストリート・朱雀大路沿いの宅地で、大規模な邸宅か役所の可能性があるという。
■平安前期「坊城の地」裏付け
青果棟建て替えに伴い、市埋蔵文化財研究所が5月初めから約1000平方メートルを調査している。
発掘された建物跡は、東西7・5メートル、南北7・2メートル以上で、東に庇(ひさし)がついていた。建物の南北規模は不明で、一辺約1メートル近い方形の柱穴があり、柱の直径は35センチで、かなり大型の建物が考えられるという。
平安初期、朱雀大路沿いの東西の土地は「坊城の地」と呼ばれる特殊な地域で、上皇の離宮・朱雀院や外国使節を接待する鴻盧(こうろ)館、民政をつかさどる京職(きょうしき)などの役所が置かれ、一般の貴族が住む場所ではなかったとされる。調査地の西南では過去に、寝殿造の初期形態で、皇族クラスの住居とみられる邸宅跡が見つかっている。
市埋文研は「見つかった建物跡は宅地の西南隅にあることから主要な建物ではなく、さらに大きな建物があった可能性がある。立地条件からみて、一町(120メートル四方)規模の大邸宅か役所の可能性が高い。朱雀大路沿いの宅地の特殊性を改めて裏付けた」と話している。
現地説明会は19日午後1時半から。
問い合わせは現場事務所Tel:075(321)8120へ。
2008/07/18 18:30
京 都
岡田追分遺跡
平安期 鋳造技術の広がり示す獣脚の鋳型
岡田追分遺跡から出土
平安時代初期の動物の脚を模した「獣脚(じゅうきゃく)」や鍋の鋳型が、滋賀県草津市追分町の岡田追分遺跡から出土し、市教育委員会が15日発表した。近畿地方での鍋や獣脚鋳型の出土は3例目で、市教委は「当時の鋳物技術の広がりを示す貴重な史料」とみている。
鍋の鋳型は直径24センチ、高さ10センチほどで鍋の内側の型として使用したとみられる。獣脚の鋳型は器の脚部に使用し、模様などから獅子の脚を模していたと考えられる。いずれも9世紀前半に使われていたらしい。
同遺跡では、溶かした鉄の残りや木炭など鋳物の生産工程を裏付ける出土品もあり、市教委は寺や貴族などの有力者向けに、本格的な鋳造が行われていたと推測している。
出土した獣脚の模様が東北地方で出土した鋳型に類似していると推定され、市教委文化財保護課の桜井拓馬主任は「当時の鋳造技術の広がりを裏付ける史料」と話している。
同遺跡は、共同住宅建設に伴い、市教委が昨年11月から発掘していた。鋳型は19日から8月31日まで(休館日あり)同市草津3丁目の草津宿街道交流館で展示される。有料。
2008/07/17 16:42
滋 賀
平城京跡
和同開珎入ったつぼ出土
平城京、子の成長願う?
奈良市の平城京跡で、古代の銅銭「和同開珎」5枚が入った奈良時代中ごろ(8世紀中ごろ)の須恵器のつぼが見つかり、奈良県立橿原考古学研究所が14日発表した。
丁寧に埋められており、子どもの成長を願って胎盤などと一緒に納めたまじない用か、地鎮祭で使ったとみられる。中級役人の住宅地だった左京四条四坊で出土。同研究所は「都の役人の間に広まっていた信仰や習俗を知る史料」としている。
左京四条四坊は約530メートル四方。古事記の編さんで知られる太安万侶(生年不明−723年)も住んでいたと墓誌に記されている。
つぼは完全な形で高さ16・8センチ、直径は最大20・5センチ。つぼの口より一回り大きいふたをかぶせ、口の周りとのすき間を粘土でふさぎ、穴に安置していた。近くで塀などの建物跡も見つかった。
つぼには和同開珎以外に木くずや泥のようなものが入っており、同研究所は成分などを分析する。
2008/07/15 17:11
奈 良
石神遺跡
敷葉工法 : 石神遺跡遺構処理の土木技術保存 奈文研資料室で展示
石神遺跡(明日香村)で確認された古代飛鳥のメーンストリート「山田道」(7世紀中ごろ)の下層に施されていた敷葉工法と呼ばれる土木技術を保存しようと、奈良文化財研究所が遺構の一部(1メートル四方)を切り取って保存処理した。9月末ごろまで、橿原市木之本町の同研究所藤原宮跡資料室で展示している。
敷葉工法は、狭山池(大阪狭山市、7世紀初め)などの堤防にも使われた古代の最先端土木技術。小枝や葉を敷き詰めて水はけをよくする効果を狙ったとみられる。石神遺跡では、南北約7メートル、東西約14メートルの範囲で検出。サカキやツブラジイ、シャシャンボなどの小枝を南北にそろえて敷き詰めていた。
午前9時〜午後4時半。土・日曜と祝日は休み。無料。同研究所(0744・24・1122)。
2008/07/14 17:56
