恭仁宮、平城京並み 朝堂跡
天皇控室 後殿 柱穴も
740年から4年間だけ聖武天皇が平城京から都を移した恭仁(くに)宮跡(京都府木津川市加茂町)の本年度発掘調査で、当時の役人が政務を行った「朝堂(ちょうどう)」や、天皇が仕事前に立ち寄る「後殿(こうでん)」の柱穴が見つかった、と京都府教委が27日、発表した。短命だが、本格的に造られた都ということが分かるという。
■短命も本格的な都の姿
朝堂の柱穴は、天皇が執務していた大極殿跡から約300メートル南側で見つかった。4つの穴が3メートル(当時の十尺)間隔で東西に並び、周辺には小石が敷き詰められていた。
廃都後に柱を掘り出した土の痕跡から、直径30−50センチの柱が立っていたことが判明。朝堂が立ち並ぶ官庁街「朝堂院」の南門跡など過去の調査結果とも合わせ、東西幅130メートルと、平城京の3分の2ほどの細い朝堂院エリアに、平城京と同規模の朝堂が8棟並んでいたと推定されるという。
一方の後殿は、天皇が生活の場「内裏」から、大極殿に向かう時に立ち寄る建物。大極殿の40メートル北側で、3つの柱穴が、5・1メートル間隔で並んでいた。
調査を担当した府教委文化財保護課の藤井整主任は「わずか4年の恭仁京は、未完成の都とも言われていた。朝堂の確認で、他の都に見劣りしない立派な都だったことが分かった」と話している。
現地説明会が29日午前10時、午後2時の2回行われる。