「荘園開発」示す建物柱穴
東近江・金貝遺跡 灌漑水路跡も出土
東近江市野村町の金貝遺跡で、8〜9世紀の掘っ立て柱建物群と灌漑(かんがい)用水路の遺構が見つかり、1日、県文化財保護協会が発表した。同協会は「奈良時代から平安時代初期にかけて、水田開発が進められたことを示す資料」としている。
発掘調査で、8棟分の柱穴などが出土。うち2棟は、床面積がそれぞれ56平方メートル、44平方メートルに達する東西に長い大型建物で、庇(ひさし)が付いていた。水路跡は3本あり、建物群の北約40メートルにある最大のものは、幅2・5〜4・5メートル、深さ0・8メートル以上とみられる。
奈良時代半ば以降、墾田永年私財法(743年)の発布などを受け、全国で農地開発が活発化した。発見された遺構は愛知川左岸の段丘上に位置しており、悪条件の土地であっても大きな施設や用水路を築き、水田が開かれたことを示しているという。
林博通・県立大教授(考古学)は「文献によると、一帯は奈良・大安寺の荘園であった可能性が高い。大型建物は、その経営にかかわった荘官の屋敷かも知れない」と話している。
同遺跡では、最古の「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」の神社遺構(平安時代)も出土しているが、今回の建物群の方が年代が古い。
現地説明会は7日午後1時から開かれる。