奈 良
中貫柿ノ木遺跡
縄文時代の冷蔵庫-ドングリ貯蔵穴
奈良市中貫(なかつら)町で、ドングリを貯蔵した縄文時代の“冷蔵庫”が見つかり、県立橿原考古学研究所が12日、発表した。地下水で保冷しながらアクも抜ける「優れもの」で、越冬用のドングリを蓄えたらしい。中貫柿ノ木遺跡と命名された。
谷地の斜面を約200平方メートル発掘した。貯蔵穴は直径約45センチで、アカガシとみられるドングリ(長さ約1.5センチ)が数百個入っていた。1メートルほどの直径があったと推定できる。
ドングリの残っていない穴も複数あり、地下水の豊富な場所にいくつもの貯蔵穴を造ったらしい。洪水の土砂でパックされ、掘り出せなくなったドングリが残っていた。
2008/07/14 17:48
奈 良
恐竜の化石
恐竜化石、タイで多数発掘
福井の博物館
福井県立恐竜博物館は10日、2007年冬にタイのナコンラチャシマ県で珪化木鉱物資源博物館(タイ)と共同で行った調査で、恐竜の化石約200点を発掘したと発表した。新種の可能性があるものも含まれているという。
発掘は07年11月から同12月にかけ、同県の白亜紀前期(1億数千万年前)の地層で行われた。約200平方メートルの範囲で、二足歩行の肉食恐竜ティラノサウルスなどが有名な獣脚類や、草食恐竜のイグアノドン類の頭骨など約200点を発掘した。
恐竜博物館によると、今回発見された獣脚類の化石はこれまで同国内で発見された獣脚類の化石とは歯の形状が異なっており、イグアノドン類の化石についても特有の歯の隆起が少ないので、ともに新種の可能性があるという。
恐竜博物館の東洋一副館長(58)は「今後の発掘を通して、恐竜の特定をしていきたい。イグアノドン類については今後の発掘次第で全身骨格復元も可能かもしれない」と話した。
2008/07/11 17:47
外 国
滝谷古墳群
1号墳から銅鋺出土
与謝野・滝谷古墳群
京都府与謝野町明石(あけし)の滝谷古墳群の調査を進めている同町教委はこのほど、1号墳の横穴式石室は「中高式天井」構造で、室内から近畿で8例目の銅製の鋺(わん)が出土した、と発表した。現地説明会は6日午後2時から行われる。
町道改良に伴い、4基を調査。1号墳は円形に近く東西の長さが約16メートル。横穴式石室は全長約8・2メートルで丹後地方でも有数の大きさという。
「中高式天井」は石室奥の天井を低く、中央部を高くなるようにしているのが特徴で、鳥取県東部に多く見られる形態。
銅鋺は口径約8センチ、高さ約4センチで、石室入り口付近から見つかった。全国で約80例出土しており、大半は関東地方からという。
町教委は「中高式天井や銅鋺から、被葬者の地位の高さがうかがえる。中央政権や鳥取県東部などと親交を持ち、野田川流域を広く支配していた可能性もある」とみている。問い合わせは同町教委TEL0772(43)2193へ。
2008/07/05 17:46
京 都
ポンペイ遺跡
ポンペイ遺跡が「非常事態」
崩壊の恐れと伊政府
イタリアのベルルスコーニ内閣は4日の閣議で、1900年以上前の火山噴火で埋没したことで有名な南部の古代都市遺跡ポンペイ(世界遺産)について、補修が不十分で今後急速に崩壊が進む恐れがあるとして、1年間の「非常事態」を宣言、政府の特別委員を任命して対策を検討させることを決めた。
ポンペイでは毎年平均150平方メートルのフレスコ画や壁のしっくいなどが崩落しているほか、約3000個の建造物の石材が毎年崩れているとの専門家の試算もあり、対策の必要性が指摘されていた。
現在は地元カンパニア州が担当している遺跡の管理を特別委員が引き継いだ後、具体的な補修案などを検討する。コリエレ・デラ・セラ紙は同州政府の怠慢と無計画により、補修作業が長年たなざらしになっていると批判した。
2008/07/05 17:33
外 国
石神遺跡
飛鳥時代の国道・山田道の「敷葉工法」標本 奈良・橿原で初公開
明日香村飛鳥の石神遺跡で昨年5月に見つかった飛鳥時代の国道「山田道」で、路盤強化のため木の枝を敷き詰めた「敷葉(しきば)工法」で築かれた特殊な遺構の標本が、橿原市木之本町の奈良文化財研究所・藤原宮資料室で初公開されている。サカキなどの枝が1本ずつ丁寧に敷かれており、1400年前の土木の最新技術を今に伝えている。
山田道は、現在の同村北部から桜井市を東西に結ぶ約5キロの古代の幹線道路、壬申の乱(672年)で勝利した大海人(おおあまの)皇子(後の天武天皇)が凱旋(がいせん)した道路として知られる。
同研究所の発掘調査によって、長さ33メートル分の道路側溝が見つかり、路面の数十センチ下には、葉のついたままのシイやサカキなどの枝がびっしりと敷かれていた。この地域は低湿地だったため、地盤を強化して水はけをよくするため、中国から伝わった敷葉工法という当時の最新技術を使っていたことが判明した。
木の枝などは通常、腐植してしまうが、湿地帯のため粘土で真空パックされたことで、当時の状態で残っていた。遺跡は埋め戻されたが、同研究所は貴重な敷葉工法の遺構のうち1メートル四方を樹脂で固めて厚さ10センチ分を切り取り、約半年かけて保存処理を行った。
敷葉工法は、ほぼ同時代の高松塚古墳(同村)でも採用され、墳丘を築く際に木の枝の代わりにむしろを敷いて突き固めていた。
遺構標本の公開は9月末まで、午前9時〜午後4時半に行われている。入館無料で、土、日曜、祝日は休館。問い合わせは同資料室((電)0744・24・1122)へ。
2008/07/04 20:27
奈 良
宝山寺獅子閣
江戸期築造の石垣発見-生駒・宝山寺獅子閣
地盤沈下で建物が破損し、解体修理が行われている生駒市門前町の宝山寺獅子閣(国重要文化財)で、江戸時代の築造とみられる石垣が見つかった。古い石垣を残したまま造成土が盛られ、そこを境に地盤が沈みこんでいた。敷地を分断するように亀裂が走り、県教育委員会文化財保存事務所は鉄筋の杭(くい)を打つなど万全の対策を施した。
獅子閣は明治15年に完成した「擬洋風」の建物で、宝山寺の客殿として利用されてきた。内部には、らせん階段が設けられ、色ガラスも使用するなど、明治時代を代表する近代建築として知られている。
2008/07/04 20:21
奈 良
両生類化石
国内最古の両生類化石
宮城の無人島で発見
宮城県南三陸町の無人島「唐島」の約2億4500万年前ごろ(中生代三畳紀前期)の地層から、国内最古とみられる両生類の化石が見つかった。仙台市で開催の日本古生物学会で5日、発表される。
発見した東京大大学院の研究生、中島保寿さん(26)によると、化石はワニに似た大型の両生類マストドンサウルスの仲間。川べりや湖畔に生息し、鋭い歯で魚や小動物を食べていたとみられる。
中島さんは2006年夏、唐島で別の絶滅動物の化石を発掘中に、見慣れない動物の下あごの化石(長さ約5・5センチ)を見つけ、ドイツのシュツットガルト州立自然博物館の専門家に鑑定を依頼。今年5月、マストドンサウルスの一種との回答を得た。化石の形や大きさから体長1−1・5メートルと推定され、この種の仲間としては小型だという。
2008/07/04 20:12
其 他
女郎花遺跡
奈良−平安期の建物遺構出土
八幡・女郎花遺跡 地元豪族の居館か
京都府八幡市の市教委は3日、同市八幡女郎花の女郎花遺跡から、奈良時代から平安時代初頭にかけての建物の遺構が見つかったと発表した。長期間にわたり地域を治めていた豪族の居館の一部とみられ、市内の「石清水八幡宮成立(859年)以前の中心地をうかがい知ることができる」としている。市内で豪族の遺構の発見は初めて。
遺跡東端の157平方メートルを発掘し、3棟の大型掘っ立て柱建物の柱穴がほぼ同じ場所から見つかった。柱穴はいずれも直径70センチから1メートル。
最も古い遺構は、南北約5メートル、東西は確認できただけで約7・5メートル以上あり、面積37・5平方メートル以上になる。
2番目に古い建物は約26・5平方メートル(南北約6・3メートル、東西約4・2メートル)。最後に建てられたとみられる遺構は約29平方メートル(南北約6・3メートル、東西約4・6メートル)で、2番目とほぼ同規模。居館が建て直されながら奈良時代前半から平安時代初頭まで約100年間続いたことを示している。
市教委は、柱穴の大きさが古代寺院に匹敵し、遺構の南30メートルに倉庫跡、南250メートル地点に奈良時代に権威の象徴として盛んに建立された志水廃寺があることなどから、現在の同市八幡辺りを治めた豪族ではないかとみている。
これ以後、居館は畑になり「勢力の再編成で豪族は没落した」と推測する。「八幡宮の成立を期に集落域が男山東麓の南端から八幡宮ふもとの北側に移ったことがうかがえ、興味深い」としている。
発掘は宅地造成に伴う道路建設の事前調査として5月30日から実施した。
5日午後2時から現地説明会を開く。
雨天決行。問い合わせは市立ふるさと学習館TEL075(972)2580。
2008/07/04 20:11
京 都